侯爵子息と義姉の顔合わせの日
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「エディス。あなたは、今日はこれから絶対にこの家には立ち入らないで。何があっても、息を潜めるようにして、気配を消して離れに籠っていること。いいわね?」
「はい、お義姉様。商会に卸す薬の用意も整いましたので、すぐに離れに戻ります」
いつも華やかな義姉のダリアが、さらに今までに見たこともないほど派手に着飾っている様子に目を瞠りながらも、エディスは大人しくこくりと頷いた。鮮やかな金髪に濃い碧眼をしたダリアは、やや目尻の吊り上ったきつめの顔立ちをしてはいるものの、かなりの美人の部類に入る。彼女の瞳の色に合わせたブルーのシルクのドレスには、ふんだんにひらひらとしたレースがあしらわれ、その首元には、ダイヤで取り巻かれた特大のサファイアのネックレスが輝いていた。さらに一分の隙もなく化粧を施したダリアのことを、確かにとても美しいとは思いつつ、エディスはこれらを調えるために飛んでいったであろう金貨の枚数を思い浮かべて、くらりと軽い眩暈を覚えた。
「あの、お義姉様。その高そうな……いえ、お美しいドレスとネックレスは、今日のために誂えられたのですか?」
「ええ、もちろんそうよ。これから将来の旦那様に会うのだもの、最も美しく見えるように支度をするのは当然じゃない。ふふ、綺麗でしょう?」
自慢げに口元を綻ばせた義姉のダリアに、エディスは溜息混じりに頷いた。
「はい、とても」
オークリッジ伯爵家のどこにそのような余裕が、という、喉元まで出掛かった言葉を、エディスは何とか飲み込んだ。
エディスがこのオークリッジ伯爵家に養子として引き取られてから、一年半程の月日が流れていた。
エディスは、血縁的にはダリアの従姉妹に当たる。エディスの父は、オークリッジ伯爵家の長男だったけれど、平民だったエディスの母と恋に落ち、駆け落ち同然で家を出たらしい。エディスの両親は、緑豊かな田舎町で小さな薬屋を営んでいた。両親を突然の事故で亡くし、オークリッジ伯爵家からの迎えが来るまでは、両親共に平民の出だと思っていたエディスは、父が伯爵家の出身だと知って、ひどく驚いたものだ。
エディスの父方の祖父は、エディスの父の結婚を反対したことを悔いて、彼女の父の行方を長いこと探していたという。ようやく息子の居所がわかった時には、既に息子が命を落としていたことに涙を流しながらも、急いで孫娘のエディスをオークリッジ伯爵家に迎え入れたのだった。
後ろ盾となる親があった方がよいだろうという祖父の鶴の一声で、既にエディスより年上であるダリアを娘に持つ叔父夫婦に、養子として迎え入れられることになったエディスだったけれど、義父母となった叔父夫婦からは、全く歓迎されてはいなかった。
「卑しい平民の血が混じっている子を、娘にしないとならないなんて」
「まともな貴族教育も受けていないのね。こんな子を、恥ずかしくて人前になんて出せないわ」
そんな叔父夫婦に輪を掛けて、義姉のダリアからは、エディスはひどく嫌われて、散々冷たい仕打ちを受けていた。エディスが半年前に頼みの綱だった祖父を亡くしてからは、あんな子を義妹だなんて認めない、一緒の家になんて住みたくないと、エディスはダリアに小さな離れに追いやられていた。エディスは、使用人用の余った衣服を手直しして使い、食事も使用人と同じものを取っている。
ダリアは自分自身には湯水のようにお金を使う。ダリアを目に入れても痛くないほど可愛がっている叔父夫婦は、そんなダリアの行動を黙認しているけれど、それがオークリッジ伯爵家を傾かせている一因になっていることは、火を見るより明らかだった。エディスが祖父を亡くしてからというもの、さらにこの家の台所事情は悪化しており、借金の額も膨れ上がっている。
(私には教養がないといつも仰るけれど、お義父様もお義母様もお義姉様も、どうして収入の範囲で暮らすという単純なことをせずに、お金がないと騒ぐのかしら……?)
質素だった両親の元、堅実な金銭感覚も、商才もしっかりと身に付けていたエディスには、そのことが不思議でならなかった。完全に家が潰れてしまうことを防ぐべく、エディスは、杜撰に管理されていたオークリッジ伯爵家の薬事業を、この家に来てから縁の下で支えている。けれど、エディスが立て直しつつあった薬事業からの収入も、ダリアたちの派手な生活による借金の利子のせいで、焼け石に水の状態だった。
贅を尽くしたダリアのドレスとネックレスを前にして、しばし衝撃に思考を飛ばしていたエディスに対して、ダリアはにっと口角を上げた。
「生意気なあなたが何を考えているか、何となく想像はつくけれど。……今日私がお会いするのは、グランヴェル侯爵家の長男でいらっしゃるライオネル様よ。あちらから縁談をいただいたの。彼と私の婚約が調った暁には、あちらの家に対してしている借金を帳消しにしていただけるどころか、更なる金銭的な支援もお約束いただいているのよ」
「まあ、そうだったのですね」
グランヴェル侯爵家は、オークリッジ伯爵家が最も多額に借り入れを行っている先だった。予想外の義姉の言葉に、それなら大丈夫かもしれないと、ほっと胸を撫で下ろしたエディスに向かって、ダリアは続けた。
「それにね……」
ダリアは、うっとりとその青い瞳を細めた。
「ライオネル様のことは、大昔にお見掛けしたことがあるだけなのだけれど、幼いながらもとってもお美しかったの……! 最近は、少し体調を悪くなさっていたらしくて、あまり社交界にも顔を出されていなかったのだけれど、彼にお会いできるのが楽しみだわ。という訳だから、」
今度は冷ややかな瞳で、華やかなダリアとは対照的な、控えめなエディスの母譲りの淡い金髪と、ライラックにも似た薄紫色の瞳、そして彼女の簡素な服装を上から下までじろりと眺めてから、ダリアはエディスに向かって改めて口を開いた。
「ライオネル様の前には、決して姿を見せないでちょうだい。あなたのような、地味で平民丸出しの教養もない子が同じ家にいるなんて、このオークリッジ伯爵家の評価を下げることにしかならないわ。もし万が一ライオネル様に会ったとしても、あなたはこの家の使用人のような顔をしていなさい。いいこと?」
「ええ、わかっています。お義姉様」
エディスは再度ダリアに向かって頷いた。ダリアに言われたことは、いつもエディスがしていることと変わらない。つまり、ダリアの縁談相手が来ている時には母屋に来ないようにと釘を刺されただけで、離れで普段通りに過ごしていればよいのだと、エディスはそう解釈した。
エディスが、急ぎ足で母屋から離れにある自室に戻った頃、ちょうど外門の所で、馬の蹄の音と、がたごとと馬車の車輪が止まる音が聞こえた。やれやれ間に合ったと、エディスが一息吐いていたところで、ダリアの天にも届きそうな甲高い悲鳴がエディスの耳に届いた。
「……!!?」
エディスが思わず離れの窓から外を眺めると、真っ青になったダリアと、真っ赤な顔をした義父が、揃って離れに向かって駆けて来る様子が目に入った。
「エディス! すぐにそこから出て来なさい!!」
義父の怒声の迫力に、エディスはびくりと肩を跳ねさせた。