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永遠の青  作者: 蒼井七海
第一部 世界の脈動
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4.にぎやかな連れ人

 旅の同行者ができた。

 ディランがそれを実感したのは、朝早く、宿の個室の前でゼフィアーと合流したときだった。

「おはよう、ディラン!」

「ああ、おはよう」

 ディランはあくまで穏やかに挨拶を返す。対して、ゼフィアーはなぜか軍人さながらの敬礼をしていた。真面目を飛び越えてどこかお堅い返しである。眉をひそめた少年は、ほとんど力を込めずに少女の茶色い頭を叩いた。

 ゼフィアーはきょとんと見つめ返してくる。

「うむ?」

「どうしてこう、変なところで真面目なんだ。肩の力抜け」

 そう言ってみても、彼女はまだ首をかしげたままだ。どうも、本人は意識してやっているわけではないらしい。説得をあきらめたディランは、階下から漂ってくる匂いに気づき、階段へ向かって歩き出した。途中で振り返ると、ゼフィアーが立ったままだったので、投げやりに呼びかける。

「どうしたんだよ。さっさと朝飯食って支度するぞ、ゼフィー」

「……! う、うむ。わかった」

 少女は慌てたようについてくる。早々と背を向けてしまったので、彼女が嬉しそうに目を細めていることをディランは知らなかった。


 二人は一階で朝食を済ませると、女主人に鍵を返した。

「相変わらず落ちつきのない奴だね」

「ひとつどころに留まってても、悩みが増えるだけなんでね」

 ディランが苦笑をこぼすと、女主人は「それもそうか」と、ころころ笑った。少年の事情を知る彼女は、必要以上に放浪者を引きとめようとはしない。

「じゃ、気をつけていってきな。町のことは心配しなくても、みんなでどうにかするさ」

「ああ」

 ディランはくるりと背を向け、背後にひととき目を向ける。女主人の表情が、ふっと緩んだ。

「――また、飯でも食いに戻っておいで」

 今度は、ああ、とは言わない。代わりに、深くうなずいた。

 彼女にとってはそれで十分だったようだ。満足げに目を細めると、ゼフィアーに視線を移し、「あんたも」と言った。言葉を向けられた当人は目を点にしていたが、ディランが肩を叩くと我に返って、照れくさそうにほほ笑んだ。

 宿を出る。()はすでに天にあり、町は目がくらみそうなほど明るい。町の衆も、ぱらぱらと通りに出てきていた。井戸で水を汲む少年の隣で、四十過ぎくらいの女が洗濯物を干している。いつも通りの日常の風景。けれどゼフィアーは、とても楽しそうにそれらをながめていた。

「うむうむ。嵐こそ来たが、この町は平和なのだな。みなの顔がとても優しいのだ」

「そうだな。よそに比べれば揉め事も少ない。穏やかな町だ」

 ディランは彼女に同調し、自分も町を見回した。

 本当に、穏やかな町だ。だからこそ、ほとんど形だけとはいえ、ここを「拠点」としている。あちこちを巡ってはふらりとドナに戻って羽を休め、また旅に出る。彼の日常は、その繰り返しだ。故郷と呼べる場所も一応あるが、そこにいるとゆっくり休めないのでしょっちゅう戻りたくはない。

 ディランが物思いにふけっていると、ゼフィアーが彼の服の袖を引いた。

「おっと悪い、どうした?」

「なあディラン。これから町を出るのか?」

 ゼフィアーは明るい色の瞳をきらきらと輝かせてディランを見てくる。彼は、肯定しかけて思いとどまり、視線を虚空へ向けた。昨日の何気ない会話が脳裏によみがえる。

「……いや。出る前にちょっと寄りたいところがある」

「寄りたいところ? どこだ?」

「店屋だよ。嵐で建物をやられてるから、営業はしてないけど、頼めばなんか売ってくれるだろ。買えるもの買っとこう」

「ずばり食糧、だな」

 少女が自信満々に言ったので、ディランはうなずいた。一応干し肉の余りはあるが、人が増えたので買い足しておくに越したことはない。

 そうして、やけに若い二人連れの旅人は、いまだ工事中の店へと足を向けた。


「ようディラン、来たのか」

「はい。昨日ぶりです」

 木組みの小さな民家のまわりには、瓦礫が散乱したままだ。窓をふさぐための雨戸も、まだ補修が終わっていない。代わりにつりさげたと思われる古い布が、風に吹かれてはためいている。当然、扉には「臨時休業」の看板が下がっていた。

 そんな状況ではあったのだが、ディランが扉を叩くと、ザイルはひょっこり顔を出した。手縫いの鞄と布袋、そして剣を持っている彼を見て、男は、ははあ、とうなずいた。

「今日中には発つつもりだな?」

「そういうことです」

 ディランは多くを語らず肯定した。すると、ザイルはひらひらと手を振る。

「もちろん、わかってるさ。安くしてやるから保存食でもなんでも買ってけ」

「ありがとうございます」

 ディランのお礼が聞こえたかどうかわからない。ザイルはさっさと店の奥へ引っ込んで、すぐに戻ってきた。本当に余っているらしい店の商品が、二人の前に並べられる。

「意外といろいろ売っているのだなー」

 ゼフィアーが身を乗り出して、興味津々、といった具合にのぞきこんでいる。ザイルは品物を並べながら解説をこぼした。

「ここは田舎で、店屋の数も少ないからな。ひとつの店が、いろんなものを売ることになるわけよ。食いもんに服に、農具に。外の薬屋から仕入れた薬もときどき並べてる。刃物は鍛冶屋があるから、そっちに任せてるけどな――って」

 淡々と語っていたザイルは、顔を上げ、ゼフィアーをまじまじと見た。感心していたのがディランでなく知らない少女だったことに、今さら気づいたらしい。彼はディランに視線を戻すと、胡乱げな目をした。

「おい、誰だこの子」

「誰といわれても。カルトノーアまでの護衛を頼まれたんで、一緒にいるんですよ」

 少年はさらりと返す。本当のことしか言っていない。それでも納得していなさそうなザイルに向かって、ゼフィアーが名乗った。

「ゼフィアー・ウェンデルだ。しばらくディランに世話になる」

「お、おう、よろしく。しっかりしたお嬢さんだな」

「そうか?」

 どぎまぎしているザイルの評価に、ゼフィアーは首をひねった。やはり、口調のせいなのか、堅物に見えるらしい。実際はそうでもない、とディランはうすうす気づきはじめていたが。

 ともかく、事情説明も済ませたところで、二人は買い物をした。とにもかくにも、二人で数日旅をするに足りるだけの堅焼きパンと干し肉。それから、下敷き用の毛布を一枚。これはゼフィアーが持っていなかったからだ。

「……まさか今まで、上着にくるまって寝てたのか?」

「うむ。毛布を買うだけの金はなかなか手に入らなかったのでな」

 ああそう、と投げやりに返したディランは買う物をザイルに突き出した。

 それにしても、ゼフィアーがいつから、どのような場所を旅してきたかは知らないが、よく凍え死ぬことなくここまで来れたものだ。大陸西部は、年中を通してあまり気温が高くないのだが。

 ザイルが品物を数え終えたらしく、「銅貨七枚な」とディランに告げた。前に買ったときは同じくらいの量で銅貨十枚くらいだった、と彼は記憶している。確かに「安くする」という言葉通りだ。

 ディランが言われた通り銅貨を払うと、ザイルは首をかしげた。

「予想より少なかったな。本当にそれだけでいいのか?」

「多すぎると荷物になるでしょう。彼女も必要最低限のものは持って旅をしていたようですし」

 ディランがゼフィアーの頭に手をやると、彼女は得意げにうなずいて、なぜか水袋を取り出していた。それを見て、ザイルは声を上げて笑う。

「そうかそうか。しっかりしたお嬢さんだ」

 先ほどの言葉を繰り返す。しかし、今度は戸惑いから来るものではない。ゼフィアーも胸を張っている。

「うむ! 伊達(だて)に長いことふらふらしていないからな!」

「長いことって……見たところまだ十代半ばじゃないか」

「ほんとうに、五、六年は旅しているぞ」

「ということはいったいいくつなんだ」

「女に歳は尋ねるな、というだろう?」

 段々と弾んできた二人の会話を、ディランは黙って見守っていた。

 ひとしきりやり取りが済んだところで、二人は顔を見合わせた。それから、ザイルにお礼を述べて、店を去る。

 通りを歩く。今度はどこにも寄り道をしない。慌ただしく走り去る人々をよそに、旅人の時間は緩やかに過ぎていく。

 ディランは、ふとドナの町を振り返った。

 壊れたままの建物はまだ目立つ。時折、ひどく寂しそうな顔をした人を見かけることもある。そんな人には、気丈に振舞う者が手を差し伸べて、人の輪の中へ連れてゆく。嵐の痕が残る町は、けれど少しずつ、前へ進もうとしていた。

「ディラン」

 少し前から少女の声がかかる。振り返ったゼフィアーが、笑顔で手を振っていた。

「カルトノーアまで、よろしく頼むぞ」

「――ああ」

 少年は苦笑する。

 昨日までは、気ままで静かなひとり旅だった。今は、たった一人でもにぎやかな連れがいる。不思議なものだ。けれど、悪くない。

「出発だ」

 厳しい道のりを前にしながら、ディランの心は晴れやかだった。

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