1-1 暁光に輝く剣
『希望の風』の商館は、一口には言い表せない慌ただしさに満ちている。今も、のんびり歩く三人の横を、羊皮紙の束を抱えた若者が走り去っていった。
「すごいところだなー」
ゼフィアーが、間の抜けた声を出す。ディランは無言で同意した。見ているだけで圧倒される光景だ。
「『希望の風』ほど大きい商会になると、仕事が絶えませんし、大きなお金が動きますからね。みなさん、毎日てんやわんやです」
張りつめた空気の中でレビひとりが冷静なのは、前に来たことがあるからだろう。
ラッド・ボールドウィンとの面会を終えて、無事に小包を届けた三人は、彼から許可をもらって商館の中を見学していた。レビが案内役を務め、会長からお許しをもらった場所を見てまわっている。商人たちの仕事場に踏み込むことに申し訳なさを感じる一方、商会に縁がなかったディランとゼフィアーは、気分が高揚するのを自覚していた。
「む、あんなところに大きなはかりがある!」
「あ、ゼフィー! わかってると思いますけど、それ触っちゃだめですよ!」
巨大なはかりを見つけて目を輝かせるゼフィアーの後を、レビが目を回しながら追いかける。ゼフィアーの方が年齢はいくつか上のはずだが、商館内においては、一時的に立場が逆転していた。
ディランは二人をほほ笑ましく見守って、少し離れたところからついていく。けれど、その途中で呼びとめられた。
「ディラン、だったか。少しいいか」
覚えのある声に振り返れば、柱の陰に仏頂面の男が立っている。商会の中では珍しく体格のいいダンは、今はひとりでそこにいた。呼ばれたディランは、おぼろげながら用事を察して、彼の方へ足を運ぶ。
レビとゼフィアーの二人が心配になって視線を向けてみたが、見たところ、上手くお互いを御しつつ見学しているようだ。しばらくは放っておいても大丈夫だろう。
ダンのもとへ行くと、彼はいきなり口を開いた。
「『烈火』と最後に会ったのはいつだ?」
突然の質問に驚いて、ディランは一瞬固まった。けれど、頭の中ではすぐに数字を弾き出す。
「ええっ、と。一年半くらい前、ですかね。しょっちゅうは帰らないんです」
「そうか」
ダンはいいとも悪いとも言わなかった。顔を背けてぼそりと返事をする。あまりにも無愛想で、ディランは困惑した。黙って、話の糸口を探す。
だが、ディランの方が何かを切り出す前に、再びダンが口火を切った。
「そのとき、首領は変わりなかったか」
いつも通りだ――と反射的に答えかけて、ディランは口を開いたまま固まった。喉元まで出かかった答えが、音にならずに消えてゆく。目の前の男の言葉が、にわかには信じられなかった。
「首領って、まさか」
「あんたの考えているとおりだ」
ダンはうなずき、腰の袋をまさぐる。
ややして掲げられた手の中には、古びた赤銅色の首飾りがあった。
「俺はもともと、『暁の傭兵団』の一員だった」
確かに、商会には似つかわしくない男だと思った。
けれど、まさか、よりにもよって、あの傭兵団にいた者だとは、予想もしていなかった。
張りつめた声の応酬がやまない商館の中で、二人のまわりだけが切り取られたように静かだ。ディランは言葉を探しながら、とにかく口を開く。
「そ、それっていつのことですか? あと、なんで今は『希望の風』に……」
湧き出てきた疑問をとっさにぶつけると、男はわずかに顎を動かした。
「七年半ほど前に、傭兵団を抜けた。ラッド会長からやたら気に入られてな。うちには戦える者がほとんどいないから、専属の警備員にならないかと言われた」
七年半、という数字にディランは目を見開く。――自分とほとんど入れ違いだったことに気づいて、驚いたのだ。
「……俺は、殺しが苦手だった」
ダンが目を伏せる。声音も重くなった。
ディランは何も言わず、ただ話に耳を傾ける。
「苦手というより、殺せなかった。だから何度も死にかけて、仲間を危険にさらしたこともあった。それでも、俺を救ってくれた首領に恩返しがしたくて、留まり続けていた。
正直、ラッド会長の話を聞いたときには、迷った。警備員なら殺しの必要はないから、俺にとってはちょうどいい仕事だ。そう思う一方で――恩を返しきれていない、と感じる自分もいた」
低い声は、淡々と過去をなぞる。男の瞳はどことなく暗い。
けれど、次の瞬間、ふいに声色が明るくなった。
「俺の背中を押したのは、ほかならぬ首領だった。
俺は悩みに悩んだすえ、あの人に相談した。そうしたらあの人は――なんと言ったと思う?」
問いかける口が、笑みの形に吊り上がる。ディランが初めて目にする、彼の微笑だった。
「『おまえに傭兵は向いてない。とっとと日向に行っちまいな』」
ダンは、似つかわしくないさっぱりとした口調で言う。
低い声に、快活な女の声音が重なったように、ディランには思えた。そして、ついつい声を出して笑ってしまう。
「はは……なんというか、師匠らしいな」
「そうだろう。しかも、満面の笑みでこれを言った。今後に悩んで沈痛な顔をしている若造に、笑顔で『出て行け』と言ったのさ、首領は」
ひどいだろう。ダンはそうおどける。けれど、ディランはそうは思わなかった。ダンも、心からそう思ってはいないだろう。
辛辣で痛烈な、短い言葉は――彼女なりの気遣いなのだ。殺しができずに思い悩むダンに、『殺しなんてしなくていい、恩返しもしなくていいから、もっと明るいところで生きろ』と、そう言いたかったのだろう。だが、ありのままの思いは言わない。それが『烈火』と呼ばれる女傭兵のやり方だ。
「ほんと、師匠はずっと変わらないんだな」
ディランは呟く。それを聞いて、ダンも眼差しを緩めた。
「あんたも散々洗礼を受けたみたいだな」
「それはもう。毎日が過激でしたよ。俺がもうちょっと小心者だったら、泣いて逃げだしてたかもしれない」
でも――と、ディランは笑う。
「毎日が楽しくて、温かかった。厳しかったけどそのぶん、たくさん大事なものをもらって、ここまで来てる」
やわらかく、朗らかに、言葉を繋ぐ。最初の質問の答えだ。
「師匠はいつも通りですよ。いつも通り元気で厳しくて、温かい。今もきっと、変わってないです」
だからこそ彼女の率いる傭兵団は、『暁の傭兵団』たりえるのだ。
彼女こそが、人々の心に夜明けのような光をもたらす存在だから。
ダンは答えを得ると、満足そうにうなずいた。
「そうか。それはよかった。
――もしも、また首領に会うことがあったら、よろしく伝えておいてくれ」
「わかりました」
ディランは神妙な顔で応じる。それから、ふっと相好を崩した。今しがた思いついた言葉を、おどけて付け足す。
「一戦交えた後に、伝えておきます」
短いの沈黙の後、ダンが声を立てて笑った。




