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永遠の青  作者: 蒼井七海
第一部 世界の脈動
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14.夜空と道に光が射して

「奇妙なことになったな」

 呟いて、ディランは座ったまま空を見上げた。

 欠けた月は、いまだのんきにそこにいて、闇に沈んで黒々としている森に淡い光を注いでいる。そしてディランの後ろでは、か細い焚火が燃えていた。毛布と上着にくるまる子どもたちを振り返り、彼は苦笑する。

「こいつら、さっきは元気よく話し合ってたけど、どこまで俺についていく気なんだろう」

 彼らが本気だったことはわかっている。その気持ちはとても嬉しいと、思っていた。しかし一方で、無理に自分の事情に巻き込みたくないという思いも、またあるのだ。

 ディランはかすかなため息をこぼし、剣を抱えた。淡い橙に照らされる地面を見る。けれど、すぐに伏せた顔を上げた。

 遠くから、何かが聞こえてくる。

「……なんだ?」

 ディランは不審に思いつつ、耳を澄ました。

 草葉のこすれ合う音。かすかに響く風の音。鳥獣の鳴き声。

 それらに混じって、別の音が流れてきた。

 まるで子どもが騒いでいるような声と――これは、鈴の音か。

 意識をそちらにひかれたディランは、ふらりと立ち上がりかけて、我に返った。慌てて座り直し、首を振る。今は見張り中だ。勝手に場を離れてはいけない。

「妙だな……妖精でもすんでるのか?」

 ディランは眉間を押さえてうめいた。今の感覚は、まるで目に見えない何かに惑わされたかのようだった。何年か前にしつこく聞かされた、妖精のおとぎ話を思い出す。小さな少女の姿をし、薄羽をはばたかせて飛びまわる妖精は、時折、遊びと称して人を惑わしからかうのだ。

「妖精がどうかしたのか?」

 ふいに、後ろから声がする。合わせて聞こえる布がこすれる音に、ディランはゆっくり振り向いた。ゼフィアーが起き上がり、上着と毛布を畳んでいるところだった。

「ゼフィー、起きたのか」

「そろそろ交代の時間だろう」

 ディランは、驚きをかみ殺してうなずいた。あれこれ考えごとをしているうちに、思いのほか時間が経っていたようだ。一方ゼフィアーは、なぜか渋い顔をしている少年を見て、首をかしげた。小走りでディランの方に歩み寄る。

「どうした? もしかして、記憶のことを考えていたのか?」

 ディランはすぐに首を振った。

「そうじゃない。けど、さっき変な音が聞こえた」

「変な音」

 ゼフィアーは言葉を繰り返すと、夜の森に耳を傾けた。しばらくそうして――目を見開く。

「これは……」

 驚いたように、あるいは感嘆するように、呟いた。少女のそんな声を初めて聞いたディランは、目をみはる。すると彼女はディランの目を見て、楽しそうに笑った。

「気になるか。ならば、行ってくるといい」

「は? でも」

「心配するな。見張りは私がするし、見に行ったところで帰ってこられなくなるようなものでもない」

 少年の声をさえぎる少女は、相変わらず楽しそうだ。それどころか、悪戯心すら見てとれる。明らかに何かを隠していることに気づいて、ディランはうさんくさい、とでもいうような視線をゼフィアーに向けた。

「ゼフィー、おまえ、何を知ってるんだ」

 なんのかの言いつつ素直な少女はけれど、このときは秘密を秘密のままにした。口に人差し指を当て、思わせぶりにほほ笑んでいる。

「あえて言わぬ。実際に見てからのお楽しみ、というやつだ」

 琥珀色とも金色ともとれる不思議な瞳が、ちら、と光った。


 夜の森は変わらず暗いが、月明かりのおかげで道は見失わなかった。

 けれど、音のする方へ近づくにつれ、不自然に森が暗くなっていく。不気味な変化に気づいたディランは、苦々しい思いでいた。ゼフィアーが「帰れなくなるようなものではない」と言っていたので心配していなかったが、はたしてこのまま進んでよいものか。

 悩みながらも、体は動く。音はだんだん鮮明になってきた。


 しゃん、しゃん――


 聞こえてくる音は鈴に似て、けれど違うものだとディランは察した。ならば何か、と問われても、首をかしげるしかないのだが。

 もうどうにでもなれ、という気分で、ディランは藪に手をかける。草木を一気にかきわけると、ひらけた空間が見えた。何も考えず踏みこむと、あたりが突然明るくなった。何事かと見上げて、言葉を失う。

「なっ……」

 光だ。

 木々の居並ぶ空間をうめつくすように、無数の小さな光の球が舞っていた。黄金色の光は、蛍のように瞬いて、ひゅんひゅんと、あるいはふわふわと、宙をさまよっている。耳をそばだててみれば、子どものはしゃぎ声のようなものも、この光の方から聞こえていた。

 ディランが呆然としていると、光のささやきが一瞬止まる。

 こちらに気づいたか。思って、ディランは身構えた。けれど、光は何をするでもなく騒ぎはじめる。むしろ、先ほどより声が大きくなった。いくつかの言葉が拾えるほどに。

『人間? 人間?』

『森に人はいっぱい来るわ。けど、ここに来るのは珍しい』

『小さな人間。不思議な人間。でも、つたえではない』

 きゃっきゃ、きゃっきゃと好き勝手に騒ぐ光たち。あまりにも不可思議な光景に、ディランは唖然とするしかなかった。自分が変なもの扱いされている気もしたが、いちいち質問している余裕などない。

 そうしていると突然――光の中心に、いっとう大きな光球が現れた。粒のように見えるほかの光より、ひとまわりかふたまわりは大きい。それが、やはり子どものような声を発する。

『眷族たち、あまり騒いでは人や獣に気づかれてしまうじゃないか。どうしたんだい』

 声変わりしていない少年のようだ。その声を聞き、光がくすくす笑いながら舞いあがる。

『あ、クレティオさま。ごめんなさい』

『でもクレティオさま、もう気づかれているわ』

『人でないような人が来ている』

 言われて、ディランはぎくりとした。逃げようかと考えているうちに、大きな光が明滅する。思わず目をつぶったディランの耳に、笑い含みの声が届いた。

『本当だ。人間が来るとはおもしろいね。君は物好きだ』

「不思議生物に物好きとか言われるとは思わなかった」

 思わず言葉を返してしまう。しまった、とほぞを噛んだがもう遅い。光たちが、しゃんしゃんと己を鳴らしながら笑う。

『物好きだよ。普通の人間は、僕らを妖精とやらと勘違いして寄りつきもしない。どうしてここへ来たんだい』

 ディランは息をのむ。ゼフィアーに言われるまで、妖精か何かがすんでいるのか、と考えていた自分の内心を見透かされたかのようだった。どうして、という質問に少年が答えないままでいると、光は勝手に続けた。

『ああそうか。きっとつたえが導いたんだね。本当に、不思議な人間』

 光はふわりと浮かび上がった。そのまま前へ向かって飛んで、ディランのまわりをくるくる回る。すでに目が回りそうだったディランは、けれどその光を追いかけた。

「なっ……。なんなんだ、あんたら」

『それは知らない方がいい。少なくとも今はまだ。君が伝に導かれたというのなら、真実に触れる日がくるはずだよ』

「言ってる意味がわからない。だいたい、伝ってなんだ」

『知らないの? そうか、昔の人も名は知らなかった。今の人は存在すら知らないか』

 言い終えるなり、大きな光はふわりと舞って、仲間のもとへ戻る。結局、質問には答えてくれなかった。ディランが苦い顔をしていると、光たちはくすくす笑った。悪意がないのが、かえって腹立たしい。

『難しく考えることはない、不思議な人間。いずれ知ることになるからね。それに、僕らは世界中を飛び回っている。また巡り会うことも、あるだろう』

 ――その言葉が、まるで合図だったかのように。

 光たちは、一斉にとびあがった。高く高く舞い、星の群のように輝いて、遠く夜空へ消えていく。鈴の音も、はしゃぐ声も、一気に遠ざかっていった。

 闇が、戻ってくる。

 耳が痛くなるほどの静寂の後、世界は音を取り戻した。ほのかな月明かりに包まれる森の中、ディランは頭を抱えてため息をつく。

「なんなんだ、あれ。化かされた気分だ……」

 疲れをにじませ呟いて、少年は踵を返す。今までと変わらぬ森林の道をとぼとぼと引き返した。


 翌朝、三人は再び森を進み始めた。何事もなかったかのように。

 けれど、そのさなか、ディランはゼフィアーのスカーフをちょいちょい、と引っ張って呼びよせる。

「む? どうした、ディラン」

 内緒話と察したのか、少女の声は初めから潜められていた。物分かりがよくて結構だが、それでディランの気が休まるはずもない。昨日の非現実的な光景を思い出し、彼は剣呑な雰囲気で問いかけた。

「本当におまえ、何を知ってるんだ」

「何がだ」

「昨日のあれだよ」

「――ああ、あれな。きれいだったろう?」

 さらりとかわされた。ディランは頬をひくつかせる。

 出会ったときから変わった奴だと思っていたが、まさかこのような嫌らしい一面があるとは思ってもみなかった。悪戯好きの幼子のようなふるまいを意外に思いつつ、さてどうしようか、とディランは頭を悩ませた。

 ゼフィアーがそんな一面を見せ始めたのはまた、彼に心を開きつつある何よりもの証拠なのだが、遠回しな好意を向けられている本人というのは意外と気がつかないものである。

 ともあれ、二人が額をつきあわせてこそこそ話していると、当然、不審に思ったレビが割り込んできた。

「何をしてるんですか、二人とも。何かの悪だくみですか」

「む、レビ。――そのとおりだ。絶対、表ざたにできない秘密のお話なのだ」

「違うだろ。勝手に事をややこしくするな」

 胸を張って意味のわからないことを言うゼフィーの頭を、ディランは軽く小突く。少女はわざとらしく痛がったが、あえて知らないふりをした。奇妙な二人のやりとりに、レビは首をかしげていたが、そのうち考えるのをやめたらしい。彼らの「漫才」を受け流して、話題を変えた。

「それよりも、ほら。出口が見えてきたみたいです」

 レビの言葉につられ、前を見てみると――確かに、遠くへのびる木立の先から、白い光が差し込んでいた。かすかに、冷たい風も流れてくる。

 ゼフィアーが歓声を上げた。

「出口だ!」

「やれやれ、ようやくか」

 肩を回したディランは呟く。疲労感の漂う態度とは裏腹に、顔には笑みが浮かんでいた。彼はそばの二人を順番に見やって、彼らがうなずくのを確かめると、鼓舞するように剣の柄を叩いた。

「さ、カルトノーアはすぐそこだ。気を引きしめていくぞ!」

「うむっ」

「はい!」

 力強いいらえがある。ディランは心からの笑みをこぼした。

 なんだか、変な気分だった。

 嫌なことも不思議なこともあったはずなのに、それがどうでもよくなるほど高揚して、安心している。自分のことを話したからだろうか。気づけば、襲われる前に感じていた変な迷いは、もうすっかり、どこかへ飛んでいってしまっていた。こんなに清々しい気持ちになるのは、初めてかもしれない。

 ゼフィアーとレビの驚いた顔には気づかず、そんなことを考えていた。


 そして彼らは、森の外へと踏み出していく。

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