真夜中の思い出話
「……ふふっ」
パーティーの日の夜。私は自室で久々に自分で飲む為だけにコーヒーを淹れ、ゆっくりとその味を楽しんでいた。
「しかし、年甲斐もなくはしゃいでしまいましたね……。明日からは、また気合いを入れないと」
今日のパーティーでは、まるで学生時代に戻ったかのように楽しんでしまった。まあ、それがお嬢様方の望みだろうし、今日くらいはいいけれど。
この星之宮家でメイドを始めて約5年。今日まで休みらしい休みは全くとらずに突き進んできた。自分としてはそれを後悔なんてしていないし、これからも続けるつもりだ。……でも、今日の一件で、私のことを気遣ってくれている人が大勢いるという事も、知ってしまった。
「はぁ……。中々難しい所ですね、これは。ふふっ……」
これからは、少しだけ自分のことも考えてみよう。……上手くできるかは分からないけれど。
飲み終わったコーヒーカップをコトンと机の上に置く。……寝る前に、キッチンで洗ってこようか。そう思い再びコーヒーカップを手に取り、椅子から立ち上がろうとしたその時――
――コンコンッ
私の部屋のドアを叩く音が聞こえた。時刻はそろそろ日付が変わろうかという頃。いったい、どなたがいらっしゃったのでしょうか……。
「間宮―、居るー?」
「……お嬢様?」
普段ならばとっくに寝ている時間なのに、どうしたのだろう……。とりあえずドアを開け、お嬢様を部屋へ入れる。まだ秋とはいえ、この時間では流石に冷えるだろうし。
「どうされたのですか? もう遅い時間ですが……」
「えへへ……。なんとなく眠れなくって、ね。ちょっとしたら戻るから、いいかな?」
「ええ、構いませんよ。明日もお休みですし、多少の夜更かしくらいは大目に見ましょう」
「やったっ! ありがとね、間宮っ」
……なんだか、昔を思い出すやり取りだ。昔、まだ私もお嬢様もこの星之宮家に来たばかりだった頃にも、夜中にこの部屋にお嬢様が訪れてきたことがあったのだ。
「何か飲みますか、お嬢様?」
「うーん、そうだなー……。じゃあ、ココアとか飲みたいかな?」
「了解です、お嬢様。しばしお待ちください」
お嬢様の為に、一度キッチンに飲み物とお菓子を取りに行くことに。
「そういえばあの時も、同じようにココアを所望されましたね……。ふふっ、懐かしい……」
キッチンへの道すがら、前に私の部屋にお嬢様がいらっしゃった時のことを思い出す。……思えばあの時のやり取りが、今の私の大切な原動力の一つになっているのかもしれない。それほどに、私にとっては大事な夜だったのだ。
*
「その、間宮さん。今、大丈夫ですか……?」
「お嬢様? ……ええ、大丈夫ですよ。……珍しいですね、こんな時間に」
これは、お嬢様がこの星之宮家に来てひと月ほど経った頃の、満月の夜のこと。今よりもずっとおとなしい様子の、少し弱々しくすら見えるお嬢様が、一人私の部屋を訪れてきた。
「えっと、その……。なんか、眠れなくって」
「そう、ですか。なにか、ありましたか……?」
「いっ、いえ。そういう訳じゃないんです。……ただその、まだあんまり慣れなくって」
……今にして思えば、この頃の私の発言は色々と配慮に欠けていた気がする。まあ、まだメイドという職自体も始めたばかりの頃で、あまり勝手が分かってなかったのはあるけれど、それにしたってこの発言はちょっとダメだろう。
「慣れない、ですか?」
「はい。……まだ、自分の部屋、って感じがしないんですよね。その、凄すぎて」
「ああ、なるほど……。それは、確かにあるのかもしれませんね……」
ついひと月前までごく普通のアパートで奥様と二人暮らしをしていた訳なのだし、まだ環境の変化に慣れ切っていないのだろう。私でさえこの家のスケールの大きさや豪華さにはまだ慣れていない頃だったのだし、お嬢様くらいの年頃ではなおさらだろう。
「ですよね……」
「その、お嬢様。もし勘違いでしたら申し訳ないのですが……。他にも、なにかありましたか?」
この時私は、お嬢様が何かしらの隠し事をしていると直感的に察し、思い切ってお嬢様にそう質問してみた。……今でも上手く言えないけれど、なんとなくそういう表情をしていたのだ。
「えっと……。あはは、間宮さんに隠し事はできないですね……」
お嬢様は苦笑しながらそう言った後、ポツリポツリと最近の悩みを私に話してくださった。
「私、今の学校が正直ちょっと苦手で。……私みたいな人は全然いないし、なんか高圧的な人が多いし」
お嬢様がこの春から通っている学校は、日本でも有数の私立校だ。しかもお嬢様はその中でもトップクラスの金持ちの子女しか通えない特別クラスに通っているが、やはりそういう所にいるクラスメイトはお嬢様とは見てきた世界が違う。……中々反りが合わないというのも、仕方ない話なのかもしれない。
「でもね。……最近、友達ができたんだ。ちょっと変わった子だけど、すっごい良い人でね。……私のこと、助けてくれたんだ」
この“友達”というのがイネス様であることは、私はおよそひと月後に知ることになる。
「それは、良かったですね。しかし、でしたらなぜ……?」
学校が苦手なのは分かるけど、それでも友人ができたのならそれも乗り越えていけるはずだ。……なのになぜ、今のタイミングで眠れなくなってしまったのだろうか。
「その……。ちょっと怖くって。私、ちゃんとあの子と仲良くできるのかな、って」
私も、その気持ちは分かる。……私も、先輩と仲良くなったばかりの頃は、同じことを思っていたから。
「その気持ちを忘れなければ、大丈夫ですよ」
「そう、なのかな?」
「はい。仲良くしたい、という気持ちを忘れずにいれば、きっと大丈夫です。――私も、そうでしたから。それに、まだお嬢様はお若いですから。……いつかきっと、沢山のご友人ができていますよ」
*
「――あはは、そんな話もしたっけ。……まさか本当になるなんてねー」
「ふふっ、だから言ったでしょう」
ココアを飲みながら、お嬢様と昔話に華を咲かせる私とお嬢様。正直あの頃は希望的観測を込めての発言だったけれど、ここまで言った通りになるとは。……本当に、幸せそうで良かった。
「それにしても、お嬢様。……今日はどうして眠れなかったのですか?」
「えっと、その……。別に、眠れなかった訳じゃないの。――間宮と、久々にゆっくり話したかったんだ」
恥ずかしそうに顔を赤らめつつ、はにかんでそう言うお嬢様。……見ているこちらが不覚にもドキドキしてしまう程、魅力的で可愛らしい表情だ。
「ねえねえ、私まだ話したいこといっぱいあるんだ。……その、ダメかな?」
「ふふっ、あと一時間くらいなら、許可しますよ。……私も、久しぶりにお嬢様とお話ししたいですから」
「やったっ! えっと、実はこの前あっくんとね……」
――結局、この一時間という約束は守られず、私たちが眠りについたのは深夜三時を過ぎた頃だった。でも、まあいいかと思えるくらいに、とても楽しい時間をだったのは間違いない。
……それこそ、昼のパーティーと同じくらい、忘れられない出来事になったと言えるくらいには。




