幕間 イネスの逢瀬
「お久しぶりです、レオン様。……お待ちしておりました」
「ああ、久しぶり、イネス」
夏休み最後の日の夕方。ワタクシの家にレオン様がいらしてくださった。
レオン・ブルゴーニュ様――ワタクシの許嫁にして、恋人である御方。少し前までは彼に複雑な感情を募らせていたけれども、前回の一件のおかげで前に進むことが出来た。最近は頻繁にメールのやり取りをしているし、お互いの予定が合った時には必ず電話で声を聞き合うようにもなった。
「……少しお疲れのご様子ですね」
「まあ、仕事を一通りこなして来たからね。それなりには疲れたさ。……もっとも、君とこうして直節会えただけで、十分報われたけれどね」
「……もう。レオン様は相変わらずですわね」
今までよりも近い距離間で言葉のやり取りをするようになって気づいたのは、レオン様は意外と恋愛ごとに関しては天然な一面があるということ。それこそ、今の発言がいい例だ。取って付けた言葉のように聞こえるかもしれないが、別に気障なことを言おうとして言った訳ではなく、自然と出た言葉なのだ。
……なんでしょう、どことなくアキラを思い出しますわね……。彼もクリス相手に、無自覚にとんでもないことを言ってクリスをよく赤面させてますし。ひょっとして、意外と似た者同士かもしれませんわね、この二人。
「……ん? どうかしたかい?」
「いえ、なんでもありませんわ。……さあ、早く上がってくださいな。ナタリアが簡単な軽食を作って待っていますわ」
レオン様は、3時間後には空港からプライベートジェットでフランスに帰国される。本当なら会えないはずの緻密なスケジュールだったのに、無理をして時間を作ってくださったのだ。……そんな大事な時間、一刻たりとも無駄にしたくない。
*
リビングにてナタリアが用意した軽食を二人で摘まみながら、他愛もない話に華を咲かせる。……少し前まではあり得なかった光景だ。
「……そう言えば、友人たちと合宿を行ったと言っていたね。……楽しかったかい?」
「ええ、もちろんですわ。……まあ、少々色々ありましたが……」
主にアキラとクリスの告白劇のことだが。あれは、正直かなり大変な出来事だった。普通に花火の下で普通に告白すればいいものを、なんの気の迷いかあんなことをして。そのせいで、後始末がかなり面倒なことになってしまった。……まあ、同じような状況にワタクシが置かれた時に同じことをしない保証は全くないし、クリスを責める気はさらさらないのだけれど。
そんな合宿での一幕を、かいつまんでレオン様に話してみると、案の定いつもの優しい笑顔を浮かべてくれた。
「ははっ。それはまたなんとも大変だったな」
「まあ、そうですわね。……ですが、二人ともワタクシの大切な友人ですもの。二人が困っているのなら、ワタクシはいくらでも助けますわ」
それは、ワタクシの嘘偽りのない本音だ。
「君らしいな。……少し、妬いてしまいそうだけれどね」
「……そんなこと言わないでくださいな。ワタクシが恋焦がれているのは、あなた様だけなのですから」
「そう言ってくれると嬉しいよ。……すまないね、イネス」
「……どうして謝るのですか、レオン様?」
悪い事をしたのはむしろワタクシの方だ。せっかく恋人同士二人きりでいるのに、他の友人の話をしたりしたのはワタクシの方なのだから。
「やはり、まだまだ君の口から僕の知らない名前が出てくると、どうしても妬いてしまうんだ。……僕の方が年長者で、大人だというのにね」
「はぁ。……レオン様は大事なことに気付いておられませんね」
「と、いうと?」
「どちらが年長者だとか、そんなことは恋愛においてはどうでもいいではありませんか。年長者だからって、無理をしないでください。……ワタクシはどんなレオン様でも、愛しておりますから」
確かにレオン様は魅力的な大人の男性だ。フランスの社交界でも大々的に活躍しているし、彼の実家の仕事においてもかなりの実績を残しているらしい。……でも、そんなことはワタクシにとっては彼の魅力の内のほんの些細な部分でしかないのだ。
「……ふっ。やはりこと恋愛においては、君の方がよほど大人なようだね。確かに、君の言う通りだ。僕だって、君を許嫁にする時に、家柄や立場は一切気にしなかった訳だしね」
「それは流石に過大評価ですわ。……ワタクシなんて、まだまだ子供ですわよ」
それこそ、クリスやホタルの方がよほど大人だろう。ワタクシなんて、大人な振りをしているだけ。本音で言えば、いつも恋人同士でいれるクリスとアキラを羨ましいと思っているし、ホタルのように片想いの相手の未来を真剣に案じたりはできないだろう。
そんなことを考えてしまい、少しばかり表情を暗くしてしまったその時、唐突にレオン様がワタクシを抱きしめた。
「え……? ど、どうしたのですか?」
「いや、少し落ち込んでいるようだったからね。……嫌だったかい?」
「まさか。そんなわけないじゃありませんか」
かなり驚きはしたけれど。……でも、想い人に抱きしめられて嫌な訳がない。
「僕も君も、こういう恋愛ごとにはまだまだ疎い。……だから、一歩ずつ歩んでいこう。別に無理に周りに合わせる必要なんてない訳だからね」
「……ええ、そうですわね。焦らず、ワタクシたちらしく歩んでいきましょう」
許嫁という関係は長かったけれど、恋人となってからはまだ二ヶ月ほどしか経っていないのだ。お互い初めての恋人であることだし、ゆっくり、着実に仲を深めていければいい。そうワタクシも思っていたのだけれど、……良かった、レオン様も、ワタクシと同じ考えでいてくださっていた。
「……そろそろ、空港に戻らないといけない、か」
「もうそんな時間ですの?」
時計を見れば、確かにそろそろ時間だった。……やはり、こういう時間は経つのが早い。
「また、向こうに戻ったら電話するよ。ただ、もう今年いっぱいはフランスにこもることになりそうだから、会うのは先になるかもしれないが……」
「大丈夫ですわ。……ワタクシにも、考えがあるんですの」
その考えを、レオン様に話してみる。まだ計画段階で、他の誰にも相談していないけれど。でもまあ、多分誰も反対はしないだろう。
「――それは、とてもいい案だね。決まったら言ってくれ、準備して待っているよ」
「ありがとうございます、レオン様。あなたにそう言ってもらえて嬉しいですわ」
これで心おきなく計画出来るというものだ。手始めに、近いうちにクリスに相談してみましょうか。
「じゃあ、今日はこの辺で。……また会おう、イネス」
「ええ、また。――おやすみなさい、レオン様」
そう別れの挨拶を交わし、レオン様はこの家を後にした。
「……さて、そろそろ寝ませんと」
明日からはまた学校なのだ。流石に寝坊する訳にはいかない。……しかし久々の逢瀬のせいか、どうにも寝付くまでに時間がかかってしまった。
このせいで翌日の朝、化粧で隠したはずの目の下の隈をクリスにあっさりと見破られ、色々と追及を受けてしまったのは言うまでもない。




