一つの恋が終わる夜
「……疲れたな」
一日の仕事を終え、部屋に戻る。最初の頃に比べれば大分慣れたけど、体の疲れ具合は相変わらずだ。だから、部屋に戻ったらいつもすぐに寝る。……色々やりたいことはあるけど、朝も早いししょうがない。
「ただいまー」
別に誰がいる訳でもないけど、そう独りごちてから自室に入る。当然、誰からも返答はない……
「あ、お帰りなさい。……センパイ」
「……なんでここにいるの」
何故か、八橋さんが部屋の中にいた。……しかも、ベッドの上に正座して。
「あー、えっと。……クリスセンパイに鍵を借りまして。ちょっとだけ、話をしたいことがあって」
なにしてんのあのお嬢様。……まあ、二人とも悪気はないんだろうけどさ。
「話って……? というか、だからって女の子が男の部屋に忍び込むなんて変な意味にとらえられてもしょうがな――」
「……その、変な意味で忍び込んだ、って言ったら、どうしますか……?」
……え、それって……?
「えっと、八橋さん……?」
「えと、あの……その。……うー、察してくださいよ……」
なにその反応。
――え、マジですか?
「まあ、いいです。センパイがそういうの鈍いの分かってましたし」
若干あきれ顔でため息を吐かれた。……全く自覚なかったけど、俺ってそういうの鈍いんだ……。
「あの、つまりそれって……」
「まあ、想像してる通りだと思いますよ。だけど、せめてそれくらいはアタシの口から言わせてください」
顔を真っ赤にして、すぅはぁと深呼吸している。……そんな姿を見せられたら、これから何を言われるのかなんて嫌でもわかる。
「その……、晃センパイ。もう、流石に分かってるとは思いますけど。――好きです。うん、好きです。……アタシを助けてくれたあの時から、ずっと」
真っ赤な顔で、涙ぐみながらではあるけど、八橋さんはそう言いきった。
「センパイは、アタシのこと、どう思ってますか……?」
……これは、答えないわけには行かないよなぁ……。いや、答えられない訳じゃないんだけど。俺の正直な気持ちを八橋さんに言ってしまっていいものなのか。
「……えっと」
「いいにくいとか、そんなこと考えなくて良いですよ。……アタシだって、気づいてますし」
……前に、イネスさんが言ってたっけ。「アキラは分かりやすい」とかなんとか。……まあ、つまりは、そういうことなんだろう。なら、ちゃんと言わないといけない、か。
「……うん。じゃあ、言うよ」
「……はい」
言う内容はすぐに決められたのに、中々口から出てこない。今までこういう事を経験したことなかったけど、こんなにも緊張するなんて。……新しい発見だ。
「……ごめん。俺も、好きな人がいるんだ」
「……クリスセンパイ、ですよね」
さすが、やっぱりお見通しだったようだ。……ここまでだと、逆になんでクリス本人には気づかれてないんだろう?
「うん。……まあ、告白できるわけじゃないから、諦めた方がいいんだろうけどさ。でも、それでもほかの人と付き合う、とかは……、まだ、できない」
いつまでもこんなんじゃダメなのは分かってるけど。でも、せめてクリスと一緒にこの屋敷にいる間くらいは、この気持ちと向き合っていたい。……我ながら甘えた考え方だとは思うけど。
「……はい。――ま、分かってましたけどね。晃センパイがそう答えることくらい。……でも、この気持ちに一区切りつけたかったんで。だから、これでいいんです」
言いながら、八橋さんはボロボロ泣いていた。……間違いなく、言葉通りの感情ではない。でも、そう言わないと自分でも耐えられないんだろう。
「ごめん」
それしか言えない。それ以上のことは、言っちゃいけない。どんな理由があったとしても、俺が八橋さんの気持ちを断ったことには変わりないのだから。
「いいですよ、別に。むしろそんな状態で“はい”って返される方が辛いですし」
あはは、と力なく笑う八橋さん。涙は収まっていたけど、泣き腫らした目が痛々しい。
「でも、別にクリスセンパイへの気持ちを封印する必要はないんじゃないです?」
「いや、そういう訳にはいかない……、と思う。俺は従者で、クリスはお嬢様なんだし」
この身分の違いばっかりはどうしようもない。どれだけ俺がクリスのことを好きでも、俺にクリスと付き合う権利はないんだ。
「あー、なるほど……。そういうことですか……」
「なんでみんなそういう反応なの……?」
イネスさんも間宮さんも俺にそんな反応してたけど。いったい何が「そういうこと」なんだ……?
「いやぁ、まぁ。あの話知らないのかー、って思いまして」
「……あの話?」
なんのことだろう? 少なくともそれっぽい話をきいた覚えはない。なんで俺も知らない話を八橋さんが知ってるんだろう……。
「ま、アタシからはなんも言わないですけど。でも、早めにお話を聞いた方がいいと思いますよ。……クリスセンパイの為にも」
「えっと、誰に?」
「聞けそうな人に、ですかねー」
聞けそうな人……間宮さん、かな?イネスさんは知ってるか怪しいし、旦那様とかに聞く訳にもいかない。となると、間宮さんが妥当なとこだろう。
「じゃ、アタシは部屋に戻りますね。明日は学校ですし。……それじゃ、おやすみなさい、センパイ。その……できれば、明日からも普通に接してくれると、嬉しいです」
ゆっくりとドアの前に移動しながら、八橋さんはそう言った。少なくとも俺には、いつも通りの八橋さんの声に聞こえた。
……普通に接して、か。つまりは、明日からも八橋さんは俺に普通に接するつもり、ということだろう。できるかできないかは別にして、そうするつもりでいるのは間違いない。……すごいな、八橋さん。俺にはできる気がしない。でも、可愛い後輩のお願いなわけだし、どうにか頑張らないとな。
「うん、そうするよ。……おやすみ」
そっとドアを閉め、八橋さんは部屋に戻っていってしまった。
――さて、寝ないと。
いくら色々あったとしても、従者の仕事は待ってくれないし、休むこともできない。だから、多少無理矢理でも寝ないと。
「……まったく眠くない……」
まあ、だからって寝れるわけもなく。結局眠りについたのは、起きるべき時間のわずか一時間前だった。




