クリスマスイブの昼下がり
「あー……。もうくたくたですわ……」
「ウワサ通り、とんでもない数展示されてるんだね……。もう目が回りそうだよ……」
ルーブル美術館を訪れてから約3時間。館内にあるカフェでクリスとイネスさんが疲労のあまり情けない声を上げながらテーブルに突っ伏していた。仮にも巨大グループの社長令嬢とフランス貴族の一員という超上流階級に属する人たちとは到底思えない姿だ。……まあ、今この場でそれを知っているのは俺だけなんだから、気にするだけ損ではあるんだろうけど。
「ほたるちゃん、あとどれくらいしたら戻ってくるかな……」
「どうでしょう……。まだまだ余裕そうにしていましたし、しばらくは帰ってこないかもしれませんわね……」
二人の発言の通り、八橋さんはまだ一人で展示品を見学しに行っている。クリスとイネスさんが既にギブアップしてしまっているというのに、凄い体力だ。まあ、元々始めから他の皆よりも興味津々な様子だったし、まだまだ見たいものがいっぱいあるんだろう。
「っていうかそもそも、一人で大丈夫なのかな」
「まあ、それは大丈夫だと思いますわよ。地図もありますから迷うことはないでしょうし、荷物はワタクシたちが預かってますのでスリの可能性もありませんし。心配なことと言えば、展示物を見ることに夢中になりすぎて時間を忘れてしまわないかどうかくらいですわね」
「それこそほたるちゃんなら大丈夫でしょ。ほたるちゃん、約束は守る子だし」
ですわね。とクリスの意見に同意するイネスさん。実際、八橋さんは自分の意思で自由奔放に行動することが多いけれど、一度決めた約束事を破ることは余程のことがない限りしない子だ。だからまあ、イネスさんの心配はそこまで気にする必要はないだろう。
そう話がひと段落したその時、テーブルの上に置いてあったイネスさんのスマホが静かに震えた。
「……おや、メッセージのようですわ」
そんな一言と共にスマホの確認をするイネスさん。そしてそんなイネスさんの様子を見たクリスが急にニヤニヤした表情に変わった。
「ふふっ、イネスったら。どーせレオンさんからなんでしょ?」
「なっ、なぜ分かったのです……?」
図星だったようで、イネスさんが明らかに動揺した表情になる。……いやまあ、今のは俺でも察しがつくレベルでバレバレだったけど。なにせ、スマホを見始めた瞬間から、滅多に見せないような満面の笑みを顔に浮かべていたから。
「そりゃ、滅茶苦茶幸せそうな顔してたもん。私には最近そんな笑顔見せてくれないのに。もうっ、嫉妬しちゃうよっ?」
分かりやすく頬をプクーっと膨らませるクリス。イネスさんもそれが演技半分なのは分かってるようで、その頬を笑いながら指で突っついて遊んでる。なんとも微笑ましい光景だ。
「で、レオンさんからはなんて言われたの?」
「け、結局それは聞くのですね……。いえまあ、別に構いませんけれども。“もう少しで自分もルーブルに着く”とのことですわ」
「えっ! ってことは、レオンさんに会えるの?」
「まあ、そういうことですわね。元々は夜のクリスマスパーティーから合流する予定だったんですけれども、どうやら早めに予定が片付いたらしいですわ」
イネスさんからの予想外の報告に、自分もついびっくりしてしまった。イネスさんの婚約者であるレオンさんとはこの旅行中に会えることは分かってたけど、こんな唐突にその時が来るとは。イネスさんによると、イネスさんの家よりもずっと大きな家の長男だというし、普段お金持ちな人達に囲まれることに大分慣れてきた俺も今回ばかりは少し緊張してしまう。
「ふふっ、アキラったらそんなに緊張しなくとも大丈夫ですわよ? 確かにフランス貴族の中でも指折りの名家の方ですけど、レオン様は家の格や身分を気にするような方ではありませんから」
「それはそれで緊張するんだけど……。まあ、なるべく気にしないようにはしてみるよ」
イネスさんがここまで言うってことは、俺にも普通に接してくれるとても良い人なのは間違いないだろう。……でもそれは、俺相手でもまるで対等の立場かのように振舞ってくるということでもあるし。ありがたいような、かえって緊張してしまうような複雑な気分だ。
「私の本性も一発で見破っちゃったしね。なのに全然気にしなかったどころか、むしろ好印象だったみたいだし。……本当とんでもない人だよ、レオンさんは」
クリスのお嬢様モードが演技で見栄なことを初対面でいきなり看破できるとは、恐るべき観察力の持ち主だ。昔からの知り合いだった俺ですら、最初は演技だとは気付かなかったというのに。しかも今見せてるようないつものクリスを歓迎できる辺り、相当な寛容さと優しさを持っている人なんだろうな。
*
イネスさんがレオンさんにメッセージの返信をしていると、不意によく聞き慣れた声が近くから聞こえてきた。
「ふぅー……。満足満足ですっ。……アレ、どうかしましたかセンパイ方?」
その声の方に顔を向けてみると、言葉通り満足げな表情をした八橋さんが、空いている椅子に腰かけようとしていた。どうやら、お目当てのものは無事見ることができたらしい。
「ん? ああ、ほたるちゃん。お帰りー」
「ただいまです、クリスセンパイ。……えっと、なんかありました? なんか皆さん妙なテンションに見えるんですけど……」
「まあ、なにかあったというか、これからあるというか……」
その妙なテンションの理由を、代表して俺からかいつまんで説明する。
「――とまあ、それが理由かな」
「おおっ。ついに件のレオンさんに会える訳なんですねっ。あははっ、そりゃ確かにテンション上がっちゃいますね。アタシもずっと会ってみたかったですし」
説明を聞いた八橋さんもテンションが上がった様子。レオンさん、大人気だなぁ……。
「いま返信が来ましたわ。もう10分もしない内にここに来るそうですわ」
イネスさんの言葉を聞いて、またしても無意識に緊張してしまう。……別に緊張する必要がないのは分かってるけれど。
さて、イネスさんの許嫁であるレオンさん、いったいどんな人なんだろうか……。




