再会
「南雲晃。――私の従者になりなさい」
「……はい?」
目の前の彼女は一切の感情を殺した冷酷な表情でそう冷たく言い放った。なぜこんな事に待ってしまったのか。
発端は、二週間程前に遡る――
*
二週間前。俺のじいちゃんが死んだ。両親を早くに亡くし、ずっと二人で暮らしてきた、俺にとって肉親同然の存在だった。死因は老衰で、享年89歳という大往生だ。だから、これはしょうがない。もちろん悲しかったけれど、近いうちにこうなることは分かっていたし、それほどのショックはなかった。
問題は、この後だった。
「悪いね、晃くん。……でも、俺たちもこうしてもらわないと困るんだよ」
「……分かり、ました」
今まで一度もあったことのない遠い親戚。その素性もよく分からない人達に、ほぼすべての遺産を持って行かれる事になった。遺書を残していなかったじいちゃんが悪いといってしまえばそうかもしれないが、彼らの行動が道理や情に反した行為なのは明らかだった。しかしまだ未成年で、しかも頼れる人をほぼすべて喪ってしまった俺には、どうすることもできなかった。
必然俺は、今まで過ごしてきた家も、思い出の詰まった家財道具も、じいちゃんが大事に貯めてきたお金も、すべて失うことになった。残るのはひと月生きることができるかどうかというくらいの現金と、少しの衣類のみ。入学を目前に控えていた高校も、辞退をせざるを得なかった。先生たちもなんとかできないかと言ってくれたけど、学費の納入すらままならず、奨学金の返済も難しいであろう今後を考えると、断らざるを得なかった。
――そんな時だった。“あいつ”と再会したのは。
*
家を親戚に引き渡すまで三日を切ったある日の早朝。俺はインターホンの音で目が覚めた。……時刻はまだ朝の六時前。誰だろう――?
「はい、どちら様ですか?」
「――久しぶりですね、南雲晃。私を覚えているかしら?」
「……え?」
家のドアを開けるとそこには、まるでモデルのような綺麗な立ち姿をした一人の少女が、完全に感情を殺した無表情でこちらを見つめていた。その周囲には何とも怪しい黒服の屈強な男が数人と、古めかしいメイド服を着た女性が一人。男たちは皆サングラスをしていて表情は見えないが、メイド服の女性は目の前の彼女と同様無表情でこちらに目を向けていた。……正直、滅茶苦茶怖い。
先程の彼女の台詞から考えると、どうやら俺と彼女の間には面識があるようだ。だが目の前の彼女の印象に合致するような人物に知り合いがいた記憶はない。おそらく誰に聞いても美少女だと返ってくるだろう、日本人離れした長身と目鼻立ちのはっきりとした顔。一目でブランドものだと分かる高級そうな白のワンピースに身を包み、長い金髪をツインテールにまとめて――金髪?
「……クリス、か?」
「そう。不知火クリスです。――実に5年半ぶりでしょうか」
「お、おう……?」
――不知火クリス。俺の幼馴染だった、日米ハーフの女の子。この家のすぐ隣に住んでいて、いつも一緒に登下校をしていた仲だ。けれど小学校4年生の秋ごろに両親の離婚を機にどこかに引っ越してしまい、それからはずっと会っていなかった。つまりさっきクリスが言った通り、実に5年半ぶりの再会、という事になる。
だが、今目の前にいる不知火クリスは、記憶にある彼女の印象とはかけ離れた物だった。いつも元気いっぱいで天真爛漫、クラスや友人のムードメーカー的存在。それが俺の記憶にある不知火クリスだ。しかし、今目の前にいる彼女は俺のことを冷酷な目つきで見つめるのみ。正直言って、記憶の中の彼女と同一人物とは到底思えなかった。
「今日は、あなたに一つお願いをしに来ました」
「お、お願い?」
そこで、黒服の一人がクリスに半ば詰め寄るような勢いで近づいた。
「お嬢。本当にこいつで良いのですか。お言葉ですが、私には到底――」
「黙って。“私が決めたことに口を出すな“ お父様からもそう言われているはずですが?」
「……失礼いたしました」
お嬢、か。分かってたけど、今のクリスはかなりのお金持ちになっているようだ。
「失礼。では改めて、あなたに一つお願いがあります」
彼女の表情が、より一層冷たくなった気がする。……いったい、どんな冷酷な内容を告げるつもりなんだろう。
「南雲晃。私の従者になりなさい」
「……はい?」
絶句した。従者? 俺が? 唐突すぎて意味が分からない。
「まあ、その反応は予想済みです。――間宮」
「はい。どういたしましょうか、お嬢様」
間宮と呼ばれたメイド服の女性が恭しく礼をした。
「男どもを連れて先に車に戻っていてくれる?」
「承知いたしました。――行くぞ、お前ら」
「いや、しかし……」
「お嬢様の命令が聞けないというのか?」
「……承知した。行くぞ」
不承不承と言った感じではあるが、黒服の男たちがメイド服の女性に連れられて玄関先から出て行った。そして彼らの姿が見えなくなったと同時に、クリスの表情が変わった。……俺の知ってる、元気な笑顔に。
「では改めて。――久しぶりっ、あっくん!」
「……え?」
あまりにも急な性格に変わりぶりに、俺はまたも絶句せざるを得なくなったのだった。
*
「――っていう訳。ほんとごめんね、あっくん」
「いや、全然大丈夫だけど……」
曰く。
さっきまで周りにいた男たちは今の父親が雇ったボディーガード、とのことだった。クリスは両親の離婚後、母親に引き取られていたはずだ。つまり今の父親、というのは母親の再婚相手という事だろう。
「おばさん、再婚したんだ」
「うん。だから今の名前は星之宮クリスだよ」
「星之宮、って……あの“星之宮グループ”の?」
「あはは……まあその通り。その星之宮だよ」
「……マジかよ」
星之宮グループ。俺を含め、この国にその名を知らない人はほぼいないだろうという程の、世界でも有数の資産を持つ超巨大グループ。……つまり、今のクリスは星之宮グループの社長令嬢、という事になるのだろう。会わない間に、俺とは全く住む世界が変わってしまっていたようだ。
「それで、なんで俺を従者に……?」
「えっとね、ちょっと前に、あっくんの噂を聞いたんだ。お爺さんが亡くなった、って。……ごめんね、お葬式に間に合わなくって」
「いや、大丈夫だよ。……そもそも葬式してないからさ」
遺産を引き継いだ遠い親戚の意向で、葬式は行わなかった。……十中八九、遺産を消費したくなかったのが理由だろう。
「……そっか。で、それを聞いてちょっと調べて貰ったんだ。あっくんの今の状況を、ね」
「なるほど」
確かに今のクリスなら資金も人手もたっぷりあるだろうし、俺と親戚の間で起きた事を把握するくらい些末事だろう。
「で、さすがに今のあっくんを見過ごしたりしたら、幼馴染の名が廃るってものじゃん? っていう訳で、お父様を説得してうちで働けるようにしてもらった、って感じ」
「それで、俺を従者に、ってことか……」
ようやく合点がいった。……でも、まだ分からないこともある。
「えっとさ。さっきまでの、あの態度って……?」
「ああ、あれ? まあなんていうか、“外向きの私” っていうやつかな。今みたいな感じで接してたら、さっきの黒服の人達とか、同じ学校のお嬢様たちとかには舐められちゃうからさ。そうなると、お父様にも迷惑かかるし、極力ああいう風にしてるの。……メイドの間宮にだけは、普通に話しても大丈夫なんだけどね」
「大変なんだな、お嬢様ってのも……」
「あはは、まあ慣れちゃえば大分楽だけどね。……疲れるけど」
そういうクリスの顔には確かに疲れが見える。おそらく俺には想像もできないような世界に身を置いているのだろうし、疲れるのも当たり前か。
「でも、今のあっくんの方が何倍も大変でしょ?」
「いや、俺はまだまだ大丈夫だよ。……バイトも今探してる所だし。だから、その……無理に従者にしなくても、良いよ。さっきの黒服の人の言う通り、俺なんかじゃ務まらないと思うしさ。迷惑かける訳にはいかないよ」
嘘は言ってない。……まあ、住むところは見つかってないし、これから先どうなるかの見通しなんて全く立ってないけど。でも、せっかく新しい生活を頑張っているクリスに迷惑はかけられない。今でも十分大変なはずなのに、俺が従者になんかなったらさらに大変な目にあわせてしまうのは間違いないだろうし。……それが、俺の出した結論だった。でもクリスはそうは思っていないようで、明確な怒りの感情を表情にむき出しにしながら、掴み掛かるかのような勢いで俺に詰め寄ってきた。
「バカ。あっくんのバカ! 迷惑な訳ないじゃん。大事な大事な幼馴染がこんなに大変な目にあってるのに助けないなんて私にはできないよ。もし逆の立場だったら、あっくんだって絶対私の事助けてくれるでしょ? だから、私にも助けさせてよ。ここでじゃあねって別れたら、私一生後悔する。……私、絶対にあっくんを従者にするからね。嫌って言っても、さっきのボディーガードの人たちに頼んで引きずって帰るから」
涙ながらに物凄い勢いでそうまくし立てられた。……確かに、クリスの言う通りだ。もし互いの立場が逆だったら、俺だって迷わずクリスを助けただろう。
「……ごめん。俺が間違ってた」
「うん、分かればよし! まあ、仕事内容とか不安なのは分かるけど、そこはちゃんと教えるし。大丈夫、間宮もお父様も良い人だし、お母さんは昔から何にも変わってないからさ。安心していいよ」
「うん。ならまあ、大丈夫、かな?」
正直完全に安心しきった訳ではないけれど、気は楽になった。大変ではあるだろうけど、家を追い出されてホームレス生活をするよりはずっとましなのは間違いないはずだ。
「じゃあ、従者のお仕事は引き受けてくれる、ってことでオッケー?」
「うん。ちゃんとできるか分からないけど、これから行く先もないのは確かだし。受けるよ、その仕事。……これから、よろしく」
「よっし! 契約成立だね! こちらこそよろしく!」
俺の目の前に、クリスの手がそっと差し出される。……これからどうなるかなんて全く分からない。でも、俺は――その手を取る。
「じゃあ、行こっか。私の従者さん?」
「――はい、行きましょう。お嬢様」
「おっ、いいね。黒服たちの前ではそういう感じでお願いね。さて、私も切り替えなきゃ」
目を閉じて、クリスは一度だけ大きく深呼吸をした。目を開いたクリスの表情は、再会した時のあの無表情に戻っていた。……でも、さっきより目つきが心なしか暖かいのは、気のせいだろうか。
「では車に戻りましょう。晃、これからよろしくお願いいたします」
感情の一切を殺した、冷たい声。……でもその声を発した唇は、一瞬ではあるけれど確かに笑みを浮かべていた。
「はい。よろしくお願いいたします。お嬢様」
こうして、俺は星之宮クリスの“従者”になった。