前編「はじまりの詩」
その扉を潜ったとき、わたしは別な——異質な世界に迷い込んでいた。
「さあ、はやくお入りなさい」
彼女が抑揚のない冷たい声で引き寄せる。同時に麝香の甘い香りが室内から押し寄せ、わたしに目眩をおこさせた。だが、それは麝香の所為だけではなく——この店の創り出す空気そのものだったのかもしれない。
まだ昼にも関わらず、外の光は一切差し込まず、燭台に揺れる蝋燭のみが光源であった。薄ぼんやりと照らし出されている店の意匠は古めかしく、西洋の時代がかったそれであった。炎の創り出す揺らめきは、革張りの椅子や細工の施されたテーブルの影を生き物のように怪しく遊ばせていた。
わたしの目眩に似たそれも治まり、ようやく薄暗くはあるが、部屋全体が照らし出されるに足りる光のみに絞られていることに気づく。同時に、わたしたち以外にも彼女に似た服を着た客が居ることにも気づいた。
すぐに気づけなかったのは目眩の所為もあったが、彼女らが、人ならざる——そう、等身大の美しい人形ででもあるかのように見えたからであった。
(あぁ……なんでこんなことに成ってしまったんだろう)
わたしは、ひとりごちずにはいられなかった。
数時間前……わたしはいつもにように学校に通い、友人と他愛もない会話を繰り返すだけの、ただの女子高校生でしかなかった。
くだらない話しかしない女子、幼稚と云うほかない子供のような男子、クラスメイトを莫迦にすらしていた。でも、一番莫迦にしていたのは、わたし自身だ。わたしは、わたしのことが嫌いだった。今の自分は別の存在で、本当のわたしはこんな処にいるはずがないんだ——そう、思い込もうとしていた。
「ちょっと、結子! なによその格好! そんな子供のお出かけみたいな服しか持ってないワケ? ちょっとやめてよね、ルイスのライヴにいくのよ! ライヴぅ!」
嘲りを含んだ甲高い声がドーナツ・カフェ店内に響き、わたしの脳髄に突き刺さる。でも、それを不快と思ってはいけない。面にだしてはいけない。
わたしは、このクラスメイトたちと一緒にいるとき、反射的に作り笑いをするようになっていた。
「ごめんなさい。わたし、そんな服もってなくて……。辻村さんたちって、どこでそういう凄い服を買うの?」
こんなわたしの下手な態度にプライドをくすぐられたのか、莫迦三人組……もとい、クラスメイト三人組のリーダー格、辻村綾音は驕慢な笑みをみせながらわたしをみくだして云う。
「当然、青薔薇苑にきまってるじゃない!」
自らのファッションセンスに自信を持つ彼女は、わたしの前に立ち上がり、自分の姿をみせつけてくる。
上下とも黒を基調としつつも、レース、フリル、リボンがふんだんにつけられた華美なものであり、短めのスカートからニー・ハイソックス、厚底のワンストラップシューズへとみせる。その何れにも意図的にあけられた穴や襤褸をイメージさせるダメージをつけ、暗赤色の樹脂で血糊のようなシミを描いていた。加えてメイクも特殊であり、青白い生気の無さを極端に出し、赤いコンタクト・レンズの瞳と滴るような血色の唇が人ならざるものへの憧憬を稚拙に表しているようにみえた。
「どう? すごいでしょう? ルイスの世界観を再現できていると思わない?」
(ただのコスプレじゃない……)
青薔薇苑がどんな店なのかは今ので察しがついた。こんな自称ファッションリーダー——というより、痛いバンド・ギャルを生産するだけの店なら別に行く必要もない。わたしはルイスのライヴにだけ行ければいいんだから。そう、心では思っていた。だが、彼女らを前にしたわたしの口は別な言葉を発していたのだった。
「うん、凄いわぁ! わたしと全然違うわぁ!」
わたしの悪い癖だ——。わかってはいるのだ。こんな莫迦に合わせる必要なんてないのに——。でも——、わたしは独りぼっちは嫌だった。例えわたしのことを莫迦にするようなあんな人たちでも、傍にいてほしかった。
寂しいから? ううん、違う。ただ、他の人と同じようにしているだけ。他人と違うことをするのはいけないことなんだから。
わたしの反応をみて、ますます悦に入った笑みをこぼす彼女ら。しかし、その笑みを一瞬にして凍り付かせた声が通りすぎた。
「酷い格好ね——」
それは、黒い影のようだった。
黒く艶やかな髪は腰まであり、なめらかな光沢を湛える。首を隠すような立ち襟のブラウスは一見ただの黒無地にみえるがそうではなく、控えめにレースで加工されている。ブラウスもそうだが、ロングスカートも身体のラインがはっきりとわかるものだ。まるでこの女性の為に仕立てられたようであり、その姿には艶めかしさすらあった。ただ、この影のような女性の唯一大きく肌の見える顔には化粧気がなく——もっとも、あの三人組に比べてだ。いわゆるナチュラルメイクというものだろう——元来の肌の白さなのだろうが、やや細い目も相まって、陰気に見えた。
——あれ? どこかで……。
「なによ! アンタ——倉本じゃない!」
そう、倉本だ。倉本奈那美。本ばかり読んでいる優等生。でも、あの長い髪から覗く陰気な目が誰も寄せ付けない雰囲気を出しており、クラスの中で孤立している。その倉本から話しかけてくるのを、わたしは初めて見た。
ゆっくりと、コーヒーカップとドーナツの乗った盆を向かいの空席、そのテーブルに置くと、名前を呼ばれてさえいなかったかのように静かに腰をおろした。その行為に顔を真っ赤にさせた辻村が近づかなければ、これまた黒を基調としたトートバッグから本を出して読みはじめていたことだろう。そう、辻村が近づかなければ、だ。
「倉本っ! アンタ、何様のつもりよ! あたしたちの何が酷いってのよ!」
全部だよ——と心の中でしか云えない自分が恨めしい。それに対して、倉本は余裕の笑みを見せていた。
「ふ——べつに。ただ、その青薔薇苑の仕事はずいぶん腕が悪いと思っただけ」
(凄い余裕……)
思うがはやいか、辻村は倉本にくってかかる。
「なっっ、なんですって! アンタ、もう一度いってみなさいよ! アンタみたいな化粧っ気もなくて、単調な黒ずくめ女に云われたくないわっ!」
だが、それでも全く揺れることなく、コーヒーカップをひと啜りして言い放つ。
「そうね——私、貴女のような格好に全く興味はないものねぇ」
だが、この言葉に辻村は何処か自己完結したらしい。口撃の矛先を変えてきたのだった。
「フン、アンタなんかに青薔薇苑の何がわかるって云うのよ。ふざけたこといつまでもいってるんじゃないわよ! とにかく! いい結子! 開場までにそのダサい服をどうにかしてこなければチケットは渡さないからね!」
そう、わたしに——って、あれ?
「そ、そんなぁ……」
心底、叫んでしまった。確かにまだチケット代を渡してはいないが、今更チケットがもらえないのは困る。あと三時間半程しかないのに、家に戻って着替えて——いや、あの辻村たちが納得するような服を、わたしはもっていない。どうにもならないじゃない……。
わたしは、わかっていたとはいえ、彼女たちの悪意を感じずにはいられなかった。莫迦な妄想と笑わば笑え。まさかとは思うが、彼女たちはわたしの分のチケットなんて、はじめから予約すらしてくれてはいなかったのではないのか?
「うるさい! 文句なら倉本に云うのね! いち子、さやか、行くわよ。ツアー・グッズがなくなっちゃうわ!」
「ま、待ってよ綾音ぇ!」
ガチャガチャと慌ただしく返却口にカップ類を盆ごと投げ出すと、三人は辻村を中心に店を後にしたのだった。
「どうしよう……」
わたしは、わざと倉本にわかるようにつぶやいていた。本当に厭になるほど莫迦だ——わたしは。
だが、そんな表と裏の葛藤を見透かしているのか、全く何事をも起きていないように、倉本は本の世界にとっぷりと沈んでいるようであった。
「あの……」
「あの子たち——可愛いところがあるのじゃなくて?」
「え——」
「食器を自分で片づけていったわ。まだまだ子供ね——」
いや、貴女も同級生でしょう——と云いたくなったが、確かに彼女たちより大人びて見える。呟くように話す倉本の静かな仕草一つ一つ——わたしより確実に大人に見えた。
「あの、倉本——さん。わたし、どうしたらいいのかしら」
今にも泣き出しそうな声で、わたしは倉本に助けを求めていた。それを聞いた倉本は、本に落ちていた目をゆっくりとわたしに向けてきた。彼女の席の前に立ち尽くすことしかできないわたし。そのわたしの目を、心を射抜くような視線が突き抜け、すべてを見透かされているようだった。そしてそれは、倉本のわたしに向けての問いで確信へと変わった。
「南雲さん。あなた、彼女たちのことが莫迦だとおもってるでしょう?」
一瞬にして、わたしは凍り付いた。
返す言葉がみつからなかった。
「だったら——もっと大人になりなさい。そして努力し、覚悟を持ちなさい」
静かで、強い言葉だった。わたしにとっては遙か高みから降りてくる言葉のように聞こえていた。すごいと思うと同時に、わたしは彼女に心を依りかけていくのがわかった。本当に、わたしは莫迦だ——。すぐに他人に頼ろうとしている。
「倉本さん——わたし、どうしたらいいのかしら……」
——わたしの闇が暴かれてしまう。彼女の視線から逃げるように視線を床に落とすと、彼女はふ——とため息を一つすると再び本を開いた。
「自分で考えなさい。わたくし、今のあなたを助けたいとは思わなくてよ」
それ以上、彼女はわたしの助けの声など一切耳に入らぬようで、本の世界に沈んでいったのだった。
残りの時間は三時間程——開場時間で云えばあと二時間半。ここから会場までの時間を考えたら多くみても三十分はかかるだろうから、実質二時間……。
絶望的だ……。
思わずファスト・フード店を飛び出してきてしまったものの、またわたしは後悔していた。
二時間以内にあの辻村が納得するような服を見つけるなんて不可能だ。だったら、だったら、辻村たちに莫迦にされてもいいから、わたしも会場に行ってしまった方が……。
考えれば考えるほど、わたしは楽な選択肢ばかりを選ぼうとしていた。だが、何故だろう。どうしても、耳から離れない言葉が脳内で再生され続けている。いつもならわたしを莫迦にする言葉が壊れたラジオのように頭の後ろから響いてくるのに、彼女の言葉は真っ直ぐわたしの心の中に染み渡ってくるのを感じずにはいられなかった。
(だったら——もっと大人になりなさい。そして努力し、覚悟を持ちなさい)
あと二時間しかないんじゃない。
まだ二時間あるんだ。
わたしだって、わたしだってあんな莫迦な奴らに笑われてなんかいたいものか!
わたしのなかで、何かが弾けた気がした。この二時間の間に、辻村を見返してやる! そう、強く心に想い描けたのがはっきりと感じられた。
心の動きと合わせるように、じょじょに歩く速度が上がっていく。迷いがなくなっていくのが頭ではなく、心で感じていた。
だが、緩やかに、しかし確実に上がったモチベーションが一気に落ち込む現実に気づいてしまった。
具体的に、どうすればいいんだろう……?
今までファッション誌にあるような服の、しかも廉価ものを母と行くファッションセンターで買い込むだけのことしかしてこなかった。他のみんなとつかず離れずの、流行の服らしきものを着てきただけなのだ。自慢でもないが、ファッションセンスも含め、服に対してのこだわりなど欠片も持ち合わせていなかった。
(当然、青薔薇苑にきまってるじゃない!)
一瞬、辻村の不敵な笑みと同時に彼女の言葉を思い出した。
そうだ、青薔薇苑だ。あの辻村と同じというのが少々癪ではあったが、彼女があれだけ自慢しているんだ。その店に行けば……少なくとも何かはあるかもしれない。
いつになく心が軽い。何故だろう。何がいつもと違うのだろう——そんなことを思いながら、携帯電話で店舗検索を行う。
店は、意外と近くにあることがわかった。いや、正確には店ではなく、青薔薇がコンセプトの服を置いている店舗がファッション・ビルに入っていることがわかったのだ。
時間はまだある。ビルには地下道に入ることなく目と鼻の先。店舗が入っているのは、六……いや七階か。エレベーターからそのフロアに入った瞬間、今まで見ようとも着ようとも思ったことがない服——これがゴスロリってものなのか——の数々が店舗ごとのコンセプトに合わせて置かれていたのだった。
わたしは迷わず先ほど検索した店——ブラック・ロータスに足を踏み入れた。蓮なのに何故青薔薇? と思わないでもなかったが、今はそんなことどうでもよかった。
店内は広大というわけではなく、中央に置かれた硝子張りのディスプレイ・テーブルが二台。それを両脇から、ワイヤーで中空に固定されたハンガースタンドにかけられた黒一色の服の群が囲む。その奥に大きな姿見——というより壁一面が鏡になった扉をもつフィッティング・ルームとレジ・カウンターが並んでいた。
服が黒一色と云うこともあるのだろう。店内は白が基調とされ、思いのほか明るい照明に照らされていた。
そして、わたしのはじめて触れる意匠の凝らされた服の数々……ハッキリ云って、趣味じゃなかった。いや、何か違和感を感じていた。ここにある服は何を目指しているのだろう? そんな疑問を持たずにはいられなかった。そう、確かにデザイン性はまぁ、あるのだろう。だが、辻村を見て思った一言を思い出さずにはいられない。
(ただのコスプレじゃない……)
そう、何か、何処か、安っぽさを感じずにはいられなかったのだ。
しかも——。
「うわっ、高い!」
青薔薇がコンセプト——と云っていた辻村が着ていたものと似ている服は、ひと揃いでわたしの携帯電話料金の十ヶ月分もするのだ。
莫迦にしてる——それがわたしの素直な感想だった。
だが、これで倉本が云っていた言葉の意味を知った気がした。
〈子供〉
悪いことでもしない限り、こんな値段の服をいち女子高校生が買えるわけがない。
それに、彼女が云っていた〈酷い〉とはこのことだったのだろう。辻村は青薔薇がコンセプトの、このブランドを真似ただけの服。自作のコスプレに過ぎなかったのではないのか?
だとしたら……別に辻村の云うとおりにする必要なんて、ない。そう、思えたのだった。
わたしはこの店舗だけではなく、ファッション・ビルから出ていた。
辻村のいいなりにならなくていいというだけで、心は晴れやかだった。だが、重要な問題が解決したわけではなかった。
チケットはまだ手元にない、ということだ。
残り時間はあと一時間程。もう、ダフ屋を探したり、チケット譲りますの看板を持っている同類を探すべきかもしれない。辻村と顔を合わせるくらいなら、ダフ屋と交渉した方がよっぽどましだ。そう、思えるようになっていた。
だが——期せずしてわたしの携帯電話のメロディが鳴ったのだ。メールだ。
from 辻村綾音
Snb Re:
わかってると思うけど、
今日は会員限定だから
チケットと会員証が
セットじゃないと
入れないからね。
彼女らのいやな笑い声が聞こえた気がした。引導を渡された気分——いや、引導そのものではないか!
今、初めてそのことを知らされたのもそうだが——。
そもそも、わたしは会員ではないのだから。
やっぱり、わたしを連れていくつもりは無かったということか。わたしを物笑いの種にすることばかりを考え、そして誘った、ということなのだろう。チケットが余ったから——などという甘い言葉に騙されて、莫迦なわたし。ちゃんと調べもせずに、辻村たちのいうことを鵜呑みにして、なにも考えずについてきてしまった。
——いつもそうだ。
だから、わたしは、わたしが好きになれない。莫迦だとさえ思っているんだ。
心底嫌になっていた。
もう——いい。帰ろう。
悔しすぎたのだろうか。それとも、もう悔しいとかいう感覚はわたしからなくなってしまったのだろうか。
わからない。
無感動だ。
あんな奴らを相手にするだけ、わたしの莫迦が増すだけだ。
そう思って、駅に向かって歩きだしてすぐだった。再び彼女に出会ったのは。
「青薔薇苑はみつかった?」
倉本だ。駅の近くに先ほどのドーナツ・カフェがあるのだ。彼女も出てきたところなのだろう。
だが、彼女から話しかけてきたこともそうだが、見透かされたようなこの言葉に、わたしの心臓が一拍だけ大きく鳴った。わたしはうつむきながら首を振ることしかできなかった。
そう——とだけつぶやくと、頭一つ程背の高い彼女はじっとわたしを見下ろしていた。
時間はもうすぐ夕方。一旦会社に戻るであろう、また直帰なのかもしれないサラリーマンやOLが近くの交差点に集まってきている。信号の機会音とともに動き出す喧噪。入れ替わる人の波。すべてが今のわたしには雑音にしか——いや、それらが命あるものたちの生み出している音であるようには全く聞こえなくなっていた。あれだけの人がそこに居るのに、世界にはわたしと彼女——倉本しかいないように見えていた。
「あなた——努力はしたみたいね。黒蓮は見てきた?」
ずっと見られていたようだ。本当はわたしのことを気にして見守っててくれたのだろうか——と、そんな甘いことを考えたくなったが、それはないだろう。確かにわたしたちはクラスメイトだが、話したのは先ほどが初めてなのだから。
「——どうなの?」
わたしは、黒蓮といわれてすぐにピンとこなかった。が、それが先ほど出てきた店のことであるのに気づいた。わたしは、無言で、やはり彼女に視線を合わせることができないままうなずいた。
「どう、思った?」
彼女の質問は短い。だが、わたしに様々なことを思わせ、吐き出させるには十分であった。
「あ——あんな、コスプレみたいな服のどこがいいのよ!」
わたしは、次第に声が大きくなっていることに気づかなかった。
「ルイスの世界観とか言ったって、ただ格好いいだの、メンバーと同じ格好がしたいだの、したい人たちで勝手にやればいいじゃない! あの店にあった服だって、そういうファッションってのはわかるわよ。でも、何か変よ。絶対おかしい! 高くて、形も普通じゃなくて、着ていく場所なんてそういうライブとか集まりしかないじゃない! その時だけ、特別な格好をする? 確かにそうなんだろうけど、だったら興味がなくなったら着なくなるってだけの、こだわりも何もない、やっぱりコスプレみたいなものじゃない!」
云いながら、わたしは、わたし自身のことを吐き出しているんだな、と思いはじめていた。わたしは、わたしをいらない子だとずっと思っていた。なんでもできる姉と比較される毎日。ちょっとでも普通の子と違ったことすれば怒り出す父。それに言い返しもせず、従うだけの母。そんななかにあって、少しずつ擦り切れていくわたしは、いつの間にか他人に合わせるだけの自分の顔を持たないのっぺらぼうの人形になっていた。
——でも、わたしは……。
——わたしを見てほしいと、心の奥底で望んでいる、そう思った。
わたし自身、何故こんなはなしをしているのか訳が分からなくなってきていた。
でも、ひとつ吹っ切れたことがある。
わたしは、もう、誰かに合わせて生きていくのは嫌だ。
わたしは、わたしだ。わたしをわたしとして見てほしい!
「だったら——」
わたしの心の声に繋ぐように、倉本が言葉を続けてくる。
「だったら、あなた、死ぬ覚悟はあって?」
そう云った彼女の目は細められ、笑っているようにも、冷静にわたしを観察しているようにも見えた。この、陰気——というより静かで仄暗い湖水を思わせる空気を持つクラスメイトに、人ならざる何かがあると確信した。他の莫迦な奴らにはない、強く、信念のような何かがあると感じたのだ。
おかしな話だ。他の莫迦な奴らとの会話であったら、一笑に付す程度のことで、たれ流されるだけのものだったはずだ。だが、今、わたしは、真剣にこの質問に答えようとしている。
今までのわたしを超越したい。その時だけ違う格好をして、心を騙すんじゃない。生き方そのものを変えたい。
わたしは——。
アスファルトの凹みばかりを数えていた目に力が入る。きっと、わたしは今、かつてないくらいに目が輝いているはずだ。
「——わたしは」
高い位置にある彼女の目にゆっくりと視線を合わせ、わたしは言い切った。
「わたしは、もう、死んでいるわっ!」
目を輝かせて云う言葉でもないのはわかっているが、このときこそ、わたし——南雲結子が過去と決別しようと本気で思った瞬間であった。
スマホではなく、携帯電話の時代。
V系バンド絶世期?
令和の今ではみんなもう卒業?
結子はどうなっちゃうんでしょう??