珍問珍答シリーズ その16 中島敦の「山月記」について
中島敦の「山月記」は、漢語が多く、テーマも難解です。
一見、実業高校の男子は、逃げ出しそうな作品ですが、やりようによっては、それなりの理解をします。
授業後、「この小説で作者が描いていること、あるい主題などについて、作者に言いたいことがあったら書きなさい。ただし、単なる感想でもよい」という問題を出しました。
どのような受けとめ方をしたか、その例を紹介します。
李徴が人間だった時は、イヤな人だったけど、いまは反省しているのだから、人間にもどしてやってほしい。
妻子より詩のほうが大切というのには、私は反対だ。
どうしてかっこいいトラにしたんでしょうか。わる者は、かっこいいものにしちゃあダメだと思います。
私だったら、この話は、虎のまま終わりじゃなくて、最後に、李徴がまわりの人のやさしさなどで、人間に戻って、HAPPY END にすると思う。まあ、それだったら、よくありがちで、こんなにいい作品にはならなかったか。あんたはすごい!
最初は難しい文ばっかりだと思ったけど、意味がわかってきたら、難しいほうが、かえって、ふんい気が出てたりして、いいと思いました。
トラになったのはかわいそうだけども、トラになったことによって、自分自身のことなどが、わかるようになったんで、本当によかった。家族に対するやさしさなど、よく伝わってきた。人間は頭がいいだけじゃだめだ。努力することによって、人間関係や人生の楽しさが、本当にわかるようになるのだと思った。
李徴が人をおそう時には、完全な虎の心になっているはずなのに、エンサンを見た時には、どうして友だと分かってやめたのだろう。
自分の才能を見ぬかれても友だちと仲よくしておけばよかったとか、とぼしい才能をみがくため、努力に努力をかさねればよかったとか書いているのがいい。あとで後悔したくないとは、みんな思っているはずなのに、ついなまけ心が出て、まっ、いいかと思ってしまう。この作品を読んで、私は、そんなふうには、なりたくないと思った。
いくら頭がよくても、プライドが高いとか、おれは他の人より少し違うとか、間違った考えを持つと、地位も家族も失ってしまう。
自分の中にあるそんな気持ちに気がついたら、私も、もっと自分らしくなれるのかなあ、と思う。
悪い事をすると、トラにならなくても、幸せが逃げて行く。だから、悪い事はしないで、良い事だけをしましょう、と言いたかったのかなぁ
トラになってしまった李徴が、人間の心を忘れようとしているのに、最後に、自分の友に、もう、この道を通らないでくれという、あの一言は、なんか不思議で、心臓がドキッとした。
自分で詩人になりたいと言って仕事をやめ、詩人にはなれなかったと言って、また元の仕事にもどる。そしたら、同僚だった人が、自分より出世しているのが気にくわないなんて、自分勝手すぎる。
人とつきあうのがいやだというくせに、なぜ妻子を持ってしまったのか。
はじめて読んだ時は、なにを書いているのか、まったくわからんかった。すこしずつわかってきたが、やっぱり、すごくむずかしかった。
個人差はありますが、かなり深い所まで読み取った者もいます。反発を示す者もいます。
どちらにしても、授業で取り上げた意味はあったと、思っています。
30年近く前の実践ですが、私にとっては、なつかしい、なつかしい、思い出です。