to_date('2028/05/14 15:51:00') location = '兵庫県 姫路城天守閣';
姫路要塞周辺で起こった隊員達の鬨の声は数km要塞内部に入った姫路城天守閣にまでもハッキリと聞こえてきていた。
「くっ……ごほっほっ……はあはあはあ……」
しかし当の玉藻はその声に応えることができなかった。
玉藻は術式を完成させたその場で四つん這いに伏し、口からは苦しそうな息を吐いていた。
「お、おい!玉藻!」
少し離れて見ていたゲンカイが心配そうに駆け寄る。
ゲンカイは自分が危惧していた事が起きたのではないかと内心焦る。
玉藻は見た目が幼いためあまり周囲からは意識されないが、人間はもちろん、人外種を含めた全日本人の中でもっとも高齢の最年長者なのだ。その絶対的な戦闘能力とは裏腹に長時間孤軍奮闘するといった戦い方をあまり行わないのには、老いの影響がある。もちろん本人はあまり認めたくはないだろうが。
そして術の行使に使う妖力の絶対量自体もゲンカイが知る彼女の全盛期に比べれば遙かに少ない。その状態であれほどの大妖術を組み上げたのだ。
もしかしたらこのまま意識を失うかもしれない。
傍らに走り寄るゲンカイの顔が歪む。
(それは拙い!拙すぎる!確かに熱線は防いだがいまだに空飛ぶ亀もダイダラボッチも健在じゃ。この状態で玉藻が倒れたとあれば、せっかく上がった士気も激しく萎える。それではこれから夜を迎えて前線を維持するのは困難じゃ)
遠く離れた要塞最外周からでもしっかり聞こえてくる隊員達の鬨の声を聞きながら、ゲンカイは玉藻に駆け寄り肩を抱く。呼吸はまだ整っていない。
「玉藻!玉藻!大事ないか!?」
「はあはあはあ……うるさいわ。慌てるな……」
そういう玉藻の顔から血が滴る。
「お主……吐血を……ではないな。鼻血か」
息が荒いまま顔をあげた玉藻の小さな鼻からは赤黒い血がポタポタと垂れていた。
それを玉藻は乱暴に手の甲で拭う。甲で伸ばされた血が口元から右の頬にかけて赤く染めた。
「ごほっごほっ……き、気にするな。それより――」
玉藻の視線の先には、つい先程に高出力熱線を照射し、今も悠然と空に浮かぶスティングレーがあった。
それを見て玉藻が拳を天守閣の床に叩きつける。
「くぅぅぅぅっ!!抜かったわ!」
「た、玉藻?」
「あやつにぶつけ返してやるつもりが、予想以上の高威力に制御しきれなんだ!!!」
「いや、玉藻。しかし地上のダイダラボッチには当たったぞ。見ろ!あの巨体が引っ繰り返って尻餅ついてるぞ」
「ごほっごほっ……そんなのたまたまじゃ!」
そう言うと玉藻は若干蹌踉めきながら立ち上がる。また少し垂れ始めた鼻血を手で拭う。
「……弾切れ状態の今こそ、スティングレーを墜とす好機!」
「しかしお主、身体の方は――」
「大事ない!久しぶりの大技に身体が少し悲鳴を上げただけじゃ」
それは十分問題なのでは?――と、ゲンカイが口に出す前に、玉藻は頭に被る司令帽をゲンカイに投げつける。
妖狐族特有の狐耳が現れる。
「作戦段階を移行する。全飛行中隊出るぞ!」
「は、はい!」
玉藻の気配に押された下士官が慌てるように指令を各部署に伝達していく。
「おい!玉藻!少し無理しすぎではないか?」
「ゲンカイ、わからぬか?スティングレーとダイダラボッチさえ倒せば、あとはこの要塞に籠もって戦うことで勝機は十分にある。それだけの戦力と気概がこの要塞には今あるのじゃ。あの2体さえどうにかすればな!」
「う、うむ。それはわかるが……」
玉藻が少し背伸びしてゲンカイの胸を叩く。
「だからここはお主に任せる」
「むぅ……突然任されてものぉ……」
ゲンカイが腕組みをして唸っているのを余所に、玉藻はもう一度鼻先を手の甲で拭ってから転落防止の欄干に立つ。
その彼女の目の前に多数の人外種が立ち並ぶ。その数100名弱。
そして彼らは城に足をつけているわけではない。皆、宙に浮いていた。
烏天狗、雷獣、ふらり火、かまいたち、竜人―――
姫路要塞司令部直属の飛行中隊。玉藻司令が肝いりで飛行が得意な人外種だけを集めて新規編成した部隊だ。
もちろんこの部隊の目的はただ1つ―――空中要塞スティングレーの撃破。
その目的のために開戦からずっと待機を強いられていた中隊隊員達の士気はもの凄く高く見えた。それは出撃命令から集合まで一瞬だったのが物語っている。戦場に立てるのを待ちわびていたのだ。
玉藻は彼らをぐるっと見渡す。
中隊の面々は小さく偉大な司令長官と視線を交わす。その顔は静かだがとても覚悟の決めた決死の表情を浮かべている。
「行こう」
大きくない声で言うと、音も無く空に飛び上がった。目標は後進を始めているスティングレー。飛行中隊の人外種達も彼女に遅れることなく続いた。
彼女達の飛行速度ならば鈍重なスティングレーに追いつくのはあっという間だろう。
「むぅ……あんなのを見せられては引き留められるはずがないわい」
ゲンカイがそんな彼女達の飛んでいく姿を眺めながら呟く。
彼の周りの人間族の士官達も強く感じるものがあったのか、彼女達が遠く離れるまで各自微動だにせず敬礼をして見送っていた。
おそらく要塞内外の統合自衛隊員にも空を征く玉藻達の姿が見えているだろう。
天守閣のゲンカイの耳にも遠くから歓声ような声が上がっているのが聞こえてきた。
しばらく玉藻の後ろ姿をジッと眺めていたゲンカイの顔が軟らかく歪む。
そして――――――
「ふっ……くっくっく…………がっはっはっはっはっはっは!!」
突然のゲンカイの高笑いに士官達がギョッとして敬礼をやめる。
しばらく笑い続けたゲンカイ。
その笑いが止むと、今度は巨躯をワナワナと震わせ始めた。
「くっくっく……」
「か、閣下?」
「くっくっく……まさかこの歳にもなって戦場がこれほど恋しいと思わされるとはのぉ」
「……え?」
ゲンカイが士官達に振り返る。
その顔は玉藻を孫のように扱っていた好々爺の表情は消え失せ、まさに鬼気迫る厳しい表情が浮かんでいた。そしてその身体からは玉藻と同様に、一般隊員でも感じられるぐらいに強烈な妖気が漂い始めていた。
「か、閣下?」
人間族の士官達は知らないことだが、それは玉藻と敵対し拳を交えていた戦士だった頃の彼の表情だった。
「のぉ……」
「はっ!」
「今の儂と、あの玉藻。どちらが上かのぉ………」
「え?……そ、それは、えっと……ど、どういう意味でしょうか」
「くっくっく…………戯言だ。気にするな。それにしてもあんなものを見せられたら、ここで大人しくしていられるわけないよのぉ。せめてあの弱ってる片割れぐらいは面倒見てやらねばなぁ。立つ瀬が無いと言うものだ」
「は、はぁ……?」
怪訝な表情の士官を余所に言葉を続ける。
「儂がダイダラボッチを仕留めるぞ。第31師団に連絡じゃ」
「し、しかし、それではここの指揮はどなたが……」
「そんなことは決まっておる。他の将官となると――」
「閣下!山本中将より内線です」
「おおぉ。ちょうど良いタイミングじゃ」
下士官から内線電話の厳つい受話器を受け取る。
『ゲンカイだ。山本か?』
『はい。山本です。閣下、スティングレーの熱線攻撃。見事に防いだとのことですが、玉藻閣下に体調不良が見られると聞きました。大丈夫でしょうか!?』
『ああ。多少無理はしたみたいじゃが、問題なかろう。その亀型世界敵を倒しにちょうど飛び出していったところだ。まあ、儂が考えているよりかは玉藻もまだまだ若いようじゃな』
『えっと……それは大丈夫なのでしょうか?』
『儂が見る限り、動きに問題はなさそうじゃ。それよりも山本。儂もこれより第31師団の者達を引き連れてダイダラボッチへ討って出るぞ』
『ちょ、お待ちください!それでは指揮官が1人も――』
『お主がここに上がってきて指揮を取れ。儂と玉藻を除いては、この要塞内で山本、お主が最も階級が上じゃからな』
『し、しかし私は――』
『大抵のことはここの士官達がこなしてくれる。ここの者達は優秀じゃ。心配するな。というわけで儂ももう師団の方に合流しに行くのでな。山本。お主も早くここに上がってくるのだぞ。いいな』
『閣下!おまち――』
がちゃん。
山本中将が何かを言いかけていたが、時間が惜しいゲンカイはさっさと受話器を切って下士官に返してしまった。
「お前。第31師団司令部に儂が10分後に合流する。それまでに予備戦力も動けるように準備しておくように伝えろ。総力戦じゃ!」
「はっ!」
さらに別の士官に言付けして、ゲンカイは玉藻と同様に天守閣から飛び出していく。
ただし玉藻とは違い、宙に飛び立つわけではなく、天守閣を屋根伝いに地面へと飛び降りていく。彼の超重量の巨体が降り立つたびに、過去には世界遺産にも選ばれた姫路城の瓦が吹き飛んでいくが、大事の前なので目をつぶるしかない。
ドゴォォォォォォォンンンンン!!
彼が地面に降り立つ間際、空から爆弾が爆発したような轟音が響く。ゲンカイが足を止めて見上げると、空に浮かぶスティングレーの、その頭部?が隠れてしまうぐらい大きな爆煙が広がっていた。さらにその周囲を飛んでいたのであろう蝙蝠型世界敵ナイトバットも数え切れないほど四散しながら堕ちていっているのが見えた。
「玉藻のやつ。あの歳でまだまだ元気じゃのぉ」
ゲンカイは苦笑しながら、止めた足を再び動かし始めた。