to_date('2028/05/10 18:05:00') location = '兵庫県 旧神戸市街';
廃墟となった神戸の街を歩く。
もちろん街灯などは無いため、元神戸の街とは言え、夜の闇は山の中などと大差なく深く訪れている。
「……今夜も月が綺麗ね」
夜空を見上げて独り言を呟いてから、そんな自分に呆れる。
こんな身になってもまだ月見の風情がわかっているかのような事をのたまう自分に。
こんな身と言えば、腰に下げているペットボトルもおかしな話である。今の身体では水分を補給しなかったからといって脱水症状になったり、ましてや死ぬわけでもない。それなのに水分ほしさに空のペットボトルを持って、近所の小川に水を汲みに行った帰りだった。
水分補給の必要は無いとは言え、口は寂しくなる。水でも口につけていれば気も紛れるような気がした。
だから夜はいつも500mlペットボトル2本いっぱいに冷たい水を入れて手元に置いておくことにしている。
我ながら未練がましいほどに生き物くさい行動だと思っていた。思ってはいるが、止めるほど強い理由も無いので続けている。
そんなことを思いながら街路地を歩いていると、道ばたを何か黒い物体が動く。
それは牛の形をした黒い生物―――牛型世界敵だった。
牛型世界敵は月明かりで黒光りする瞳でこちらを一瞥だけすると、道ばたの雑草をモシャモシャと食べ始めた。牛型だからといって草しか食べないわけでは無い。世界敵はその型にかかわらず、食するモノは同じだった。
世界敵はこの世界に元から存在するモノの存在を食する。
もう少し具体的に言えば、そのモノが持つ情報を食べる。
だから極端な話、有機物ではなく無機物も食事の対象になる。
さらに言えば、複雑な物体ほどその個体内に保有している情報量は多い。だから人間が美味を好むように、世界敵も情報量の濃密な物体を食することを好む。
例えば、複雑な機構を持った機械や大量のデータが保存された電子媒体―――そして、高等な知的生命体。
そういう意味では人間の多く住む大都市は世界敵の好物が山のように存在するパラダイスみたいなものなのかもしれない。
人を食しても良し、パソコンに齧りついても良し、図書館の本を舐め回しても良しというわけだ。
ただし、たまに人そのものよりも、人の営みや文化などの無形な情報に興味を持つモノが稀に現れる。そんな世界敵は大抵が人の陣営と色々取引をした上で、人側に秘密裏に向かえ入れられている。
先日もそんな裏切り者1個を削除したばかりだ。
先日のことを思い出しながら周囲を眺めると、その牛型世界敵だけではなく、色々な世界敵が闇に紛れながら、街の残骸を食している。
食し方は個々によって異なるが、皆一様にまったく言葉を発せず黙々と食事をしている。
基本的に世界敵は声を出さない。
人間達との戦闘の際に咆吼をあげる個体はいくつかいるが、それもコミュニケーションを取るためというよりも相手を畏怖させるための戦術である。
さらに梟や昆虫は世界敵に真っ先に補食されてしまうため、世界敵の野営地は基本的に生き物の声がしない。静寂に包まれている。
「はなせっ!!触るな!!!だ、誰か助けてぇ!!!」
そんな野営地に似つかわしくない人間の声がする。
しかも自分が今から戻ろうとしている、夜の寝床として拝借中の、今は廃墟となった老舗旅館の方からだ。
曲がり角を折れて20mも行けば旅館の玄関なのだが、その玄関先に3体の猿型世界敵と、その世界敵達に手足を捕まえられて暴れている人間がいた。
人間の年格好は10代半ばの黒髪ボブヘアの女の子。少女と呼んでもいい年頃だ。ただし一般市民というわけではないようだ。所々破れてはいるが見慣れた自衛隊の隊員服に身を包んでいる。
「あ……き、きつねさま?」
少女と目が合ってしまう。
「た……たすけて………たすけてください……」
どうも勘違いされたみたいだ。少女はこちらの姿を見て気が緩んだのか。その場に崩れるように尻餅をつく。両腕は猿型世界敵に捕まれたままだ。
しかし顔だけはしっかりこちらを向いていた。
「お、お願いします!助けてください!たすけて!!」
少し枯れた声で懸命に助けを請う少女。
そんな少女にお構いなく、3体の猿型世界敵は少女を力任せに引きずってそれを私の前まで連れてきた。
少女の顔に不審の色が浮かぶ。
「ん?私に?」
世界敵同士は言葉でコミュニケーションを取らない。テレパシーに似た第6感のようなものでコミュニケーションを取る。ただしそれも言葉などと言うわかりやすい表現手段ではない。何となく言いたいことが雰囲気として伝わってくるという代物だ。
目の前の無言の猿型世界敵からは、『この個体を献上する』というニュアンスの事が頭に流れ込んできた。
目の前で世界敵とコミュニケーションを取っている私をさすがに『助けを求められる相手ではない』と認識したのだろう。少女は押し黙り、私たちの無言のやり取りを伺うような視線で見上げている。
猿型世界敵が言う……というより思いを送ってくるには、この少女は私への食料としての差し入れらしい。
「……」
「……っ」
差し入れ扱いされている少女を一瞥する。
既に少女の方も、出会った当初の救いを求めるような眼を私の向けてはいなかった。私に見つめられて身をさらに固くする。他者が見てもわかるぐらいに身体が震えている。
「……確かに、まだ人は食べたことが無かったわね」
私のつぶやきがしっかり少女の耳にも聞こえたようだ。
少女の顔から月夜でもわかるぐらいに血の気が引いていく。
猿型世界敵は私の反応を肯定と受け取ったのか、足元に蹲る少女をこちらに蹴って転がした。鈍い苦痛の声とわずかな胃液を吐きながら少女が半回転転がる。
いくらエサとはいえ、ちょっと扱いが存外だ。
起こしてあげようと手を差し伸べてみる。
しかしその手は少女に振り払われた。
いや、振り払ったというより滅茶苦茶に手足を動かしてるのがたまたま当たっただけのようだ。
少女は腰が抜けているのか、立ち上がって逃げるでもなく、その場で私たちに向かって手足を振り回してくる。仮に腰が抜けてなくても武器も無く、世界敵に囲まれている状態では逃げられるとも思えない。
それでも少女は手足をバタつかせて抵抗してみせる。声もあげずに無言なのは、声を出すのも疲れてしまったのか、気持ちが切れる寸前なのか。
そんな少女を抑えようと猿型世界敵が歩み寄る。少女はまた蹴られると身を固める。私はその猿型世界敵を手で制した。
まさか動きを制してくれるとは思ってもいなかったのか、少女は驚きの表情と僅かな希望の表情が混ざったような表情を向けてくる。しかしそれもすぐに元の怯えた表情へと戻るだろう。
私は猿型世界敵を制した手を高く上に掲げた。まるで手刀を落とすかのように―――
「な……なにを?」
「ん。あまりに暴れるようなら手足を叩き割って動けなくしてから抱えていこうかなと思って。食事はやっぱり寝床でゆっくりと味わいたいじゃない」
再び少女の顔から血の気が失われていく。
「ま、まって!待ってください!わ、わかった……わかりましたから……抵抗しないから……やめて…………もうやめ……て…………ください……」
俯き、最後は消えるような声で言う。
とりあえず暴れることはもう無いようなので手刀を振り下ろすのは止める。
そして様子を伺っていた猿型世界敵に『もう問題ない。これは私が受け取る』と伝える。すると猿型世界敵3体は蹲る少女に一瞥することも無く、静々とこの場を離れていった。
元旅館の玄関先には私と蹲る少女だけになった。
「この建物が私の寝床だから。ついてきて」
少女はしばらく何も反応を示さなかったが、私がそれ以上何も言わずに半壊した玄関をくぐると、ノロノロと立ち上がり続いて玄関から入った。
旅館の建物は半壊こそしていたが、雨風は十分防げるぐらいの原型は留めていた。
ただ雨風を気にしない世界敵は基本的に屋外で生活するモノが殆どで、私のように建屋内にわざわざ寝床を準備しているモノは稀だ。
この旅館にも私しか世界敵はいない。
中庭横の廊下を歩き、一番奥の部屋に入る。ここが寝床だ。
さすがに横になる部屋なので軽く掃除はしてある。畳に埃が積もったりはしていない。
私に続いて少女が重い足取りで部屋に入ってくる。しかし部屋の敷居の所で足が止まる。
「別に土足でいいよ。好きな椅子に座って」
少女の動きが一瞬止まり、部屋の隅の椅子に歩いて行く。彼女が躊躇したのが、座れそうな椅子が一脚しかなかったからなのか、恐怖からなのかはわからなかった。
そんな少女の後ろ姿を見て気がついたが、少し右足を引きずっている。猿型世界敵たちに乱暴されたのだろうか。
少女が椅子に座るのを待ってから、彼女に近づき、右足の付け根の触ってみる。
「ひっ………」
「ふむ」
「た、たべないで……」
「足を挫いてない?」
「…………へ?」
惚けた顔を見せる少女。少し遅れて肯定を示すように震えながらも小さく頷いた。
私は少女の足に治癒の妖術を施した。
治癒の妖術自体、3年ぶりぐらいに使うので上手くできるかわからなかったが、妖術の師匠に散々たたき込まれたおかげで難なく術を行使することは出来た。少女の表情が若干和らぐのを見るに、治癒術は無事に効果を発揮したようだ。
完治を確認してから、私は部屋の中では少女が座る椅子の真反対に位置する布団の山に凭れるようにして腰を下ろす。この布団は私が寝るのに使うため周辺から比較的綺麗な状態のものを集めてきたものだ。大抵の布団は世界敵に食い荒らされてしまっており、綺麗な状態のものをこれだけ捜すのはそれなりに大変だった。
その布団の山に寄りかかりながら、近くに積み上げてあった文庫本の一冊を読み始める。
「………」
「………」
「………」
「………あ、あの」
「………ん?……読む?」
本の山から別の文庫本を少女に掲げてみせるが、否定された。大きく首を横に振られる。
「じゃあ……喉が渇いた?これ冷たいよ?」
さっき小川で汲んだばかりの水の入ったペットボトルを掲げる。これには否定はされなかったが、そういうことでもないらしい。
「?…………ああ、心配しなくても別にあなたを食べたりしないから。もう少し夜が更けてから逃がしてあげる。まあ、無事に姫路までつけるかどうかの面倒までは見ないけど」
「逃がす?」
「逃がすというか、勝手に逃げていいよ。さっきは他の世界敵の手前、あなたを食べるようなことを言ったけど、別に食べたいとも思わないし。実際、今すぐ逃げてもらっても構わないけど、折角ならもう少し待つ事をお薦めするな。世界敵も人と同じで深夜から早朝にかけてが一番動きが鈍いから見つかりにくいし、万が一見つかっても逃げ切れる可能性が、足首が治ったあなたなら相手によってはあるでしょうからね」
「………」
少女はまだ納得がいかない風な顔だ。まあ、正常な反応でしょうね。
そんな彼女を無視して本を読むでも構わなかった。
ただ、先日弟と久しぶりに言葉を交わしはしたものの、ここ3年ほどこうしてゆっくりと人と会話することは殆どなかった。
少しお喋りする事に大して興味が湧いてきた。情報を食する世界敵が唯一抱くかもしれない感情―――探求心というやつだ。
読みかけていた文庫本を閉じて、身体を起こしあぐらをかいて少女の方に向く。
少女は一瞬身構えるように椅子の上でビクッと身体を震わせる。
「あなた、名前は?」
「え……な、なまえ?……」
「そう。あなたの名前」
「……毛利……毛利狐々」
まだ少し警戒されている。まあ、当然だけど。
「ココ?可愛い名前ね。どういう字を書くの?」
「に、日本語ですか?」
「そうね。英語と中国語なら少しは分かるけど、日本語が一番得意ね」
「……狐、狐と書きます」
「狐?それはまた縁があったな」
「生まれたときは近いという意味の『此々』でした。でも両親が妖狐………ある妖狐のことをとても崇拝していて。6歳の時に勝手に『狐々』に変えられました」
人間から崇拝されるほどの妖狐と言えば1人しか思いつかない。
「ぷっ……くくくく」
気づいたら私は笑っていた。
世界敵になってから作り笑いじゃない笑いは初めてかもしれない。
「くくく……面白いな。歳はいくつだ?」
「15です」
「15ってことは、少年志願兵制度で入隊か。若いのに立派だな」
「制度を知っているの?」
「……10年前からある制度だからね」
少女……狐々の顔から緊張というか警戒の色はほぼ消えてきた。
「狐さん、あなたはなんていう名前なんですか?」
「私の事よりも、狐々。あなた出身は?」
「え……えっと、呉です」
「呉?広島の?」
「はい!呉を知ってるんですか?」
「知ってるも何も何度か行ったことあるわ。軍港と音戸の瀬戸………まあ、どっちも重海水の影響でめちゃくちゃになったけど」
「私はどちらも話では聞いたことありますけど、実際に見たことはありません」
重海水は15年前に発生したから、15歳の彼女が海岸沿いや海上にあった建造物を見たことないのは当然だった。
「わ、わたしは……狐さん、あなたのことが聞きたい」
いつの間にか私の呼び名は『狐さん』になっているらしい。
さっきは折角はぐらかしたのに、どうしても聞きたいことがあるらしい。
「狐さんは……その、さっきの猿型世界敵とはどういう関係なの?」
「関係?……そうねぇ……世界敵の中に階級みたいな上下関係は存在しないけど……強いて挙げるなら、私のような人型世界敵が周辺の世界敵を束ねる指揮官のような役割を持ってるの。ただし、それも戦闘中の時に限られて、平時では皆好き勝手に過ごしているってわけ。あの猿型は私が偉いからあなたを差し出してきた訳じゃなくて、私があまりに人間を食さないから気になったのでしょ。戦時中の指揮や戦闘に支障が出たら自分たちが困るから」
「じゃ、じゃあ……やっぱりあなたって世界敵なんですか?」
「世界敵以外の何に見えた?」
「………」
「………」
「………」
「………」
薄暗い部屋の中で、狐々がジッと私の方を見つめる。こんなにジッと見つめられたのは彼女に会ってから初めてだろう。
確かに『何に見えた?』とは聞いたが、そんな食い入るように見られても困る。
「……狐々。別に『世界敵』以外の答えを求めてるわけじゃないからそんなに真剣に見つめなくても――」
言われて、狐々がハッと我に返る。
「あ、いや、違うんです。そういうんじゃなくて、ただ……」
「ん?」
「……狐さんって……何処かで見たことがある気がするんですよね」
「……気のせいでしょ」
「ううん、気のせいじゃないです。たぶん直接は会ったことないけど……」
狐々は懸命に何を思い出そうとしている。
そして何か思い当たることを思い出したのか、パッと顔が明るくなる。
「あっ!ああ!!確か新聞で――」
「待った!」
「え?」
私が初めて語気を強めたので、狐々はビクッとして会話を止めた。
「思い出すのはあなたの勝手だけど。口には出さない方が身のためよ。もしかしたら私の機嫌がすごく悪くなるかもしれない」
「で、でも」
「………」
「………はい」
私が譲らないのはすぐに分かったのか、開きかけた口を渋々閉じた。
しかしそれも少しの間だけで、すぐに口を開き始める。
「じゃあ、名前以外のことを色々教えてくれませんか?」
何が『じゃあ』なのかよくわからないが、相当私にも慣れてきたようだ。大分遠慮が無くなってきている。
結局、私個人の話はしたくはなかったので、それ以外の事――狐々にせがまれるままに世界敵の生体や習性などの話を時間になるまで続けた。
正確に言えば、敵に情報を漏らした背信行為になるのだろうけど………途中からお喋りをするのが少し楽しくなってきて止まらなかった。
そういえば弟に会った時も予定外だったとは言え、結構楽しかった気がする。
私にもまだ人の時の感情が残っているということなのだろうか。
夜中の2時をまわった頃、狐々を伴って玄関まで出る。
狐々は少し暑苦しいが、旅館内で見つけた黒い外套を被っている。視覚に頼る世界敵は多い。カモフラージュぐらいにはなるだろう。
それと水の入ったペットボトル1本。
結局、水を補充したペットボトル2本のうち1本はほとんどは狐々に飲まれてしまった。そして余ってた1本も彼女に渡した。
すぐに出発するように促したが、狐々は何やらこちらを向いてモジモジしている。
「あ、あの!狐さん」
「ん?」
狐々は首にぶら下げていた何かを取り出して差し出す。
「これを。お礼です。色々ありがとうございました!」
「これは……」
御守りだった。
ただし神社などにある由緒正しきものではなく、観光地などにあるキーホルダーの類いのものだった。
そしてその表には『玉藻大明神』と金糸で縫われていた。さらに裏側には九尾ノ玉藻の凜々しい横顔が写実的に描かれていた。
「結局名前は教えてもらえなかったけど……その御守りは私よりも狐さんが持っていた方がいい気がするんです」
私がどう扱おうか困った顔をすると、それを察したのか狐々が私からサッと離れる。
「ダメですよ狐さん。それはもうあげたんですから返さないでくださいね。それに捨てたりしてもダメですよ。バチが当たります!」
何処まで本気で言っているのかわからないが、もめると時間を取ってやっかいなことになりそうだ。それに彼女と2人っきりのこの場面に他の世界敵が現れたら彼女だけでなく、私の方にも色々と厄介だ。
私は受け取った御守りキーホルダーの金具の部分を、首に賭けていた紐に引っかけてつるしてみせた。
「これでいい?」
「はい!……では」
狐々は大きく深くゆっくりとお辞儀をしてみせると、それ以上何も言わず、振り返らず、西の方へと走っていった。
狐々の姿が見えなくなるまで律儀に見送り終えてから、私は苦笑し、小さく嘆息を漏らした。
「ぁぁ………世界敵になったっていうのに、私は何してるんだろうねぇ……」
彼女がいなくなってから、若干後悔の念が湧いてきたが、今更追いかけて捕まえるわけにもいかないだろう。
「あははは……私も何処かの博士みたいに処分されちゃったりしてね」
誰に問うでもない独り言に答える者はもちろんいない。
しかし答えが無かった事に若干ホッとした。
世界敵になってもまだ自身の身の保全が確認できたことに安堵している自分に呆れてしまった。
「……さっさと寝よ」
思えばほぼ徹夜で狐々と話をしていたことになる。
小さな欠伸をかみ殺し、近いであろう姫路侵攻のために今夜はさっさと寝ることにした。




