to_date('2028/05/01 11:23:01') location = '兵庫県 須磨砦';
塹壕内の冷たい壁に、地面に、背を預け、胸に抱えた89式小銃から金属の冷たさを感じながら、ジッと時がくるのを待つ。
少年は戦場のど真ん中で自分に降りかかっている2つの不運な出来事を心の中で呪っていた。
1つは山陽方面の第13師団に配属された事。
今、対世界敵との最前線になっているのは山陽地方と山陰地方の2カ所だ。しかし日本海側の山陰方面に比べて、瀬戸内沿いの山陽方面は明らかに世界敵の侵攻が激しかった。
所謂、激戦地である。
世界敵の中には飛行できるモノもいるが、その個体の殆どが歩行で移動する。そのために現在世界敵の主力が集まる大阪平野から平地伝いに来ることのできる山陽側の方が世界敵が多く集まるのは道理というものだった。
そしてもう1つはこの須磨砦に配属された事。
激戦地の山陽地方でも最前線で、統合作戦本部のある広島から見れば東に突出した戦線に位置するのが、少年が現在配属されている須磨砦だった。
東京の境界門から沸いた世界敵の侵攻によって大阪までが陥落してから早3年。
六甲山系の西端。鏡のように波1つ立てなくなった瀬戸内海に迫った山の稜線にあった須磨浦公園に作られた須磨砦は、旧神戸市街を抜けて海岸沿いに進軍してくる世界敵を抑えるには格好の地点だった。
だからこそ、この砦には統合自衛隊の精鋭が集結していた。少年の味方も多い。
ただし迫る世界敵の規模も尋常ではなかった。
そう言えばあともう1つ、自分がツイていないことがあったと少年は思い出す。
この時代の日本でちょうど18歳を迎えてしまった事だ。
自分が生まれた頃の日本はそれはとても華やかで、豊かで、物があふれている、そんな時代だったらしい。物心がつく頃には今のような状況が当たり前になっていた自分には想像もつかない光景だ。
ただしこの点に関しては日本に限った話ではない。
強いて言うならば、世界の他の場所に比べれば日本はまだマシな方なのかもしれない。
「3時方向!稜線より新手の世界敵!!数……た、多数っ!!!」
部隊の同僚があげる悲鳴のような報告で少年は現実に戻された。急に重く感じた腕の中の銃によって、自分が戦場にいることを思い出す。
――ったく、アホか。多数じゃわかんないっての。
一瞬惚けていたことを内心誤魔化すように、同僚に毒づきながら塹壕から頭だけ出して3時の方向を確認する。そこに広がる光景を実際に見て、少年は同僚の言いたいことがよくわかった。
稜線から顔を出した世界敵の集団の多さは、少し前まで正面に相手していた世界敵の数を優に3倍はいた。
しかも山の稜線のさらに向こう側にはまだまだ世界敵が控えているようだ。
「撃ち方ぁ!はじめぇぇぇぇぇ!!!」
部隊長の怒声が響く。
言われるまでもない。撃たなければこっちがやられるのだから。
稜線から現れたのは一言で説明すれば『八本足のサル』のような世界敵だった。一般に『猿型』と総称されている世界敵に含まれる。
姿は醜悪だが、サイズは小型に分類されており、戦闘能力もそれほど高くない。しかし、そうは言っても小銃の弾丸1発や2発では倒れるどころか怯むこともない。
そもそも世界敵に『怯む』という感情があるのかどうかも怪しかった。世界敵たちはただただ人を襲い、人が作ったモノを破壊して進むだけのケモノのような集団だった。
とりあえず世界敵の数は多かったが、ここに展開している味方の弾幕も厚かった。10発、20発と撃ち込めばさすがの怪物たちも倒れ、四散していく。
頭を使った人間様に、真っ直ぐ進むことしか脳の無いケモノのような世界敵が敵うはずがない。
世界敵を一方的に駆逐している目の前の戦況に、周囲の戦友たちと同様に、沈みがちだった少年の心も震え立ってきた。
しかしその状況が一変する。
猿型世界敵を押しのけるようにして後ろから現れたのは、身丈3m以上もある巨大な黒熊の世界敵だった。
こいつの頑丈さは猿型の比ではない。
「中型世界敵!熊型を確認!!数3」
「攻撃を熊型に集中しろ!!!」
部隊の攻撃が3体の黒熊に集中される。
しかしその銃撃は熊型の黒い体毛に弾かれ、虎の子のロケットランチャーの直撃でも前進を鈍らせる程度しか効果はなかった。
黒熊の歩みは猿型とは違いとてもゆっくりとしたものだったが、確実に少年たちの陣地に近づいてきている。
少年は逃げ出したくてしょうがなかった。
いや、少年だけではない。少年の同僚も、少年の先輩も、攻撃集中を指示した部隊長も、みんなこの理不尽な戦場から逃げ出したくてしょうがなかった。
それでも誰1人、この場から逃げ出す者はいない。
もちろん敵前逃亡は罰せられるからではあるが、それだけが逃げない理由ではない。周囲に他の基地も街も民家も無い、この孤高の砦から逃げられる場所など無いのだ。
陣地内に広がる不安と恐怖をかき消そうと部隊長が声を荒げる。
「狼狽えるな!!すでに救援を要請している。援軍が来るまで時間を稼げ!!」
時間を稼げって、それができないから――
『うらうらうらうらぁぁぁぁぁ』
泣き言を口に出しかけたその時、突如戦場には似つかわしくない軽快な掛け声が遠くから聞こえてきた。
少年だけではない。周囲の隊員たちは皆、周囲を見回し始めた。
それはどんどんこの陣地に近づいてきている。
しかも後ろの方から。
「うぅーーーらぁぁぁぁぁあああああ!!!」
掛け声はそのまま少年がいる塹壕陣地を飛び越え――そう、まさに彼の頭上を飛び越えて――――
「はぁぁぁぁぁぁぁ!!鬼瓦ハイパァァァスカイツリィィィキィィィィィィィック!!!」
技名?の叫び声と共に、一条の流星が黒熊1体の頭部に鋭く直撃した。
それはもちろん流星などではない。
もの凄い勢いで跳び蹴りを食らわす、迷彩服を身に纏った小柄な少女だった。
しかもその少女の一撃は熊型世界敵の頭を吹き飛ばし、世界敵を一瞬にして四散させた。ロケットランチャーの攻撃にすら仰け反ることのなかった、あの熊型がである。
そのまま地面に降り立った少女の足下で地が割れる。その見た目に反して少女の足には重火器を上回る破壊力がある事が伺えた。
突然の少女の出現に陣地からの銃撃はピタリと止んだ。
そして世界敵たちもその少女の圧倒的な存在感に進軍の足を止めた。
統合自衛隊の陣地と世界敵たちとの間に降り立った少女がキリッと周囲を見回し、腰に手をやりながら胸を張って言う。
「わぁーれこそは日の本三鬼人がひとぉーり!瀬戸の鬼入道こと!鬼瓦ゲンカイが長兄!鬼瓦イッキが娘!鬼瓦ミライ!そして――」
少女に続いて、戦場にもう1人、同じ軌跡を描いて戦場に降り立つ者がいた。
突如現れた少女に近づこうとする残り2体の黒熊世界敵の1体に向かって、少女よりも少し遅れて戦場に飛び込んできたこれまた小柄な少女が手をかざす。
すると恰も魔法のように、黒熊の周囲が厚い氷の塊に覆われる。そしてその巨大な氷塊は中に取り込んだ黒熊ごと砕け散って四散した。
「……九尾ノ愛」
仲間と思われる少女が小声で名乗りを上げる。その娘も迷彩服を着用し、腰の辺りからはケモノのような尻尾が2本生えていた。
「さ・ら・にぃ!」
最初の少女が残り1体の黒熊の方を向いた瞬間、その世界敵の顔面をライフル銃からと覚しき銃撃が、1発――2発――3発――と命中する。
先程まで一切の銃火器が効かなかった世界敵が、どういう訳かそのライフル攻撃は有効のようで黒熊は顔を腕で覆いながら仰け反る。
そこに少女2人と同様に飛び込んでくる者がいる。
それは10代後半の長身の青年だった。
そして彼の手には黒光りする鎖が握られている。その鎖は生き物のように動くと、顔を押さえている黒熊の全身を縛り上げ動きを止めた。
その青年が掴む鎖によって動きを封じられた熊型世界敵に飛びかかったのは、最初に跳び蹴りを披露した少女だった。
少女が右手で世界敵の首元を薙ぐ。
すると銃弾すら弾いていた世界敵の体毛ごと、首を切断して飛ばした。
世界敵は頭部と胴体が離れた瞬間に四散して霧となって消えた。
「九尾ノ未知斗」
背中合わせに立った少女にだけ聞こえるぐらいの小さな声で、青年は渋々名乗りを上げる。
「愛っちはともかく、未知斗ぉー。声が小さいよぉ?」
「うるさい。大体オレは名乗りとか挙げたくないんだよ」
「そう言いつつ~未知斗もなんやかんや言って名乗り挙げてくれてるじゃない」
「これはやらなきゃ後でミライがうるさいからだろうが。そもそもハイパーなんたらキックってなんだよ」
「スカイツリーだよ?」
「いや、聞こえてたよ。あえて濁したのを察しろって。そもそもスカイツリーって何なのか知ってるのか?」
「東京にあるっていうとっても高い鉄塔でしょ?見たこと無いけど。未知斗わかる?今のはすごい高いっていうスカイツリーと、ボクの跳び蹴りするまでの驚異的な跳躍力の高さとをかけた――」
「いや、わざわざ言わなくても何となくわかるって」
「もぉ!じゃあネーミングにいちゃもんつけないでよ!」
難敵の黒熊たちを一掃したとは言え、未だに数え切れないほどの世界敵が稜線の向こう側で息を潜めている戦場で、跳び蹴りの少女と鎖を持った青年が口ゲンカを始めた。
それは街中で見ればカップル同士の喧嘩ぐらいに見えなくもないが、生憎ここは薬莢の臭いが漂う戦場だ。
「2人とも。まだ世界敵はいる」
尻尾持ちの少女が2人の間に割って入って釘を刺す。
「むぅ……」
「……ミライ」
「なによぉ」
「とりあえず目の前の世界敵を全部倒すぞ。話はそれからだ」
「望む所よ!!」
2人の意識が世界敵に向き直るのを待っていたかのように、後方から再びあのライフル射撃が行われて、3人に走り寄ってきていた猿型世界敵を一発で仕留める。それに合わせて、戦場に立つ青年と少女2人が残りの世界敵の群れへと飛び込んでいった。
その光景を見てようやく自分の立場を思い出した部隊長から射撃再開の号令がかかる。ただし『友軍が飛び込んでいった世界敵たちの中央部は避けるように』との注意を添えてだ。
先程から少年は不運な事ばかりを並べ上げていたが、そんな少年にも1つ幸運なことがあった。
増援として来てくれたのが、この不思議な隊員たちで構成された小隊だったということだ。この小隊は須磨砦最強、いや統合自衛隊でも5本指に入る戦闘能力を誇る特殊小隊。
――九尾ノ小隊だった。