to_date('2028/05/10 08:01:00') location = '兵庫県 姫路要塞 本丸司令室';
「正念場だ」
山本中将の大きくはないがしっかりした声が部屋に響く。
それを許すぐらいに部屋が特別静まりかえっていた。
「知っているだろうが世界で現在、世界敵に対して組織的な戦闘行為が行えているのは英国および我が国ぐらいだ。幸運なことに世界敵の侵攻初期時、国土の大きさに比例して世界敵の戦力が分配されていたと思われるおかげで、島国で国土も狭いこの2カ国は今までそれなりに戦い続けることができた」
まるで『いままで戦い抜いてこれたのは運が良かった』と聞こえかねない山本中将の発言だが、会議室にいる将官たちの誰一人として異議を口にする者はいなかった。
それが事実だとここにいる者は全員わかっているからだ。
世界敵が東京に出現した直後は、確かに人類側の敗戦が続いた。
しかし時間が経過し、戦線が東海や北関東、南東北に移ってきたあたりから双方の力は拮抗し始めた。
伸びた戦線に対して世界敵の個体数が圧倒的に少なかったからだ。
さらに自衛隊側が対世界敵戦闘に慣れてきたこともあり、局所的には世界敵を撃退することもあった。
それは人外種が本格的に参戦する以前の話。玉藻など限られた者だけが統合自衛隊と共闘していた頃のことだ。
そんな人外種抜きでも劣勢を挽回し始めた統合自衛隊の中では、首都圏の奪還作戦を真面目に立案されたりもしていた。
しかしそのバランスが崩れだしたのが、北アメリカやアジアが世界敵に蹂躙され、その余剰兵力が日本列島へと東京の境界門を介して移動してきてからだ。
それからの統合自衛隊は世界敵の進軍を遅らせるのが精一杯となってしまった。
北陸地方、東北地方が蹂躙され、静岡、名古屋、京都、大阪での続けざまの大敗北と失陥。
山本中将の先程の発言を否定する理由を誰も持ち合わせていなかった。
「しかし逆に言えば、今、我々の前面に立つ世界敵はこの地球上に展開する奴らの中でも相当数の主力部隊だと考えられる事から、これを撃退することが出来れば――」
「がっはっはっは!逆に敵戦力を一気に減らせられる好機!!ひいては英国の戦線にも好影響を与えるというわけじゃな!」
「え……ええ、そうです。閣下」
「がっはっはっはっは!!」
「……おい、ゲンカイ。少し音量を下げろ。耳鳴りがする」
「ん?がっはっはっは!すまんすまん」
半眼で窘める玉藻の隣で、彼女の数倍の身体の体積を持った大男が、大岩が転がり落ちるような笑い声をあげながら頭を掻く。
会議室のイスに収まりきれない巨体を持った男性。白髪、白ひげを蓄えた男は顔にこそ深い皺が刻まれていたが、その身体ははち切れんばかりの筋肉に包まれていた。
先日まではいなかった存在感たっぷりのその大男に、周囲の将官達は少し萎縮しているように玉藻には見えた。
「……皆も知っていると思うが、隣におるのが鬼瓦ゲンカイ大将じゃ。長らく予備役となっていたが、このたび、復帰とあいなった。第13師団はわらわの指揮下のままだが、新規に配属された第31師団はこの鬼瓦大将の指揮下となる」
「そう言う事だ!皆の衆、よろしく!!」
ざわざわと部屋にざわめく。
玉藻の紹介に豪快に手を挙げて答えるゲンカイに周囲はどう反応して良いのかわからない様子だ。
山本中将が慌てて補足する。
「えっとですね。ちなみに第31師団は今日付で山陽方面軍麾下へと編入されます。そのために鬼瓦閣下は位こそ大将位で玉藻閣下と同列ですが、鬼瓦閣下には山陽方面司令長官でもある玉藻閣下の指揮下についていただきます。よろしいですよね?」
「ああ、その件は既に了解済みじゃ。気にするな」
会議室内に明らかに安堵の空気が流れる。
「恐縮です」
「がっはっはっはっ!!と言うわけでよろしくな玉藻閣下殿!!」
隣に座る玉藻の背中をバンバン叩きながら豪快に笑った。
背中の痛みに顔をしかめながら、玉藻は山本中将に話を進めるように目で促す。
「えっと……では、野村情報部部長。現状報告をお願いします」
山本中将が円卓テーブルの真向かいに座る少将の階級章をつけた女性将官を見る。
「はい。現状把握している世界敵の情報を報告します。神戸市街跡を西進しているのが確認された世界敵の大集団は、国道2号線上の狭い幅を東西に長い隊列で進軍してきており、その長さはおよそ10kmになります。そしてその隊列の最後尾にダイダラボッチの存在が確認されています。ただ、スティングレーに関しては阪神方面の天候が不安定のため雨雲が立ち込めており、いまだに確認できていません」
野村情報部部長の後ろに座っていた士官達が前に出てきて、皆が囲むように座っている大きなテーブルに地図と、世界敵を表す模型などを並べていく。
「早朝04:00時点で世界敵の集団の先頭が兵庫県庁跡にまで達したとのことです。しかし最新情報によれば10:00時点においてもそれ以上は西進をしておらず、神戸市街跡に展開したままとのことです」
「ありがとう。次に佐々岡参謀。作戦説明をお願いします」
山本中将に促されて、ガッシリとした体格をした壮年の男性士官が立ち上がる。
「作戦の概要を説明させていただきます」
下士官によって新しい地図が広げられる。
「本作戦は神戸近郊に集結した世界敵による、予想される本格的な侵攻を食い止める事を主目的としています。まず明石観測所より須磨砦跡を世界敵が越えてきたのを観測できた段階で作戦発動とします」
地図上の須磨砦より西方に8kmほど行ったところにある明石城を示す。さらに指揮棒の示す場所が明石の北へと移動していく。
「また内陸部を進行してくる可能性も完全には排除できないため、明石観測所より北方へ15kmの位置を中心に旧三木市街地にも観測隊を配置します。ただし世界敵の規模、過去の進軍パターンから本命は明石方面を海岸沿いに侵攻してくるものと考えております。世界敵の侵攻を確認後、明石観測所は放棄。明石方面および三木方面の観測隊は姫路方面へ転進しつつ、部隊の主目的を着弾観測に変更。続いて姫路要塞から第1特科隊および各部隊に配備されているFH70による砲撃開始と同時に、これらの部隊にはこの要塞からの長距離射撃を着弾観測を行わせます」
一部のFH70は支給されている砲弾の関係上、射程距離が足りないために姫路要塞の東にそびえる小富士山山頂より砲撃を行うことを付け加える。
「世界敵は過去の経験上、国道2号線を長大な編成で進軍してくると思われます。要塞内の各砲門は有効射程距離に世界敵が入り次第砲撃を開始。射程の違いを利用して2号線上に対して細長い絨毯爆撃をような砲撃を加えます。これによって世界敵の兵力を減らし、その進軍速度を遅らせる効果があると思われます。ここまでを作戦の第1段階とします」
次に参謀は姫路と明石の間にある加古川を指す。
「第2段階として、この加古川を世界敵が超えた時点で加古川以西の世界敵に対しては砲撃を止め、世界敵の後方に控えていると思われるダイダラボッチおよびスティングレーへ目標を変更します」
ダイダラボッチおよびスティングレー共に進軍スピードはそれほど速くないため、自ずと世界敵の大軍内でも後方より進軍してくると考えられていた。
「ご存知の通り、この姫路要塞より加古川までの国道を除く地帯は広大な地雷原となっています。世界敵は歩行困難なルートを避ける傾向があるため、歩行困難な地雷原を避けて進軍する結果、世界敵の隊列はさらに細長く長大なものとなっていくでしょう。国道2号線だけを進軍ルートとさせて細長い隊列のまま姫路要塞の眼前まで誘い込み、世界敵の先頭を我ら第13師団および第31師団の総力で撃退していきます」
「ふむ。モグラ叩きのような要領じゃな」
玉藻の指摘に、佐々岡参謀は満足気に頷く。
「その通りです閣下。第13師団には姫路バイパスより北方を担当してもらい、第31師団にはバイパスより南方の海岸沿いを担当してもらいます。この2個師団によって世界敵の隊列の先頭をモグラ叩きの要領で叩き続けます。予備戦力として両師団の後方に1個旅団づつを配備し、戦力補充などを行います。モグラ叩きと同じ様に敵が出てくる穴を絞り、数的不利を埋めるのが今作戦の趣旨です」
さらに参謀は第13師団と第31師団の担当エリアの間にある仁寿山を指す。
「また仁寿山にも部隊を配置し、山頂より南北の国道を進む世界敵の側面を攻撃させます。これにより進軍速度を鈍らせると共に、世界敵が2号線を逸脱するような進軍を防ぎます。ただ山頂に陣取るとは言え、三方を敵に囲まれる危険な地点なため、実戦経験豊富な第13師団より部隊を選抜してこれに当てます」
「ふむ……それならば、第1連隊が良かろう。第13師団内でも最精鋭の部隊だ。戦力補充もだいぶ前に完了済みで練度も申し分ない」
玉藻の意見に佐々岡参謀以下、古参の幹部のほとんどが困った表情を浮かべた。
「どうしたのじゃ?何か問題か?」
「いえ……第1連隊ならば確かに戦力的には申し分ないのですが……その……危険な任務なので、隊員の命の保証はありませんが……」
「……で?」
「な、なので……息子さんや娘さんの事は、よろしいの――」
佐々岡参謀の口が開いたまま閉じなくなる。
彼だけではない。玉藻の目が鋭くなっているのを部屋にいるすべての人が感じた。
そして隣に座るゲンカイ他、数名の人外種幹部は気がついたが、玉藻の身体から先ほどまで微塵にも感じなかった妖気が漂い始めていた。それはゲンカイほどの大物でも緊張するほどに濃厚な、昔の玉藻を思い出すような肌に突き刺すような妖気だった。
「佐々岡。今回の作戦で危険ではない任務など存在しない」
「は、はっはいぃぃ!……もももも申し訳ありませんっっ!!!」
佐々岡参謀が壊れたスピーカーのような謝罪を口にする。
玉藻には場が変な空気になった理由はよく理解している。
第1連隊には玉藻の息子と娘が所属しているのをみんなが案じてくれているのだ。玉藻はすでに唯一の実子を失っており、これ以上子供を失うような事があっては忍びない――と、そのあたりを気にかけてくれている。それは玉藻も痛いほどよくわかっている。
だが、子を亡くしたのは玉藻だけではない。
さらに言えば、今の日本で親類縁者に戦死者のいない家族などいるとは思えない。だからこそ、この手の特別扱いされる事を玉藻は最も嫌っていた。
ただし不意に殺気にも近い妖気を漂わせてしまった事には激しく後悔して、すぐに妖気を閉まった。
「……構わん」
玉藻はそれだけ答えた。
それでも普通の人間にも感じられるぐらい玉藻の雰囲気が穏やかに戻ってくれた事に、部屋の全員が内心ホッと胸を撫で下ろした。
「佐々岡。続けてくれ」
「は、はい!その……ただこの作戦には1つ大きな問題がありまして……スティングレーに対する対策が航空戦力による迎撃となっていまして……その航空戦力が……」
佐々岡参謀の語尾が掠れる。何か伝えづらそうな事柄のようだ。どうしたのかと会議室が少しざわめく。
玉藻は先程の対応の謝意も込めて、言いづらそうにしている佐々岡参謀に助け船を出してやった。
「岡山の飛行連隊から連絡があった。約半月、航空隊の支援は一切行えないそうだ」
玉藻の補足の一言に場がさらにざわめいた。
当然だ。亀型空中要塞世界敵スティングレーとそれが搭載する蝙蝠型世界敵を除いて、空は統合自衛隊の戦闘機の独壇場なのだから。是非とも支援が欲しいのはみんなが思うところなのだけが――
「航空燃料がほぼ底をついたそうだ」
身も蓋も無い理由に場が静まる。
石炭や銅などは採算度外視でならそれなりに取れなくはない。しかし如何せん石油だけはどうにもならない。
バイオ燃料で代用する方法もあるにはあるが、戦闘機1機を全力で飛ばすだけの燃料が集まるまでには相当な時間がかかる。ましてや1個飛行連隊を飛ばすとなると、相当量の燃料が必要となる。しかも1回飛べばそれで終わりというわけではない。戦闘は日を跨いで続くだろう。その間に何往復もしてもらわないといけない。
期待していた航空戦力の援護が得られない現状でのこの作戦は、スティングレーに対する対策は無いに等しかった。
重苦しい空気になりそうなところで玉藻が口を開く。
「スティングレーに関しては、わらわに一任してくれないか。わらわにあやつの熱線攻撃を防ぐ妙案がある」
各自が一番懸念していた。そして具体的な対策が決まっていなかった問題について、解決策が提示されたことで司令室内の将官、士官から玉藻に今まで以上の尊敬の視線が集まる。
そんな視線に注目されても、玉藻はいつも通り淡々と語る。
「絶対大丈夫………とは言わんが、熱線攻撃を防ぐことが可能であろう新たな術を開発した。実戦での使用は無論未だ無いが、理論上は完全に熱線攻撃を防げるはずじゃ。ただし攻撃に対応できる範囲が限られているので、術の成否には皆の協力もお願いしたい」
「さすが閣下、いつの間にそんな術を?」
「別にスティングレー対策で作ったわけではない。理論上可能だろうと興味本位で前々より研究していたのだ。つい最近、娘からあるヒントを貰ってな。何とか完成に扱ぎつけたというわけじゃ」
「娘さんというと、九尾ノ愛少尉ですか」
「……まあ、そういうわけなので、他に具体案が無ければ、ちとバクチだがわらわに任せてはくれまいかの?」
玉藻が会議室をゆっくりと見回す。
反対意見を唱える者は一切出なかった。
「それではスティングレー対策は玉藻閣下に一任と言うことで。閣下、よろしくお願いします」
山本中将が全将官の意見を代弁してまとめた。
「うむ。参謀はあとで再集合するように。術の特性を説明するので、作戦に組み込む作業をしてもらいたい」
「はっ!」
佐々岡参謀以下、数名が応える。
「各将とも作戦発動後1時間以内に集合できる場所で待機しておくように。それと各部隊とも迅速な配置が行えるよう準備を怠らないように。閣下、何か他にありますか?」
「いや、ない」
「はい。それでは定例会議を終了します」
山本中将の解散の合図で、各将とも一斉に会議室を後にした。
山本中将も玉藻に二言三言確認を取ったのちに退室した。
「ふぅ~……」
残された玉藻の口から空気が漏れる。毎度のことながら会議と言うのは異常に疲れると玉藻は思った。
これならば世界敵と命のやり取りをしていた方が気が楽だ。
ゴシゴシゴシ。
そんな事を考えていた玉藻の頭を狐耳ごと少し乱暴に撫でる手がある。隣に座っていた大男の手だった。
「がっはっはっは。玉藻、お疲れのようだな?」
「馴れ馴れしく頭に手を置くな!」
耳と尻尾を逆立てて大男を威嚇する。
「おぉ~こわいのぉ~。数百年来の仲だというのにつれないのぉ」
「ふんっ!仲とか言うな。そもそもわらわの方がずっーと年上なのだから少しは先達として敬え!って子供扱いするなっ!」
自分のヘソぐらいの背丈の娘から『シャー!』と音が聞こえそうな威嚇をされて手をあげて謝る。
「くっはっはっは、すまんすまん」
ゲンカイはあまり反省の色が見えない笑いを上げながら、人が少なくなった会議室を見回す。
「それにしてもここの者たちからえらく慕われているようだのぉ玉藻は」
「何の事だ?」
「さっきの会議じゃ。儂がしゃしゃり出て来て玉藻の立場を危うくするのではないかと、あの場の殆どの者が気にしていたではないか?皆、お前さんの事をえらく気に入っているようじゃな。信頼もしておる」
「ふん……それであの時、妙な空気になっていたのか」
「他人事の様に言って、相変わらずじゃのぉ。ところで要塞の守備の首尾はどうかの?………ぷっ」
「……出来ることはしているつもりだがな――」
あえてツッコまなかった。
「――何分、相手が世界敵だからな。未だにその総兵力がどれほどあるのか把握できていない奴らを相手にどれだけ準備をすれば十分か、などわからないからな」
「ふむ……確かにの」
「そうは言ってもこちらの予備戦力は底を尽きかけているからな。準備できる事にもおのずと限度がある」
ゲンカイが少し感心した表情で、自分の腰ほどしかない妖狐の娘を見下ろす。
第一線から退いて長い彼には、最前線で戦う玉藻を見るのは久しぶりだった。
もちろん噂は島根の田舎まで届いてきてはいた。
ほとんどが玉藻について好意的な内容だったが、それは彼の知っている昔の彼女からは想像できないものだった。あの玉藻が立派に世の為に物事を考え、実行しているなど。
だからゲンカイは玉藻に初めて会った頃のことを思いださずにはいられなかった。
「……どうした?」
そんな視線に気づいて玉藻が睨み上げる。
「ふふん……大昔の事を少し思いだしてのぉ」
「大昔?」
「儂がお主に初めて会った時の事じゃ。あの頃のお主は周りの者の事など考えもせず1人で暴れ放題。人間を狩るだけじゃ飽きたらず、鬼族のシマまで荒らしだして、最後は鬼自体を襲い回っていたからのぉ。儂も何度襲われた事か……それがあの頃に比べれば……社会性――と言うのかの?常識的な話が出来るようになったものだと思っての」
「あのなぁ……数百年も昔の事を言うな。ここ300年は実に大人しいぞ」
「それは自分で言うことではないだろうが、確かに大人しかったのぉ。お主に狩られる鬼もここ200年以上おらんし」
「で、あろう?」
「だが、儂にはやはり暴れまわっていた頃のお主の方が印象が強いからのぉ」
「年を取ると昔の事ばかり鮮明に思い出すらしいな」
「かっかっかっか。懐かしいな。あの頃のお主は何を言っても聞かんものだから一家総出で迎え撃ったりしたものじゃったな。儂の息子たちも何人か大怪我したしのぉ~はっはっは……」
ゲンカイの言葉に玉藻の顔が少し陰る。
睨む鋭い目も別の意味で険しくなった。
ゲンカイも彼女の変化に気づいて、その巨躯を思いっきりしゃがませて彼女の顔を覗き込む。
その姿はまるで孫娘の視線に会わせようと膝をかがめたお爺ちゃんのようだったが、子供扱いされることに玉藻は特に反発しなかった。
「……ゲンカイに謝らないといけない事がある」
「ん?どうしたのじゃ?」
「その……イッキのこと……申し訳なかった」
玉藻が小さく頭を下げる。
ちょっと驚いた顔をしたゲンカイだが、すぐに柔和な表情に変わって再び玉藻の頭を無骨なその手でぐしぐしと撫でた。
玉藻は今度は特に怒らずされるがままにしている。
「くっくっくっく……」
「……」
「玉藻。お主が謝る事ではないわ。戦地に赴いたからにはあやつも覚悟していたであろうしの」
「だ、だが……もともと須磨砦の放棄は検討されていた!撤退を早々に決めておれば……あやつを死なせずにもすんだかもしれん……」
「放棄が検討されていた話は知っている。確かに数日でも早く放棄が決まっていれば助かったかもしれんのぉ」
「……」
「だが、お主が謝る必要はない」
「……ゲンカイ」
玉藻がゲンカイをそっと見上げる。
彼の顔は深く刻まれたシワに負けないほどの満面の笑顔でくしゃくしゃになっていた。
「お主ができる事はちゃんとやった。その結果がこれなら過去をあれこれ言う必要はない。儂もお主を責めるつもりは毛頭無い」
ゲンカイは玉藻の頭から手を退ける。
「ただ、心の中で悔いてくれて次に生かしてくれさえすれば、あやつも浮かばれるだろうさ。なぁ」
「ありがと……」
もう一度玉藻は小さく頭を下げた。
やはり会った頃に比べれば格段に常識的な反応をするようになったな。とゲンカイは思った。俗に言う『丸くなった』である。
「儂も息子を戦場に出した時点で、こういう事は覚悟はしておる。心配するな」
(しかし……あの子はそうはいかんだろうのぉ)
ゲンカイはもう一度玉藻の流れるような金髪をやさしく撫でながら、この広大な姫路要塞の何処かにいるであろう赤髪の孫娘のことを思いだしていた。