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神代勇人は懇爛常態!  作者: 忍龍
腹の奥底(仮題)
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19

「生まれ変わったわたしは、ただの、普通の、……どこにでもいる娘でした、以前のわたしの生など想像すらもつかない程に、きっと、穢れ澱んだ思いを総て冥府へと持っていくことに、成功して……いたのでしょうね、途中、までは」



 レプス……否、エルーシャは少し俯いてぽつりと零す



「わたしの為に随分と気苦労を掛けましたね、心配させてしまい申し訳なく思います、……なぜ、残ってしまったのか、自分でも、分からないのです、……未練など、何一つ、残さなかった筈……なのです……が」



 自分で自分を理解できないことが、彼女の思考を捕らえて離さないのだろう

 カップの液面に注がれるエルーシャの視線は、どこか焦点が合っておらず、不安定に揺れているようにすら見える


 事情をぼんやりとだが把握しだしたラドゥたちは口を開いてはみるものの、何も、声を掛けることができないでいた


 名前を贈ったこと、シリウスにスピカという女性が育てたのかと聞いたこと、その二つを考えれば、恐らくこの娘は前世では、シリウスの生みの母親だったのだろう


 だがシリウスの父親について、彼女は"父君"という言葉を使った

 "父君は、今も……?" 今も、なんだろうか

 ご健勝、ご病気、性格のことならば穏やか、暴力的、色々考えられるが、彼女の"最後は、安らかでしたか?"という言葉に、シリウスは"いいえ"と答えている


 最後は、安らかでは無かった

 失われ、取り戻したユーディレンフも、最後は、安らかでは無かった


 彼女の呟いた、あの言葉


 サナトリウムの隔離部屋、寝台に縛り付けられて……誰の、事だ?

 そして続く言葉"わたしを……"

 わたしを、彼女を、縛り付けられていた人物が……?


 徐々に、結びついていく


 ユーディレンフは二十年ほど前に、打ち捨てられていたところを保護されたと、シリウスが言っていた

 保護されて、命尽きるまで、寝台に繋がれて過ごしたと

 そしてシリウスは、見た目だけの判断で言えば、二十歳そこそこといったところだろう


 シリウスは、自分達の息子が生きていたのかと思う程に、その容貌は、アーディグレフに生き写しだ

 だからこそ、ラドゥは彼を決して逃すまいと、付き纏い、ここまで連れて来たのだから


 ……であるならば、もしや、彼女は、襲われたのか

 ユーディに、ユーディレンフに……


 そうしてシリウスを生み、その後を知らないということは、育てることを拒んで里子に出した後か、もしくは……

 ……もしくは彼を、生んですぐ、あるいは生む直前に、彼女は死んだということになる


 すべて……、すべて、推測の、話し……だ


 けれど、考えれば考える程に、それ以外に正解は無いと、思わずにはいられない

 そのことを確かめたいが、思い悩む彼女の顔を見ると、言葉は咽喉元で留まるばかりだった



「ぁー……そりゃ、簡単な……ことですよ」



 痛いほどの沈黙を破って勇人が口を開くと、エルーシャが縋るような眼差しでそちらを見る



「そりゃ、簡単なことです、貴女は、知りたかったんです」


「しりたかった……?」


「そうです、こいつに、シリウスに、貴女は名前しか残さなかったんでしょう、誰の手垢もついてない、まっさらに綺麗な名前しか残さなかった、こいつの父親がどうだったとか、妊娠中の周りの人間がどうだったとか、言わないように、口止めしたんでしょう?」



 言われて、頷く

 穢れたものは何一つ残さないように、そのことを強くスピカに頼んで託した

 彼女の願いの通り、スピカはそのことを一言も口にしなかった、エルーシャに頼まれなくともそうしていただろうが、より念入りに


 生母がどんなめに遭ったか、シリウスはスピカに伝えられずともそれらを知ったが、秘密にしたのならば、そこに意味があるのだろうと、スピカに対し気付かないふりを貫き通しもした


 その甲斐あってか憎しみに囚われることもなく、善人でこそないが、シリウスは悪人でもない



「その結果を、貴女は知りたかったんですよ、色んなシガラミから息子がまんまと逃げ果せることができたか、幸せになれたか、貴女は、知りたかったんだ」


「しあわせ……に……」



 勇人に向けていた視線を、その上へと逸らす

 息子に、シリウスに向けて



「……」


「おら、思春期かおまえは」



 無表情ながらどこか気まずそうに顔を逸らすシリウスを、勇人は腹に回ったその腕をべちべち叩いて促す



「……少なくとも、わたしは不幸なつもりはありません、貴女の、……母さんの、眼で見て、どう……ですか」


「わたしを……母と……」



 ぐ、と一度息を飲んで、エルーシャは口を開く

 エルーシャの眼で見ても、レプスの眼で見ても、シリウスが、息子が



「わたしの眼にも、シリウス、貴方は、不幸には見えません」



 ふわりと、綻ぶような泣き笑いを見せ、エルーシャはそう言った



「……突然現れたわたしに同席を許して下さり、丁寧なもてなしまでもありがとうございました」


「有意義なひと時であった、気に病むことはない」



 終わりを悟ったラドゥたちは、彼女に聞きたいことを総て飲み込む



「おっ母」


『……あんだべな』


「不安にさせてごめんなさい」


『いいべな、娘は……子供は親さ心配かげるもんだべ』


「ふふ、ありがとうございます おっ母、……カミシロさま」


「はい」


「ご迷惑をお掛けしました」


「迷惑を掛けられた記憶はないんで、気にしないで下さい」


「ありがとうございます、……シリウス」


「はい」


「……満足、しました、わたしのこと、レプスのこと、心配を掛けましたね」


「……はい」


「今度こそ、"わたし"の為に、わたしは眠ることができるでしょう」


「……はい」


「シリウス……いいこですね、でも、いいこすぎるひつようは……ありません」


「…………はい」


「しあわせを……てばなしては……いけませんよ」


「……はい」



 シリウスの応えに満足そうに頷いて、彼のその頬を慈しむように撫ぜると、シリウスがその手をそっと、けれどもしっかりと包み込む

 エルーシャは幸福に満たされ微睡むように、うっとりと眼を、閉じた

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