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王太后レイリーア・エラル・ヴィア・シャンガル……旧姓はグラヴァス
彼女はシャンガル国大公家の一つグラヴァス家の長子だ
シャンガル国には三つの大公家があり、それらは王家の血を保つ為の傍流である、王家は国と国との繋がりのために国外から姫を迎え入れることもあるが国外に吊り合いのとれる縁が無く大公家に丁度良い年頃の姫がいればその姫を迎え入れ、王家に女児しか生まれなかった場合にはいずれかの大公家から婿をとり、婿は王配として女王を支える
また王家に生まれた姫や第二以下の王子は国外に縁がなければいずれかの大公家に降嫁することもあり、王族の血は一定の濃さで保たれていた
濃過ぎず、さりとて薄過ぎず、血の濃さを保つため大公家以外の国内の貴族から妻を迎えることもあったが、二代続けて国外と侯爵家から迎え入れているために、次代は大公家から迎え入れることが確定している
レイリーアは大公家の姫として、生まれた時より いずれは然るべき先に嫁ぐことが決まっており、そのための様々な教育を受けてきた、他の大公家にはレイリーアより数歳年下の姫がもう一人だけ
年頃も近しい二人のうち どちらかが王家に嫁すことが決まっていたが、ある程度まで成長を見てから、という方向で皆 水面下で睨み合いながらも静観という態度をとっていた
どちらの姫も家格は同じ、あとは本人の能力、そして人格次第
相手の姫のことを噂程度にしか知らないレイリーア自身は、家の意向で王太子以外の異性と正式に面通すことはなく、王太子の正妃に選ばれるようにと言われて育った通り、彼女は"王太子の妻"を目標として生きていた
王太子本人がどのような人物であろうとも関係なく、自分が"王太子"に嫁ぐのだと
つまり、そこに恋愛感情など存在しなかったのだ
そんな彼女は長ずるにつれ鬱積を募らせていくことになる
王太子妃として争う相手の姫、レイリーアは能力的にどうしても彼女に劣るところがあり、その自尊心は大層傷つけられた、目障りなその存在は、一向に視界から消え去ってくれない
その姫がいる限り、自分が王太子妃になる可能性は低いと否が応でも思い知らされた彼女は、下卑た噂話を流すことで姫を視界から消し去った
まだ十二歳の幼い姫が、逃げるように国外へ嫁いでいった時には心が晴れやかになったものだ、これで名実ともに自分だけが王太子妃だ、と
けれど翌年、レイリーアは運命と出逢った
彼は自分と同じ大公家の長子、名はアーディグレフ・ギアム・レンディオム
レイリーアが王太子と婚約したことで、王太子の妹姫の婚約者として紹介されたのが出逢いだった
――なんてことなのっ
邪魔者を排除したことで、もう自分以外に王太子に吊り合う大公家の姫はいない
二代続けて大公家以外からの娘を迎え入れているために、公爵家以下の家格からも国外からも妻が迎え入れられることはない、つまり、レイリーアしか王太子妃になれないのだ
レイリーアは焦った、自分の招いた結果だが、それでも受け入れられない
しかし、彼女は思い出したのだ、大公家は王家の血を保つために存在する、つまり、アーディグレフも王家の血を継いでいるのだ
「貴方が王となり、わたくしが王妃として貴方を支える、素晴らしいでしょう?」
そう、素晴らしい、王こそが我が夫に相応しい!
とても良い考えだ、良い考えの、筈だ、……なのに、……それなのに!
「どうしてっ、どうしてなのっ、わたくしは大公家の姫なのですよ! わたくししかいないのですよ?! つまり、わたくしに選ばれた男こそが次代の王なのです!!」
アーディグレフは顔色も変えず、一言も言葉を発することもなく、レイリーアの存在など視界に入ってすらいない
そんな態度で彼女の視界から去り、それ以降、公式の場以外 二度と彼女の前に姿を現さなかった
そして、何かの注進があったのか、その後直ぐに彼女は正式に王家に嫁がされ、間を置かずして王女がレンディオム家に降嫁した
レイリーアは婚姻から一月と経たない内に子を孕み、それ以降の王太子のおとないは無く
生まれたのが王子だと判明するや後宮に寄り付かなくなり、すぐさま側妃を迎え入れた
その上、自分が生んだ王子なのにも関わらず、数日に一度、たった数分の面会のみ、王家が厳選した家庭教師を就けると宣言されレイリーアも実家のグラヴァス家も一切教育に口をだすことができない
屈辱の中、更なる屈辱がレイリーアを襲う
降嫁した王女の懐妊の噂だ
彼女は発狂したように人や物に言葉だけに留まらない暴力を振るう
――わたくしはこんなにみじめでふこうなめにあっているのに!
その後、生まれた子供がアーディグレフの幼い頃によく似た男児だという噂を聞き、レイリーアのヒステリーは益々悪化していく
彼女がそうして身の回りの侍女や侍従に当り散らしながら何年も怨念を募らせるうちに、僅かに溜飲が下る出来事があった、王太子が出征先で傷を受け、傷が元の病で苦しんでいるというのだ!
嬉しさが滲み出ないように気をつけながら、心躍る気分で王太子を心配する文を書き綴り、侍女に刺繍させたハンカチーフを添えて送らせた、功績を立てた王太子は帰国後王位についたがその時には傷が元で子を生せなくなっていた、尊い血筋の王子は我が子だけ……
その時は幾分か晴れやかな気持ちになった、……しかしすぐまた暗雲が立ち込めだす
レイリーアが生んだ王子が、熱病に罹ったのだ
散々自尊心を傷つけられたレイリーアにたった一つ残った心の拠り所
今、それが奪われようとしている
取り乱した彼女を見た典医は、流石に母としての情はあるのか、と同情し、安心させようと子は持てなくなるかもしれないが命は大丈夫だろうとレイリーアに密かに告げた
それは彼女を安心させるものではなく、よりレイリーアを深く絶望へ突き落とし、彼女を駆り立てていく
王家の本筋の血が途絶えた場合、一番近しい血筋のものが王に迎え入れられる
つまり、現王の妹の産んだ男児、レイリーアからアーディグレフを奪った憎い女狐が生んだ子供だ
それだけは、何があっても許せるものではない
絶対に、許せない、許せる筈が無い
「あんな穢れた女の産み落とした子供など、この世に存在してはならないのよ……」
生家からつれてきた古参の侍女に命じ、快方に向かった王子の見舞いへと集められた上位貴族の子らを世話する侍女に手の者を紛れ込ませ、レイリーアはまんまとおぞましい子供を浚わせることに成功した
処分を命じ、古参の侍女も含め このことを知る者を総て始末させ
そうしてレイリーアは、束の間の安息を得たのだ
女狐が子を失った悲しみに体調を崩してとうとう体を壊し、子を産めなくなったと耳にしたレイリーアは、心の底から満ち足りた吐息を溢す
そのままわたくしの何百倍ももがき苦しみ続け、泥水を啜り、腐り、衆目の面前で醜く朽ち果てていけばいい
……いずれ、自分の首を落とす刃となって返ることも知らず、うっとりと薄く哂う
のちに、傷が元で体を弱らせていた国王が十数年の在位ののちこの世を身罷った後には忌々しい側妃を排除し
年齢の関係上 即位した息子の摂政になることはできなかったがグラヴァス家は力と求心力を取り戻し、彼女の弟が宰相を務めるまでになったが、……それも、すべて、束の間のことだと
この時のレイリーアは欠片程も思いはしなかった




