09
「……確かにレンディオム大公夫人の言うとおり大元帥に似ている、母上も先程驚いておられた、大公夫人がユーディレンフではと思うのも頷ける」
「そ、ば……かな、ありえませんわ、あの子供は貴方より年下とはいえ そう歳は変わらないのです、このように若輩者である筈がありません、レンディオム大公夫人……いい加減妄執に囚われるような品位に欠ける真似はおよしなさい、貴女の息子は疾うの昔に死んだのですよ」
溜まりに溜まった鬱積を勇人にぶつけられない分まで老婦人にぶつける王太后の顔は随分といやらしくも下卑た顔つきをしているのだが、幸運なことに この部屋には鏡などなく、王太后は自身の醜い顔に気付くことはなかった
触れ回るような声の大きさで息子が死んだと念を押された老婦人が顔を蒼褪めさせると、夫であるレンディオム大元帥が涙を堪えて小さく震える彼女の強く握った手を柔らかくしっかりと片手で包み込む
(……あぁ、なるほどな)
夫婦の支え合う姿を見て扇を握る手に力を込める王太后の姿を目の当たりにした勇人は、彼らの関係性を大まかに察した
ついでに自身を抱え上げるシリウスの体温がいくらか下がったのも感じ、この男がそうとう我慢をしていることも察する
(んっとに、お前は、お袋さんに似た年頃の女の人に弱いなぁ)
(弱くありません、それに母は数百歳でした、年頃など近くすらありません)
「(わーったわーった)そのユーディレンフという亡くなった方にこの者がよく似ていると?」
この者と言いつつシリウスの胸に手を添えると、国王が頷く
「顔について確証は無い……が、その者、アーディグレフ・ギアム・レンディオム大元帥の若い頃には瓜二つだ、三つ目ではないがな」
若い頃の姿なら勇人とシリウスも見ている、ラドゥが人探しに使っていた魔具だ
今は老いによってすっかり白くなってしまっているが、白金の髪に眼は紅玉の、色彩は違えども国王の言うとおり鏡に映したようにシリウスに瓜二つの容姿は今でも記憶に残っている
その老いた姿は、これから何十年と歳を経ればこうなるのだろうと、シリウスの未来を見たような姿だった
「確証がない……とは一体どういうことでございましょう?」
「そのように簡単なことも分からないの、幼いうちに死んだのです、だから成人した姿など知りようも無いということです」
「そうでしたか」
心底馬鹿にしたような態度で王太后が勇人を嘲る
本当に、楽で助かると勇人は思う
「ご病気で幼いご子息を亡くされ、大層胸を痛められたのですね、心中お察し致します」
「……いや、息子は病ではなかった」
シリウスの声から水気が失われつつあるような印象の低い声が耳を振るわせる
(声までよく似てるんだもんなぁ)
(そうでしょうか)
「(そうだよ)失礼致しました、では事故で突然に……それならば尚のことお辛かったでしょう」
先程 王太后をやりこめた時とは違う態度の勇人を注意深く観察するように国王が口を開く
「死んだかどうかは分からぬ、ただ、行方が知れぬだけだ」
「行方が? 確か、つい先程 王太后陛下は"死んだ"と断言されておられましたが、ご遺体を眼にされたのでは?」
「ま……さか、何を、言っているの、行方知れず……なのですよ? そのようなもの……見ることなどっ」
「まさか、ご冗談でございましょう? 王族の方はその言葉の重さから不確かなことを口になさることは無いと聞き及んでおります、……であるならば、幼子のご遺体、ご覧になったのでは?」
ざわりと空気が粟立つ
風向きが変わったことに、この場の誰もが気付いた
周囲の誰も彼もが勇人と王太后に視線を彷徨わせる
勇人は王太后に視線を向ける素振りだが、実はずっと国王を見ていた
見て、制止の手を入れないのかと視線で問う
国王は勇人を止めはしなかったが、代わりにレンディオム大元帥に視線を向けた
大元帥が微かに頷き、腕に抱えていた夫人を隣の男性に預けようとしているのをシリウスの視界を通して確認する
だが夫人は室外へ連れ出されることを察したのか、拒むように夫の腕を強く掴み、離れようとはしなかった
その様子を見て、国王が勇人に視線を向け、頷く
(心不全とか、頼むぞ相棒)
(……やるんですか)
(やるんだよ、……このままじゃ、)
(……救われませんからね)
ひっそりと、周囲の視線が勇人と王太后に集中する中、蠢く存在があった
それは壁を這い、その身を伸ばし、覆い尽くしていく
「みて……いないわ……わたくしは……そんなもの……」
「本当に?」
「ほんとうよ……みていない……みていないわ!」
「でも、ご覧になりましたよね? 貴女様の侍女が死んだように眠る物心つくかつかないかの幼い赤毛の男児を、下男に手渡したところを」
「「「?!」」」
――物心つくかつかないかの、赤毛の、男児
幼いという言葉は出たが、物心つくかつかないかなどという具体的な年齢を指す言葉はこの場において今の今まで一切出なかった
息子という言葉は出たが、勇人が吐き出すまで赤毛だとは誰も口にしなかった
その幼子が、侍女から、下男へと、手渡された……と
「先王陛下は当時、戦で負った傷が元で子を生せなくなっていたそうですね、そして当時幼子だった現王陛下は、その時流行っていた熱病により、あるいは子が持てないかもしれない……と、王太后陛下は典医殿から密かに告げられましたね、そこで貴女様は思い出した、目障りな、先王陛下の妹君の一粒種を」
「……ぅそ……うそ、うそ、うそよ! おまえのいうことはすべてうそ!!」
焦れば焦るほど、王太后は過去を繰り返し思い出す
シリウスに頭の中を覗かれているとも知らず、何度も、何度も
「"そのようにおぞましい子供は二度と日の光を浴びてはなりません、処分なさい"……と、そう指示なさいましたよね?」
そう言いながら、勇人は自身を抱えるシリウスの背から、何かを腕の中へと引き寄せる
「っひ、う、うそをつかないで!」
「嘘だなどと とんでもない、総て、この子から聞いた事実でございます」
「「「!!」」」
勇人がそう言った途端、衆目の眼前に現れたその小さな存在に、皆一様に絶句する
まだ幼く、あどけない、この世の善も悪も判らない、母親の色彩を受け継ぎ、赤毛で、翡翠の眼を持つ、小さな、小さな、男の子
「「ユーディっ」」
シリウスに抱えられた勇人の腕の中
夫婦が、ラドゥが、ラドゥの父親が、身を窶して探し求めた小さな存在、その姿が、そこにはあった




