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『……これで濡れることも呼吸に不自由することもありません、ですが水分を摂取することやご不浄については問題ありませんが湯浴みや水浴びなどはできないのでご留意下さいませ』
「ありがとうございます、じゃあシリウス、水瀬さんに加護を」
『ご心配には及びません、その辺りは心得ております』
「そうでしたか」
界を渡る時、あちらの世界の歪みはその者を歪める
涼太郎は姉から加護を受けており、界を渡ったことによる影響を受けることは無いそうだ
勇人が生来のものとは違う性別になったのもこのためだが、今はこれ以上影響を受けないように加護を受けている
早百合は後から一人で行くことになっていた、彼女が渡るということは即ちこの世に生まれるということだ、勇人たちが渡る前に殻が飛び散ってしまっては本末転倒だろう
勇人たちは涼太郎を連れて先にあちらへ渡り、早百合は少し間を置いて生まれるということで話は決まっている
今は渡る前に老齢の涼太郎のことを考慮して藤乃に水の対策をしてもらったところだ
勇人は何時も通りの定位置だが涼太郎は水の対策の上 更にシリウスに背負われ、蔦を絡み付けられてしっかりとその背に固定されている
呼吸は兎も角として色々と心臓に悪い環境の為、到着するまで眠っているかと涼太郎に聞いたが、彼はしっかりと首を横に振った
姉のお陰で体は元より心臓も丈夫だからと前置いた上で、友がどんな世界に生きているのか自身の眼で確かめたいのだと涼太郎は言う
まぁたとえ心不全が起こったとしてもシリウスがいれば問題にはならない
因みに場所は再び大塚家前であり、彼らは大塚家を支える枝の一振りに乗っている状態だ
――あの、皆さん、どうかよろしくお願いします
「ああ、無事届けるから安心して任せときな」
「早百合ちゃん、元気に生まれるんだよ」
――はい!
彼らが渡った後、大塚家にまで引かれた水脈は元に戻され、神社の湧き水も敷地内の一般参拝者が入れない区画に移され、元の湧き水の場所には別の水源から水が湧くように換えられることになっている
まだ暫く行き来する用があり、念の為 人目を避ける為の処置だ
ついでに言うと親戚の家を囲う結界は早百合が渡った後は処遇が決まるまで藤乃が引き継ぐ
「じゃあ、先に行っているからね、姉さん後は頼みます」
『任せなさい』
藤乃が頷いた直後、ごぷりと水が震え噴出す柱となって大塚家を飲み込んだ
次の瞬間 激流が渦を巻き、上下左右も分からなくなる
流れに翻弄される勇人たちを何かが絡め取り、水の外へ引きずり出す
最初に此処へ来る為にシリウスが足場代わりに発生させておいた樹木だ
「これは……凄い眺めだ」
涼太郎の目の前には視界に納まりきらない巨大な水の繭があり、自分達が数瞬前までアレに飲まれていたのだと思うとぞっと肝が冷える
それも、よくよく見てみると世界は逆さになっていた、涼太郎の気分はとてもではないが落ち着きそうにない
(……巻き上げられる水の量が減ってないか?)
(そろそろ生まれるんでしょう、間もない内に水の補給は止まり孵化が始まる筈です)
「(なるほどな)大丈夫ですか」
「あ、ああ、大丈夫、ありがとう」
何時の間にか腕から降ろされていた勇人が背負われたままの涼太郎に確認を取って来るのに応えるが彼の眼は釘付けだ、その視線の先ではシリウスが次々に放った矢から植物のようなものが発生し、異常成長するそれらが互いに絡み合うようにして壁を構築しつつ巨大な繭珠を遥かに凌駕する大きさの球形状のドームを成していく
巨大な繭珠の向こう側には核を避けて矢を放つという力技だ
あれだけの激流をなぜ流されずに貫通するのか、勇人は考えることを放棄して久しい、敢えて言うなら馬鹿力の成せる技といったところだろう
ドームが完成すると、中は隙間無く外界と遮断することで暗闇に閉ざされるかと思ったが、繭珠の中心核の発する光によってそうはならなかった
「……これは、一体何を……?」
「殻の回収の準備です、藤乃さんの話しでは飛び散るそうなので、こうして上下前後左右を全部覆っています」
「ああ、なるほど、それで……」
なるほどと言ってはみたものの、勇人の説明で理屈は分かったが目の前の光景には理解が追い着かない
その為、先程から涼太郎が見たこともない電子機器を勇人が構えていることを気にする余裕も無かった
「そろそろです」
「あ、おう、水瀬さんもうそろそろ孵化が始まるそうですから心構えをお願いします、安全は保証しますから、映画でも見ている気分で、真に受けないように」
「ええ、はい、心構え、映画……ですか、真に受けない、ええ、わかり、ました」
繭球の中心核が凝縮を始め、光が強さを増していく
安心させるように背に勇人の手が添えられしっかりと抑えると、涼太郎は圧を抜くようにふっと息を吐き出した
次の瞬間、光が弾け、涼太郎の視界にビキリと大きく亀裂が入り衝撃が次々に襲う
さながら銃撃を受けたかのように眼の前に次々とめり込むソレ、びくりとなる涼太郎の背を落ち着けるように勇人はゆるりと拍を打つ
何時の間にか光源を失った所為だろう、あたりはすっかり闇に包まれ、ただ一頻り四散する殻が被弾する音だけを届けた後、ようやくそれは止んだ
「……心臓が止まるかと思った」
「大丈夫ですか?」
懐中電灯を点けながら勇人が訪ねると、存外にしっかりとした返事が返る
水中でもこの距離ならなんとか会話は可能なようだ
「ああ、どうもありがとう、大丈夫です……防弾ガラスですかこれは」
「そんなようなものです」
しげしげと眺める涼太郎の眼の前には分厚いガラス質の壁があり、所々殻がめり込んで大小様々の亀裂を走らせている
ガラスは亀裂によって濁ることは殆ど無く、その向こう側は暗がりだが数メートル先程度までならよく見ることができた
核を失い開放された水は総て球状ドームの中に落ち、勇人達が居る場所はすっかり水に沈んでしまっており、その上 暗闇の中という状態にある
藤乃のお陰で呼吸は確保されているが、防水性とはいえ懐中電灯がいつまで保つかはわからない
どぼっ がぼんっ 光が差し込むと共に枯れた植物が身を崩して溜まった水の中に次々と落ちてくる
上を見るときらきらと光るものも幾つも一緒に落ちてきていた、殻だろう
やがて水が抜かれ、残った壁面の植物は殻の破片を集めてシリウスの元へと差し出してくる
透明な基本色に薄青い色が斑に溶かし込まれたようなソレは一見美しく大きなガラスの破片だ、その一つ一つが人の頭よりも大きい
「凄い量だね」
集まったそれらをざっと目測しただけでも、傍にある鉄に覆われた大塚家の三倍はありそうに見える
「なんとか持ち帰れる量です、あちらに戻った時に水瀬さんにもお分けしますね、きっと藤乃さんなら良い利用方法を思いついてくれますよ」
再びシリウスの腕に抱えられた勇人が抱えられた状態で口を広げた荷袋に、シリウスがひょいひょいと人のように動く樹木から渡された破片を突っ込んでいく
「いや、それは早百合ちゃんが君たちに、と……」
「皆で仲良く分けた方が彼女も喜びますよ、水瀬さんが持ってきた幸治郎さんへの手土産にコレも加えて下さい」
「……そうかい? ならお言葉に甘えるとしようか」
涼太郎の目の前で、殻の山は物理法則を無視したように総て仕舞われ、枯れて崩壊したドームの残骸はすっかり跡形も無く消え去り、残ったのは彼らが足場にしている浮島同士を繋ぐ巨木だけになっていた




