06
「早百合ちゃん、辛いことは無いかい? 苦しいことは無いかい?」
――? ベンキョウ、ネブソク、スコシ、ミナセノオジーチャン、スコシヤセタ?
「そうだね、少し痩せてしまったかな」
――ゴハンヲシッカリタベテ、チャントヤスマナイト、ダメダヨ
「……ありがとう、早百合ちゃんは優しいね」
――ホメテモナンニモデナイヨ
「そうかい? 手厳しいなあ」
涼太郎との会話で、片言だった言葉が若干の退行現象があるのか口調は幼いものの徐々に滑らかになっていく
彼女との会話で記憶が無いことを実感する度に、いっそのこと思い出さない方がいいのではないかと涼太郎は思わずにはいられない
だが、幸治郎の下へ送り届けるのなら、そういうわけにはいかないだろう
……分かっている、分かってはいるのだ
このまま安穏とさせ続けるわけにはいかないと
この場で教えなかったとしても、いずれ彼女は家族の姿が見当たらないことに疑問を感じ、どうして姿が見当たらないのか、その理由を思い出してしまうだろう
そしてその時、再び彼女を襲う悲しみが、今度は彼女を一体どのようにしてしまうのか、涼太郎を襲う悪い想像は留まることを知りもしないかのように彼を責め苛む
そんな涼太郎の心境を察しているのだろう、自身を抱えるシリウスの腕を軽く叩き、下ろされた勇人は早百合に視線を合わせるように屈み込んだ
そしてシリウスは、勇人の肩に手を置く
「改めてはじめまして大塚早百合ちゃん、さっきはちょっと意地悪だったかな、ごめんね」
――オネーサンハ、ダレ?
「はは、お姉さんか、うん、俺はね、神代勇人っていうんだ、君の家族に頼まれて早百合ちゃんを迎えに来たんだよ、水瀬のお爺さんに案内してもらってここまで来たんだ」
――ムカエ? ドウシテ?
「早百合ちゃん、皆で集まるのに、君だけ遅刻しただろう?」
――チコク?
「遅れるって連絡ちゃんとしたのかな?」
――チコク……ェ……レンラク、シテナイ……カモ……ェ……ドウシヨウ……アノ、モシカシテ、……オカアサンオコッテタ?
「凄く」
――ゥ、ホントニ?
「ほんとに」
――スゴク?
「実のところ、メッチャクチャ怒ってた」
――ヒェッ?!
頭の上に指で角を作ってみせながら勇人が脅すと、早百合はびくりと大袈裟な程に慄いた
「お母さん怒ると怖いの?」
――ウン、トッテモ
涼太郎は舌を巻く、この話題逸らしと口の巧さを考えるに、普段から子供の相手をしているのだろう
年の離れた兄弟でもいるのかもしれない
――アノ、アノネ
「いいよ、お母さんにわざと忘れたワケじゃなかったみたいだって、ちゃんと言ってあげるよ」
――ホント?
「ほんと」
(肉体を自覚させて下さい)
「(あいよ)さ、じゃあ帰る前に念のため怪我がないかどうか、自分の体をよーく確認して? 大事な娘の遅刻理由が怪我だなんて分かったら、お母さんも他の家族も、怒るどころか悲しんじゃうぞ、怒られるのは嫌だけど、哀しい思いをさせるのはもっと嫌だろ?」
―ウン、イヤ
素直に頷いた早百合は、きょろきょろと自分の体を見回す
「どうだい、怪我は無かったかな?」
――ウーン……ヨクワカラナイノ
「分からない?」
――ウン、ナンダカボンヤリシテルノ
「じゃあ眼を閉じて、いいかい、俺の言う通りにしてみてごらん」
――ウン
「よし、じゃあまずは暖ったかいか冷たいか、どうかな、よーく注意深く探ってごらん」
――ァ……ナンダロウ、チョウドイイアッタカサ
「そう、じゃあ、自分が暖かいのかな、それとも暖かいものに包まれているのかな」
――ウーン、ナンダカネ、ダッコサレテルミタイ
「抱っこか、抱っこしてくれてるのは誰?」
――エット、タブンネ、オカアサン
「お母さんだけ?」
――ンート、ア、オトウサンモソバニイルミタイ
「お父さんもか」
――ウン、オジーチャンモイルミタイ、オバーチャントオネーチャンハネンネシテルノ
「寝んね?」
――ウン
あの集落では祖母の姿を見なかったが、早百合の話では長女と寝ているらしい
長女はまだ幼いという話しだったから、添い寝をしているのかもしれないと勇人は思った
「お婆ちゃんとお姉ちゃんは早百合ちゃんのこと待ち草臥れて寝ちゃったんだね」
――ウン
「さ、体が見えたら、その体に帰ろう、これ以上みんなを待たせるのは可哀想だろ?」
――デモ
「でも?」
――ダメナノ
「何が?」
――カエリタイケド、ダメナノ
「何が駄目なのかな?」
――ワカンナイ、ワカンナイケド、ダメナノ
(やっぱり、未練か)
勇人は溜め息を吐きたくなるが、溜め息というのは結構子供を脅えさせるものだ、今現在 幼児退行気味の早百合にとってもそれは同じだろう
ぐっと飲み込んで思案する、もう少し露骨に行ってみるか?
「何か忘れ物か無くし物かした? それが気になって帰れないのかな?」
――ン、ンー
「どこにありそう? 家かな? それとも庭かな?」
早百合の手を取ってゆっくりと立たせ、家の方を向かせてやる
シリウスに触れていれば、霊体に触ることも可能だ
ぼんやりと家を見ていた早百合は、次第にあどけない顔つきが年相応のものに変化していく
「……忘れ物がどこにあるか、思い出せた?」
勇人の問い掛けに、早百合はこくりとただ頷いた
「見つけられたなら、大事に持って帰ろうか」
その言葉には、ふるると顔を振る
「どうして?」
――だめだよ
早百合の言葉からは舌っ足らずさは抜けていた
勇人はもう一度聞いてみる
「どうして?」
――だって、持っていけない、こんな大きなもの、無理だよ
早百合の眼からは、大粒の涙が際限なくぼろぼろと溢れ出す
守りたいものは、家だ
家族が、確かに其処に居たという、明確な証拠だ
新しい体の存在は、もう見ない振りをしない
けれど、この証拠を失うことも、早百合にはできはしないのだ
「大丈夫、泣く必要なんかない」
――でも
「大丈夫、道理をブチ抜けば無理だって通る」
にぃっと、勇人は早百合に笑った、全然爽やかじゃない笑顔で




