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「春恵、ちょっと幸治郎と早百合ちゃんのところに行ってくるからね」
「まあ、道中お気をつけて涼太郎さん、神社は任せて下さいな」
「ああ、頼むよ」
亡くなった幸治郎と早百合のところに行く、大抵の人間が墓参りか、もしくは最悪の場合 死んで逢いに、と考えるのだろうが春恵やその家族は違った
涼太郎の顔には、力と意思が表れている、だから単に、言葉の通り、会いにいくのだろうと家族は理解する
妻に留守を頼んだ涼太郎は、背中に大きなリュックサックと両手にぱんぱんに中身を詰め込まれたスーパーのビニール袋を下げて鳥居の前で待つ勇人とシリウスに合流した
ずっしりと重かったリュックとビニール袋はさり気なくシリウスの手に持たれ、涼太郎は礼を言ってから持ち手が食い込んでいた手の平を解すように揉み込む
片手に二つのビニール袋、もう一方の腕にリュックを抱える女一人を抱えるシリウスは隣に立つと自分より遥かに背が高い、涼太郎から見て彼の顔つきは少し彫りの深い日本人といった風だが名前は異国のもの
普通なら会って間もない相手のことは苗字で呼ぶが、勇人がシリウスの苗字を告げなかったことや二人の距離の近さから涼太郎はシリウスが婿に入ったのだろうと認識している為に、両方とも神代さんと呼ぶには紛らわしくなるだろうと名前で呼んでいた
勇人の方は男性名であることが気に掛かりはするものの顔つきと名前からして此方の人間だろうが、彼は恐らく外国人ではなくあちらの人間だろう
あちらに、いるのか――幸治郎が
最後に会ったのは、七月を目前にしたある日のこと
自家製の梅と地酒を使った梅酒の瓶を三つに、梅の紫蘇漬けと砂糖漬けと蜂蜜漬けにジャムまで瓶入りで持って大小様々に合計七瓶、この神社に奉納しに来たのが最後だった
最後の言葉も、これといって特別なものではない
『分かってると思うが、飲み頃は最低半年後だからな』
……それから三日もしないうちに、涼太郎は親友の訃報を受け取った
その梅酒も、紫蘇漬けも、砂糖漬けも、蜂蜜漬けも、ジャムも、総て、全部、……未だに、開けられずにいる
それを今晩、開けるのだ
「古都か、良い景観ですね」
ぽつんぽつんと街灯が照らす夜道を三人で歩く
「水と酒と景色だけが見所の片田舎です」
「でも、それがいいんですよね」
「……ええ、幼い頃に比べたら、この地域は大分変わってしまいましたが、こうして所々に懐かしいものが残っている、この道も、新しくなった家々の庭に残った桜や桃、そして梅の木」
頷いた涼太郎は、噛み締めるように語る
「小学校の授業が終ると、わたしと幸治郎は神社の境内で姉に見守られながらチャンバラ・独楽・ごっこ遊び、虫取りや水遊びもしました、姉は病弱でしたからあまり出歩けず、友達も少なく、わたしはそんな姉を残して遊びに行くのも憚られて、それを気遣ってくれていたんでしょうね、……家が山間の僻地ですから、本当は早く帰った方が良かったのですが、随分と粘って遊んでくれました」
ざり、と涼太郎の草履が音を立てて歩みを止めた
「ここです」
「随分近所だったんですね」
「幸治郎が所帯を持った時に、丁度 売りに出ていたのを買ったんです、親も体力が落ちてきたから丁度良いと」
懐中電灯を点し、垣根の向こうを照らす
光は遮られず、中を伺うことができた
幸治郎が言っていた通り、立派な梅の木が何本かあるにはあるが、この光景を悠長に眺めていられる者はそうそう居はしないだろう
勇人の眼には、単に照らされた開けっ放しの民家だが、シリウスの眼を通せば、そこには首を吊った少女がぶら下がっている
シリウスが一粒小さなソレを足元に落としつつ すっ と差し出した二枚の葉を勇人が受け取り、一枚を涼太郎に差し出す
「……これは?」
「気付けです」
「気付け」
「えぐ味がきついですが噛んで下さい、騒ぎになると困りますから、こいつがここら一帯の住民を全員眠らせます」
「なるほど、分かりました」
涼太郎と勇人が葉を噛み締めて盛大に嘔吐くのと同時に足元のアスファルトのひび割れから何かの芽が伸び、尋常ではない速度で成長を果たす
えぐ味も忘れて涼太郎は見入った、姉が水の力を使うのは彼女が戻ってきてから何度も見たが、植物の異能は初めて目にする
むわりと甘い臭気が漂い、意識がくらりとして涼太郎は葉を噛み締め直す
樹高は涼太郎のほんの腰程度、その細い幹は縄のように縒り合わさり、花の形は椿に、色は枯れたそれに似ているが一輪の大きさは小さく、それらが紫陽花のように集まっていた
涼太郎を安心させる為にか、火の気は? と勇人が声に出して問うと、総て消しました とシリウスが答える
煙草もガスコンロも ついでに仏壇の線香も、索敵で見つけた火気は植物を操って総て消し、水道を使っている家があればそれも止めた
時間的には元々多くの家が寝ている時間だが、こんな時間でも火を扱っている家が無いわけではない
ほんの数分間、纏わり着くような甘い臭いを漂わせた後、植物は見る間に枯れ果て、塵となって散ってしまった
僅かに捲れ上がったアスファルトをシリウスの草履を履いた足が踏み均し、見た目には元通りになる
「さて、本丸に取り掛かるとしましょう」
勇人が地面に下ろされ、抱えていたリュックから大人数用のガラス鉢が取り出される、所謂 素麺用というヤツだ
人が大勢集まる神社で使われているものとなると流石に大きい
ビニール袋も下ろして空になったシリウスの手にガラス鉢を持たせ、勇人は更にリュックからカレー用の大きなスプーンを二本とビニール袋から二つ取り出したソレをそれぞれ一つずつ涼太郎に渡し、自分の手に残したソレを手早く開ける
中身はご大層なものでも珍しいものでもない、只の量販品のヨーグルトだ
大量購入したソレを涼太郎と二人掛かりでガラス鉢の中にあけていく
最後にリュックからタオルの塊を取り出した涼太郎は、ガラス鉢と当たって割れないように巻いていたタオルを解いて中から瓶を露にした
たっぷりと盛り付けられたヨーグルトの山に、最後に取り出した瓶を遠慮なく逆さにして中身をあけた時
そういった能力の無い勇人にも分かる程に、周囲の気配が がらりと変わる
出来上がったのは、大塚家の女性陣がよく食べていた、梅ジャムを掛けたヨーグルトだ
ジャムも砂糖漬けも保存食なので、開封しなければ二~三年くらい余裕です




