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「ぷぁっ げふっごほっ、鼻の奥がっ」
「どんくさいですね」
「うるへぇっ あ゛ー……どこだここは」
「水場であることは確かですね」
「湧き水かぁ……」
足元には澄んだ水が滾々と湧き出ている、石で囲われているところを見るに人気の無い山の中などではなく人工的な場所だろう
怒られてはかなわないのでさっさと水場から足を抜く
「神社のようですね」
「へぇ……あ、だめだ、ネット使えねぇぞ」
水の影響を受けていない荷袋からタオルを二つ取り出して一つはシリウスの頭に掛け、もう一枚で自分の顔や手を拭いた勇人はスマホを取り出して聞いていた住所を地図検索しようとしたがネットが使えなかった、というかそもそもアンテナすら立っていない
「……どうも携帯電話普及前のようです」
「うわー、俺の生まれる前かよ、じゃあ聞き込みするしかねぇな」
索敵で此処が神社の一角であることと、社務所内のカレンダーを確認して判明した西暦に面倒臭さが増す
時間は空の様子からそろそろ夕暮れ時といった所か、時間的に薄暗くなってきていることと人気が殆ど無いことから此方では奇抜な格好にあたる服装でもあまり目立たずに済むだろうと考え、神職者なら変な格好をしていても表面上はにこやかに応対してくれることを期待して二人は取り敢えず人を求めて社務所の方へ向かうことにした
途中、シリウスの頭を拭きながら境内を見回していた勇人は参拝客なのか おかしな角度に曲がった片足を引き摺る老女の姿を眼にした、無言でその背を眺めているとシリウスがそれを邪魔しないようにか足を止める
やっとのことで拝殿前に辿り着いた老女は、無心に何かを祈っていた
シリウスの眼と耳を通して、老女の苦悶に満ちた繰り言が伝わってくる
「どうか御赦し下さい……か」
「哀れなものです、彼女はあれでもまだ四十半ばです」
背後から掛けられた どこか嫌悪の色を滲ませたかのような響きを持った声にゆっくりと振り返る、シリウスの眼もあるが、元々隠されることも無く玉砂利の音が響いていた、流石に勇人でも気付く
「ああ、えーと……」
「わたしは宮司を勤めております、水瀬涼太郎と申します」
「はい、えと、ご丁寧にどうも、神代勇人です、こっちはシリウス」
先程とは打って変わったような穏やかな声色で挨拶をされたことと名を名乗るという久々の行為に勇人はもたついた、あちらではわざわざ自己紹介の場でも設けないとなかなかそういったことは無いからだ
あちらでは名乗られている名前も恐らく本名でないことが多いだろう、長く付き合いがあるなら兎も角、依頼で一時的に交流をする程度の人間にはあまり教えることは無い
それほど大事なものという認識がなされている
名前を売るのは専ら商人だ、彼らは顔と名前が看板であり商品ですらあるのだから必然とも言えるだろう
「では勇人さんシリウスさん、いくら冬ではないと言っても、その格好では風邪をひきます、どうぞ此方へ」
「すみません……ありがとうございます、じゃあ、お言葉に甘えて」
手持ちの吸水性の良いタオルのお陰で髪は大体なんとかなったが、流石に服まではそうはいかず宮司に気を使わせてしまった
だがお言葉に甘えてと言ってはみたものの、冬ではないのでストーブは倉庫の中だろうし、だからと言って焚き火というわけにもいかないだろう
せいぜいタオルを貸してもらえるくらいだと勇人は考えた
一応、着替えは持ってはいるのだが、着替えも当然あちらで無難なものであって、 此方ではどう贔屓目に見ても何一つ取り繕えない仕様であることは間違い無い
勇人が生まれる前ということで、恐らく手持ちの札も硬貨も使えず、使えたとしても勇人は兎も角としてシリウスのサイズはまず無いと考えていいだろう
(夜中になってから行動開始だな)
(通報されないことを祈りましょう)
(フラグ立てるのヤメロ)
社務所に案内され、巫女に頼んでタオルとお茶を出してくれた宮司が席を外し、戻ってきた時には着替えを持っていた
「祭事で大勢の助勤さんに来ていただくことがあるから、なんとか丈の合ったものがありました、どうぞこれに着替えて下さい」
「えっ、あ、いえ、そこまでしていただくわけには」
「いえいえ、どうぞ、遠慮なさらず、そちらで着替えて下さい」
「ぁ、ぇ、は、ど、どうも」
「着方は分かりますか?」
「はあ、えっと、祖母が薙刀をやっているので、なんとか」
「そうですか、ではそちらへ、もし分からなければ呼んで下さい」
白衣二枚に巫女のスタンダードな緋色の行灯袴と無文の浅葱色の差袴(所謂、馬乗り袴)をにこやかな笑顔で老齢の宮司から勧められた勇人は断りきれずに装束を持って奥の部屋に引っ込んだ
因みに勇人は未だに女という自覚が薄く男女別に案内されないことに違和感を感じなかったが、宮司は屋外を歩く時に腕に抱えられた姿や社務所で膝の上に抱えられた姿から夫婦か恋人同士だと認識していた為にこの対応である
ところで着付けについては、祖母から一度教わったきりの俄か知識の勇人よりも動画サイトで知識を得ていたシリウスの方が役に立ったことは言うまでも無かった
「んー……お前本職みたいだぞ」
「昔は本職でしたね」
「宗教違うけどな」
一応、今現在の探し物は古巣の縁でやっているが、シリウスは復職したわけではなく雇われ的なものに過ぎない
不器用な本人に代わり勇人が髪を奉書と水引きで纏めてやったシリウスの容姿はずばり神職といった感じだ
覡だとか審神者だとか名乗られるとなるほどそうなのか、と納得しそうな程に違和感が無い
半年前に比べ それなりに伸びた自身の髪も同じように纏めた勇人は、濡れた服をあちらで買った洗濯乾燥機に突っ込んで再び荷袋に戻す
流石にこの時代に家庭用洗濯機はあっても家庭用乾燥機は無く、物理法則を無視した道具を宮司に見せるわけにもいかない
「見立てて頂いた通り丁度良いようです、ありがとうございます」
「ああ良かった、よくお似合いですよ、ではこちらへどうぞ」
「え?」
案内されたのは本殿だった
「姉共々、貴方様方に是非ともご助力を賜りたく、不躾ながら前置きも無く本殿にお越し頂きました」
『突然申し訳ありません』
老齢の宮司が紹介したのは、姉と言うものの千早を纏った外見は十代前半程の少女だった、それも、宮司がその背に手を添えていることから人間の筈なのだが、シリウスの眼を通すと何となく透けている
(彼女は精霊です)
(マジかよ)
初心者には丈長より水引きの方が分かり易いだろうな、と




