06
ボッと水を通り抜けたシリウスは鎖を掴まずそのまま"落ちて"いく
最初から潜水対策の道具を渡されなかっただけのことはあり、水深……否、厚みと言った方が正しいだろうか、それが精々が五センチ程度、それも通り抜けても一切濡れた様子は無い
暫くおかしな重力に従って落ちていたシリウスは、漸く気が向いたらしく鎖を掴み、がくん、と衝撃が伝わる
「だっ、大丈夫ですか?!」
遥か遠くで正幸の慌てた声が半ば怒鳴るように被せられた
(大丈夫か聞いていますよ)
(大丈夫じゃねぇよ、ってかお前の所為だろうがっ……うぁー……なんだこれごうもんかよ……)
勇人はバンジージャンプも大嫌いになった(元々やったことはないが)
頭の中で怒りながらも片手だけで視界を開放した勇人は、飛び込む景色にうんざりしながら麻袋を荷袋に突っ込み、続いて口に銜えていたハンドタオル、耳を塞いでいた栓を順に外して仕舞う
「駄目ですか、戻りますかーっ?」
「いや、大丈夫だー」
(眼が虚ろですよ)
(俳優でも政治家でもないのに眼力にまで指導入れられたくねーよ)
(その場合、俳優ではなく女優ですね)
(やかましいっ)
その間にも鎖は小刻みに揺れる、正幸が鎖を伝って"降りて"きているからだ
あまり視線を向けたくは無いが現状把握の為には仕方ない、勇人は周囲をゆっくり見回した後、"上"を見る
降りてくる正幸の背後には、広大な湖面が広がっていた
「なかなかヘヴィーな環境だな」
「ええ、まったく」
足元にはどこまでも空が広がっている、このまま延々鎖を延長しても決してどこにも到達はしないだろう
少し(少し?)位置がズレれば幾つかの島が岩土剥き出しで浮いているが、鎖の延長線上には掠ってすらいない
「あの島は待ってれば移動することとか」
「ありますが、何かがぶつかった時です」
「何か……」
「例えばアレとか」
「アレかぁー……」
遠くに山のような何かが見え、じっと凝視していると凄くゆっくりだが移動しているのが分かる
否、この距離だから凄くゆっくりに見えるのであって、近距離なら結構な速さを実感できるのだろうが、まぁそんなことは兎も角として、アレが当たれば確かに移動、否、ズレるだろうな、とは誰でも確信するだろう
会話の最中にも鎖を伝い続けていた正幸が、ようやく通常の声量で会話できる距離にまで近づき息を吐く
「……大自然万歳だなぁ」
「あっという間に遭難するんでしょうけどね」
遥か湖面の向こうは鬱蒼とした原生林が埋め尽くしている
山のような何かの他にも何かがいるらしく、密林を掻き分けて何かが移動するのが見えた
樹の一本一本は一番小さいものでも恐らく日本最大級の電波塔よりも大きい
空には島々が浮かび その裏側は緑で覆われているようだ、どういう原理なのか水源を内包しているらしく島から流れ落ちた水はそのまま湖に注ぎ込まれており、そんな景色の中をちょっと地球的には当て嵌まらない何かが飛び交っている、"アレに似ている"という言葉も使えない、似ているアレが思い浮かばないから
湖の上を さーっと飛んでいった何かが湖面から盛大な水飛沫と衝撃音と共に突き出た巨大な何かによってバクンと口内に捉えられ、湖面から突き出た何かは口の端でもがく餌をじたばたさせたままズズズと水中に沈んでいく
雄大な大自然だ、あまりに広大過ぎてくらくらとしてくる程に
――全部、逆さだが
「何か飛ぶ為の魔法か魔具か何かは?」
「……どうも、理が違うようで」
「ことわり……あー、発動すらしない、と」
「そうです」
湖面から出たシリウスが鎖を掴むまで落ち続けたことや、鎖が天に向かって垂れ下がっていることを考えれば、重し付きのロープを投げたところで地面ではなく空に向かって落ちていくだろうことは容易に想像できる
まぁ、重し付きロープを地上へ向かって投げることが出来たところで湖面の外へまでは到底投げられないのであの何かの餌食になる可能性があるが
「……別の星だとか時空だかの話しなのか?」
「いえ、親父の話しでは同じ星の延長線上の話しだそうです」
「あー、じゃああの洞窟の水面を抜けることで理ってやつが裏返る、とか?」
「恐らく」
「元の座標から洞窟使わずにココまで来れば多分 理は裏返らないんだよな」
「多分、でも数十年じゃ辿り着けないらしいです」
「あー……よし、話しを変えよう、この鎖はアレに喰い付かれないのか?」
「恐らく見えていません、この鎖の出ている部分の湖は洞窟に繋がっているので、その重なる面が水中からは存在しないのかと」
「なるほどな、多分、これだけ高さがあれば真下じゃなければあっちから俺らは見えてるんだろうけどな」
「ですね、まぁこの距離までは飛び上がれないってのと、こんなに小さくちゃ飛び上がる分のエネルギー消費の方が遥かにデカくて割に合わないってことなんでしょうけど」
「そりゃ喜ぶべきことだな」
「捕食者はソレだけとは限らないでしょう、例えばアレとか」
ふ、っとシリウスが空けてあった片腕を振る
此方に迫っていた飛行生物の脳天に蔦が貫通し、湖に向かって振り下ろされる
ゴボっと何かが水飛沫を上げて飛び出し、与えられた餌に喰らいついて再び湖面に沈んでいった
「ほんっとにお前は偶に口開くと冷や水浴びせやがって」
「ははは(ちらりともそっちを見てなかったよな)」
正幸は人一人を抱えている方の腕で器用に鎖を掴むもんだな、と思っていたがそれはそうだ、こういったことに対処するために普通は残しておく必要がある
父親が選んだ請負人が一見して有翼種でないことに驚いていたが少なくとも腕は良いということが証明され、多少なりとも安心した正幸だった




