03
あまりの恐怖に曝されて頑是無い子供のように顔をぐちゃぐちゃにして泣き喚くレプスの鼻をかんでやり、叫びすぎてがらがらの咽喉を労わるように甘い飲み物を与えてくれる勇人の手
申し訳ないと想いつつも涙と鼻水でぐちゃぐちゃにしながら縋り付いた勇人の標準よりも豊かな胸は、包容力のあった母を思い出させられ余計に涙が流れ出た
飲んだことの無い甘い飲み物はきっと高価な飴菓子を溶かしたものに違いない
迷惑さ掛げてるのに こげな贅沢なもんまで恵んでくださるなんで、後で代金を払えと言われてもレプスでは払えそうに無い
でもこんなに美味いものおっ母にも飲ませてあげたかった、どんなにお金を貯めても、もう絶対に……叶わない
そう思うとますます行き場の無い感情が込み上げてくる
色々な考えが止め処なくレプスの頭の中を渦巻いて纏まらない
体力の限り泣いて泣いて泣いて
瞼は厚く腫れ上がり、とうとう咽喉はひゅうひゅうと空気が掠める音しかしなくなってしまった上に、頭はがんがんと鈍痛を訴えてくる
けれど泣き止む気配はない
「鬱陶しい」
「もうちょっと言葉選べよおまえ」
ひどい、そう思っても抗議の声を出す体力もない
べしっと叩く音がして暴言の主が制裁されたことに気分が上向いたのも束の間、シリウスの無遠慮な手が勇人の胸にうずもれていたレプスの頭を鷲掴み、容赦なく引き剥がした
――マリー……
厚く腫れ上がり薄目を開けることすら困難だった筈の瞼が、不自由ながらも見開かれる
マリー、もう、呼ばれることの無い名前、母が呼んでくれた愛称、レプスの元の名前
「母親が慰めているのに、振り向きもしない」
「無茶言うなよ」
「……ぉ……っか……ぁ?」
その言葉にレプスが振り返れば、涙に歪む視界に映る、母の姿
涙は止まるどころか涙腺が爆破の勢いで派手に決壊した
*** *** ***
現在、レプスは勇人と同じように麻袋を被っている
なるほど、これは素晴らしいものだ、これが無ければ息もできない、生きていけない、大げさではなくレプスはそう思う
耳と眼を塞ぎ、顔を覆って風を感じにくくするだけで恐怖心はごく小さいものになってくれた、後は勇人同様しがみついていれば問題ない
カミシロ様は素晴らしい女性だ、レプスの鼻をかみ、咽喉を潤し、腫れた瞼を冷やし、豊かな胸を惜しみなく貸し、宥めるように背中を撫ぜ、暴言男を張り倒し、予備の麻袋と綿と布までくれた
そして現在、レプスの腹部には丈夫な壷がしっかりと括り付けてあり、勇人の助言で中には大事な母親の遺骨が入っている
涙腺が決壊した後、レプスは涙ながらに溜まった鬱積を吐き出した、その間中小さな存在がレプスや勇人たちの周りをちょろちょろとしていたが吐き出すことにしか気を向けることができずソレを認識するどころではなく
うまく言葉にならない部分は亡くなった母親が言葉を添え、還俗と移住のために伝手を作っているところまで話してしまった
すると勇人は、いつ好機が巡ってくるか分からないから いつでも素早く行動できるように、遺骨は持ち歩いたほうが良いとレプスに助言し回り道をして墓地に寄ってくれた上に、シリウスに遺骨を入れる為の壷を出させた
どこから壷がでてきたのか、なぜ遺骨の入れ物が壷なのか、未だに彼女には分からない
壷を見て「目立つな……」としみじみ呟いた勇人に、大枚を叩けば目立たず仕舞える荷袋が手に入りますとシリウスが口を挟んだ
これだから恵まれた人間は困る、そんな金があるなら今すぐ還俗している、レプスはそう思ったが勇人は高くても長く使えば充分に元が取れると飛びついた
レプスは商人の娘だから多少の知識はあったが、勇人はこの辺境の田舎から出たことが無いのかもしれない、小さい容量でもとんでもなく高価だと彼女は聞いたことがある
「その骨壷と生活必需品が余裕で入るヤツ買おうな、勿論経費で!」
――なんてこった、カミシロさまは慈愛の女神さまだったべ!
現在は墓の世話をしてくれた人物への礼を終え、港へ向かっているところだ、シリウスは何故だか開けた街道よりも人通りの無い山の中を選んで通っているようで、レプスが散々泣いて足止めをした上に寄り道までしたのにもかかわらず余裕を持って港に着くことができる予定となっている
小さな存在はレプスが認識しないうちにいつの間にかいなくなってしまい、その記憶には残らなかった
勇人の手当てのお陰か、それともシリウスの遠回り(になっているかは疑問の残る速度だが)のお陰か、あるいはその両方か
レプスの瞼と咽喉には既に腫れは無く、泣き過ぎたことによる頭痛も全く無い
レプスの母親との積もる話は、出航時間や旅装の買出しなどで時間に限りがあることから、「悪いけど乗船してからな」と勇人がすまなそうに彼女に謝った
レプスの女神はこんな田舎者にも礼を尽くしてくれる、それが彼女には嬉しくてこそばゆい
今は何故か母親の姿は見えず声も聞こえないが、レプスは不安を感じることは微塵も無かった、きっと女神さまの御力でおっ母と会わせてもらったんだべ、そう納得しているからだ
「ここからは徒歩です」
暫く樹々の上を渡っていたが、シリウスはそう言うとレプスだけをすとんと地面に下ろした、片や勇人はその腕に抱えられたままだ
耳に詰めた綿のせいでよく聞こえていなかったレプスは、降ろされたことで状況の変化に気づき、わたわたと視界を塞ぐ麻袋や耳に詰めた綿などを取り外して乱雑に丸めながら荷袋にぐいぐいと押し込み、さっさとレプスを気遣う様子も無く歩いていくシリウスを彼女は慌てて追い掛けた
「悪いな、俺だけ」
「カミシロさまは女神さまだすからええんだす!」
「……は?」
同じように装備を外した勇人が自分だけ楽をしていることを謝る姿に自信を持ってレプスが返事をすると、勇人はぽかんとした表情をし、シリウスは振り返らず歩く速度も変えず鼻で嘲った
むっとしたレプスはその尻を無性に蹴り上げてやりたくなったが、彼が抱える女神さまに万に一つも何かあっては大変だ、と大人の対応を取ることにした
ただし、機会があれば忘れずに蹴り上げようと念入りに心の閻魔帳に赤色で大きく太字で書き込んでおく、大人気は全く無かった
兎にも角にも、レプスの暗雲立ち込める人生には"神代勇人"という尊崇すべき女神の存在が与えられた
(女神さまは汚らわしい男よりも女さ好ぎなんだべ、んだらカミシロさまが御所望ならおらでぇじに育んだ乙女さ捧げてもいいっぺ!)
自身の胸を無心にぷにゅぷにゅしていた勇人(同じくぷにゅぷにゅしていたシリウスの存在は綺麗に削除改竄されている)を思い出したレプスは父親と元婚約者の所為で男性不信になっていたことも相まって いつでもその身も心も勇人に捧げる決意を堅く硬く頑なに固めたが、その横で霊と化した母が「なに身の程知らずなことさ言ってるだこの馬鹿娘が、女神様がおめぇさ芋っ娘をお召しになるわけねぇべ!」と間違ったベクトルから諌めるも現在はまったく見えも聞こえもしていなかった
オカンからメガミにジョブチェンジ。