02
「彼女は神徒レプス、レプス 彼らはシリウスと彼の従者のカミシロ・ユウトだ」
(従者?)
従者が主の頭をしばくのか、そう疑問に思ったがレプスは口には出さなかった、沈黙は金だ
「しんとって何だ?」
「平たく言うと信者のことです、主に神殿と俗界、つまり一般人との橋渡し役ですね、巫女や神官になると俗界から一段離れ奥向きになります」
「へぇ、あ、神代勇人だ、神代が苗字……、あー、家名だ、よろしく」
「は、はいだすっ」
従者は挨拶をしてくれたがレプスに対して気安い対応で彼女と同位なのかそれ以上なのか判断に悩むところだ、けれどもレプスの訛り気味の返事にも笑ったりせず頷いてくれる様は好感が持てた
だが従者がレプスに眼を向けた時に、その後ろにも眼を向けたのに気がついた、髪でもはねているのだろうかと彼女は後ろ髪を撫で付ける
一方シリウスは挨拶をしなかった、確実に彼の方が自分よりも位階が上なのだろうと思っていたが、この尊大な態度
もしやかなり上なのではとレプスは察した
……が、単にシリウスがコミュニケーション能力を著しく欠いているだけのことだったりする
しかし、その位階が上と思われる男と従者の女の遣り取りがとても主従には見えない、それに家名を持っていることから神属者でもないようだ
とりあえず従者相手にも謙った方がよさそうだとレプスは用心することにした
「では任せた、これは船券だ」
(え、船さ乗るべか?)
船を利用するような用事は初めてのレプスは若干の不安を感じる、つまり、それだけ遠くに行くということだ
行き先によっては下手をすれば年単位で船上生活ということもある、年単位で航行する船は勿論それ相応の規模であり、乗船券はそれだけ高額ということになる
そしてそれが三人分ともなると、庶民には想像すらもつかない
そもそも、庶民は船になど乗らないのだ
船に乗るのは大抵が貴族か大商人に金持ち、そしてその護衛
貴族は貴族の船に乗る、庶民がこの船に乗ることは基本的にありえない
船を持たない商人は商人ギルドが所有する船に乗る、それ以外の客は当然船賃を支払って乗る
世の中には大なり小なり組織組合団体ギルドが存在し、船を使った移動が多い場合には契約を結び、それによって乗客の船賃は比較的安くなり、船側は固定客を手に入れる
護衛は護衛という仕事に従事すれば食事と毛布が与えられ、船賃を請求されることもない
だが、純然たる個人で乗ろうとすれば、莫大な金を要するだろう
「旅費はレプスによって引き出せるようになっている、定期報告も彼女を通して行ってほしい」
「あぁ、はい」
金銭価値のある船券を受け取ったのは何故かシリウスではなく従者の神代勇人だった
当のシリウスは、勇人の胸から手を離したものの、その片腕は勇人の腰を抱えるようにして下腹部に添えられており、案内役は眉を顰めるものの口には出さなかった
「えーっと、船券三枚っと、乗船日時は……あー……きょ……うの……あさ……」
「ソレだと既に過去ですね、正解は夕刻の第三便です」
夕刻の第三便という言葉にレプスはぎょっとした、まだ昼前とはいえ夕刻までに港に着くのは絶対に無理だ
麓までなら高低差を考えなければ大した距離ではないが、神殿は険しい山の頂にあるため そんなわけにはいかない
仮に平地だとして純然たる距離だけだったとしても、休み無く全速力で走れたとして女の足で半日は掛かる
更に山を降りてから港まで駅馬車で四日は掛かるのだ
因みに山の麓に馬車の乗り場は無く通り掛ることも無いため、馬車の通る路線まで歩いていき途中乗車させてもらわなければならない、その距離は大人の足で二時間、途中で行き倒れる可能性は否定できない
「んじゃメシ食って買い物する余裕はあるか、レプス、忘れ物は無いか?」
「(買い物?!)は、はい、ありませんだすっ」
「よし、じゃあ行くか」
勇人が船券をしまいながらそう言うと、シリウスがひょいと彼女を片腕に抱き上げる
ぽかん、とソレをレプスが見上げると、シリウスが勇人以外に対してこの場で初めて口を開いた
「体力はありますか」
「え?」
「山を降りるからさ、着いてこれるかって」
「レプスには無理だろう、彼女は巫女ではない、鍛えておらぬ」
「そっか、シリウス」
「……触りますよ」
「ぅひぁっ?!」
勇人が自分を抱えるシリウスの腕をぺちぺちと促すと、彼は溜め息をついて残る片腕でレプスを勇人のように抱え上げた
表情にも声にも出ておらず錯覚かもしれないが、何となく不機嫌になったような気配を感じレプスが小さく悲鳴をあげるが、シリウスはお構いなしに歩き出す
視界が高くなった上に揺れて怖いのだが掴まるに掴まれず、遠ざかる案内役を振り返ったり足元を見たりおろおろとすると、ふ、と勇人の動向が目に付く
「あの……何さするだす?」
「ん? ああ、レプスはジェットコースター得意か? 俺は元々得意じゃない方だったんだけど完全に駄目になっちゃってさぁ……って言っても分かんないか、まぁ得意じゃなさそうだよな、見た感じ」
「じぇ?」
聞いたことの無い単語も気になるが、綿のようなものを自分とシリウスの耳に詰めていることの方が物凄く気になる
その上、何やらふかふかとした布のようなものを二重三重に折り畳んで口に咥え、更に麻袋を取り出した勇人はソレをずぼっと頭から被り、袋の口部分に通してあった紐を軽く絞って結び 袋を首元で固定してしまった
「あの、ほ、ほんどに何さ……?」
「んむ? ひまひゃにかいっひゃか? ひょめんひゃ、ひまほひょんひょひほえひゃいんひゃ、ひゃほ ひっかひひゅかまっひゃほうはひひほ」
「へ?」
恐らく今は殆ど耳が聞こえないようなことと、掴まった方がいいというようなことを身振り手振りを加えながら勇人はそう言うと、シリウスの首に腕を回し自分の片耳と彼の片耳が口に銜えていたのと同じような厚めの布を挟んでしっかり当たるようにしつつ抱きつき、彼のもう片方の空いた耳も手の平でぐっと塞ぐ
呆然とそれを見ていたレプスが、ふ と気付くと、そこは参道前だった
眼下に広がる、眼も眩むような角度の傾斜
初めて御山に登りきった時には、この光景を見てぞっとしたものだが、身体を慣らすために一週間掛けて登ったにも関わらず襲い来る高山病の苦しみにやがてそれどころではなくなり、高山病に慣れる頃には方々へ向かわされる用事によってやがてこの光景にも慣れてしまった
……慣れてしまった――が、
整備されているとはいえ、じっと眺めていると背筋が冷えていくような傾斜の壮大なこの眺め
麓まで設えられた石の階段は、手摺りがあるとはいえ足を踏み外せば奈落の底まで一息に誘ってくれるであろう、爽快な景色が広がっている
大陸の浄化がされておらず魔物があちらこちらで跋扈していた頃に比べれば、現在は各地の上位巫女や神官のお陰で道中その脅威は無いとはいえ、この傾斜が健在なのは逃れようの無い現実
この参道を、夕刻の船に間に合うように……
――降 り る ?
次の瞬間、がくん、と身体が落ちた
襲い来る風圧は凄まじく、上半身が置いていかれそうになり慌てたレプスは勇人とシリウスの頭に齧り付くようにして掴まる
だが、それは安心には繋がらなかった
「いぃぃいいいぃぃぃいいいいいやぁぁあああああああアアアアアアアアアアア!! むりむりむりむりいやいやいやいやだめそれし、し、しぬしぬしぬしぬうそうそうそうそぉぉぉぉぉおおおおおおオオオオオオオッッ!!」
内臓が浮き上がるような感覚、瞼が上手く閉じられず眼が乾く、力の限り叫んでも消えてくれない恐怖、この地獄はいったいいつまで続くのか
勇人とシリウスの耳には高音域の悲鳴が耳栓の上からでもびりびりと伝わってきた
参道を下ったのは恐怖のワリには時間にして僅か数分、しかしそこで終わりはしなかった
麓が近付き、疎らだった木々が徐々に密度を増してくる
ようやくこの恐怖が終わる、そうレプスは思った
――だが
「ひぃあぁぁぁあああああっ?! なんでなんでなんでうそうそうそうそうそむりむりむりむりむりだべしぬしぬしぬしぬおちおちおちおちるおちるおちるだめだめだめだめぇぇえええエエエエェェエエエエエッッ!!」
凡そ人間とは思えないようなこの身体能力は一体どうなっているのか、女二人を抱えたシリウスは木々の密度が高くなってくると大きく跳躍して今度は木々の上を跳び移りながら渡り始めた
「あんのくそおやじなんもかんもあのくそのせいだべおらがしんだらのろってけつかるべっおらぁもうだめだべさっおっがぁたすげてくんろ! おっがぁたすげてくんろぉぉぉおおおおおおオオオオオ!!」
おもわず地が出たのは兎も角として、おかしなことに これだけの負荷が掛かれば折れてしまいそうな細い枝でも折れることは無く、力強いしなやかさを発揮して跳躍を助ける程だ
巫女が鍛えているとかいないとか言っていたが、もしや巫女もこんなことができるのだろうか
やがて恐怖に耐え切れなくなったレプスは気絶したが、次に意識が戻った時にもまだ移動中だったため再び気絶した
「ひぐ、うぅ、よのなかまちがってるべ」
因みに勇人が言った台詞『うん? 今何か言ったか? ごめんな、今殆ど聞こえないんだ、あと しっかり掴まった方がいいぞ』