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「はぁぁーやっど地面の上だべ! やっぱり人は地に足着いでなんぼだべな!」
「港は人が多いからお互い見失わないように気をつけようなレプス」
「はいだす!」
「服の裾を掴むのはやめて下さい」
「いや、しっかり掴んどいた方がいい、女の一人旅と思われて浚われたら大変だぞ」
「だったら縄でもつけておきますか」
「縄つけるんならお前の首につけてレプスに握らせるわ」
「わたしは構いませんよ? 貴女が衆目に耐えられるのなら」
「おらもカミシロさまがおっしゃるならかまわねぇだす!」
「……ごめん、許せ」
騒々しい三人組が下船の為の小船に乗り陸地へと遠ざかっていくのを商船に残った商人や護衛たちは胸を撫で下ろす思いで見送った
「……行ったか」
「ええ、ようやく」
下船の報告を聞き、ファティニを始めこの商船の管理者たちが深く溜め息をつく
「まさか"嘆きのシリウス"とは……」
三人組の少なくともシリウスの身元は既に把握済みだ
レプスの使った通信札や乗船券などの引き落としを確認すれば、セラスヴァージュ大陸から乗船したとかしないとか以前に、その所属は一目瞭然であったし、それよりももっと確実なものをこの眼で確認している
依頼時に遣り取りしたギルド証だ
"ユェヴォルグ・ウル"……シリウスの持つ階級だ、ユェヴォルグが勇人の言うSランクに相当し、ウルが計測不能という意味合いになる
各ギルドでのランク付けはフィム、シュワヌ、エディル、D、C、Bに相当し、Aはギリウ
ここからアーシャルハイヴとなり、所属ギルド外の依頼も受けることができるようになり、BからAには大きな格差が存在する
そして更に大きく格差を付けるユェヴォルグ、その最高位のウルに至るまで階位は十あり、ウルはそれ以降計ることができないとされていた、測ろうとすれば、それだけ大きな力を揮うことになり、その結果が甚大な被害に繋がるからだ
齢十でウルとなったシリウスは、その幼さから特に厳重に首に縄を付けられる予定だった、可能であれば洗脳し、万に一つの脅威の片鱗も残さぬよう
そこに打算はあっただろう、年端も行かぬ幼子の未来を憂いた憐憫もあっただろう、純粋な厚意だけでなく、寧ろ醜悪なものに比重が大きく傾いていたことは疑いようも無い
それを何もかもぶち破るように振り切った
――ひどい、ぼくとおかぁさまをはなればなれにするの?
嘆きのシリウス、噂だけは聞いていた、力と引き換えるように人の世に馴染めなくなっていくアーシャルハイヴの中でも"良識持ち"のウル八人が寄って集って押さえ込もうとした時、その皮下に蟲が這うように皮膚の至る所がざわめき、眼球も内臓も脳も膨張し、蠢き、生きているのが不思議なくらいの哀れで無残な姿を彼らに与えた
恐怖が彼らを包み込み、理性を破壊され、泣いて暴走するシリウスに赦しを乞い、シリウスに首輪を付けるのを断念せざるをえなかったと、眉唾物の話だけが伝わっている
誇張されているだけだと誰も彼もが思っていただろう、ファティニ達以外の者が、今も、尚
だが実際、その場に居合わせたウルを含める全員が、精神に何らかの異常をきたしている、赦しを乞い、体は元に戻ったが、その心は使い物にならないと聞いた
昨夜の惨劇を思えば、もう誰もその噂を疑うことはできない
「あの……カミシロという、抱えられた女、あれは、楔だった可能性があります」
「楔?」
船の管理者の一人が呟いた言葉にファティニは水を向ける
大陸間を渡る商船の管理は一人ではとても手が行き届かないため管理者は階級を設けて数十人いるが、楔という言葉に心当たりがある者はこの場に他には居ないようだ
「あの大陸の主教である、ニナ教というのをご存知ですか」
「いや、全く」
「ニナ教の巫女や神官は魔力とは異なる力を使うんだそうです」
「異なる?」
「どんなものかは知りません、ただ、その力を使う者は精神を著しく損なうそうで、理性を繋ぎとめる楔を務める者が寄り添うのだと、そう聞きました」
精神を著しく損なう……常に腕か膝に抱えている様子を思い出せば、縋り付いているようにも見える
魔力とは異なる力というのも、他の者はどう見えたか知らないが、商人として鑑定士ギルドにも兼属するファティニの持つ眼には、あの溶岩から引き抜かれた腕が、凄まじい速度で再生しながら引き抜かれた様が克明に映っていた、あの再生能力が異なるソレだと言われればそれに異は無い
三体の魔獣の息の根を止め、その後 衆目の前で披露した綺麗としか表現のしようの無い徹底的な解体風景の最中ですら手放さなかった姿を思い返せば、楔というのも納得がいく
ファティニはそう考えるが実際にはそれは千年以上前のことであり、精神を損なうのは一部の神子であって巫女や神官ではなく、現代では楔を必要とはしないが、己の生まれ育った地でも無い他所の大陸の宗教のことなど詳しく知る筈もない
因みに言うとニナ教というのも間違いである、正しくはルディナ教だ
ナしか合ってない、母音は合っているというのは苦しいだろう
「事無きを得た……ということでいいのだろうね」
彼女が真実その楔だという確証はどこにもない、力と引き換えるように人の世に馴染めなくなるアーシャルハイヴと徒人との窓口、商船に居合わせた彼らが見た印象は大体そんなところだ
彼女は彼に対し特にその行動を戒めるでも律する風でもなく、単に代わりに口を開く、そんな風に見える
"窓口"が無くなれば、彼は外界と隔絶されるだろう
もし、その時が来るのならば、居合わせたくは無いとファティニは思った
――アレが只の嘘泣きだったと本人たち以外 誰も知らないのは、とても幸福なことかもしれない
ついでに言えばシリウスは自分のことをぼくだなどと称することは幼い頃であっても無く、全て他の子供を見て参考にした演技に過ぎない
社会不適合者を装えば、面倒ごとは随分と減る、それも処世術だ




