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「それで、お宅の予算は如何程なのかな?」
「予算」
「おう、まさか見積もりも出さずに依頼とか、商人なら無いよな?」
「ええ、それは勿論、ええ、勿論です」
苦笑いをする商人、ファティニの前で女はするっと片腕を持ち上げ自身の頭の上に載っていた男の頭を捕まえると引き下ろし、ひそりとやけに親密そうにその耳に何事かを吹き込む
唇を読ませない為にか、口元を覆い、何を言っているのか窺い知ることは出来なかった
何を吹き込んでいるのか、ファティニは気が気でない
まぁ内容はファティニにとっては兎も角、勇人とシリウスにとっては深刻なものではない、念話という会話方法があるにも関わらず これ見よがしに内緒話をするのも、単に勇人からは念話できないだけのことだ
これも一種の心理攻撃であることに変わりは無いが
因みに商人としては目の前の内緒話はどんな法外な金額を吹っ掛けられるか戦々恐々とするものであり、食堂に居合わせた鼻血竜族にとっては蜜月カップルの睦言である、動悸息切れが止まらない
(持ち歩き用と、家の分な)
(貴女、本当に俗物ですね)
(何とでも言え、大体お前こそ人のことどうこう言えんのかよ)
(たこ焼き、筑前煮、五目飯、豚の角煮、カレーハンバーグ、ミルフィーユ鍋、肉じゃが、鯖の味噌煮、丸ごとロールキャベツ、鶏の照り焼き、豚の生姜焼き、大学芋、海鮮炒飯、豚汁、カレイの煮付け、海老クリームコロッケ)
(まてまてまてまてまて、おまえ、ほんとソレ好きだな、念の為言っとくが一度に全部は無理だからな)
途中から念話に切り替えるのも不自然と判断したのか、今度はシリウスが勇人の耳に吹き込む
この男の表情は女とは違い殆ど変わらず、ファティニには話の良し悪しすらも分からない
因みに列挙されたメニューの半分は彼の義母親のレシピであり、残り四割が神代家、そして一割がネットレシピである
現在の体になってから勇人は体力が持たず長時間立ち仕事ができなくなっており、これらのメニューは暫くご無沙汰になっていた
しかし、縦横奥行きが自在に可変可能となれば座ったまま長時間の調理も可能というわけだ、因みにシリウスが痩せた原因は心労などではなく、これである
勿論、シリウスは義母親のレシピを完璧に覚えてはいる、しかしこの男は絶望的な感性を有するが故にソレを再現する能力など皆無
ジョッキだとか鏡紛いの鉄板だとか普段頻繁に目にするものや穴の開いた小石程度の単純な造形なら兎も角、勇人が写真を参考にしろと言った指輪や首飾りなど言語道断、料理? ナニソレオイシイノ? なのだ
蛇足だが、たこ焼きは勇人からの伝染であるとだけ言い置いておく
「で、見積もりは如何程なのかな商人さん、なんだったら相場より幾らかまけとくぞ……そうだな」
(六千二百万クレヴです)
「五千五百八十万クレヴでどうだ?」
「ッ!!」
驚愕に目を見開くファティニに にんまりと笑顔を向ける
丁度、相場と見積もりを天秤に掛けた価格の一割引きの数字だ、驚きもするだろう
種明かしをすれば仕組みは単純なものだ、予算、見積もり、相場、そんな言葉を勇人が繰り返し唱え、ファティニが連想した価格を読み取ったシリウスが念話で勇人に伝える、そしてその一割を割り引いた価格を口に出しただけのことだが、やられた方は得体の知れない恐怖を感じる
しかし五千五百八十万クレヴという金額は、価格としては適正より安くなってはいるものの、それでもおいそれと動かせる額ではない
この依頼が個人か商人ギルドのどちらかから出されるかにもよるが、下手をすると商人ギルドからの依頼でも一時的にファティニが負担しなければならない可能性も出てくる
勿論、即金ならば、の話しだが
「まぁ、それでも法外な額なことは確かだが、儲け話もちゃんと用意できてるから安心してくれよ」
「儲け話……というと?」
「アレ、良い素材だよな?」
アレとは今まさにファティニが討伐を依頼したい船外の三体の魔獣のことだ
揺れは今も続き、護衛達は結界内に戻ることもできず三つ巴を見ている、獲物を奪い合う二体の魔獣と、喰われまいと対抗する魔獣、この争いの中に入っていける者はそうそういない
「買い取ってくれ、お宅なら適正価格で買い取っても良い値で捌けるだろ?」
適正価格というのが牽制だということくらい商人ではないファティニの背後に侍る護衛達にも分かるが、二人の雇い主は商人として儲け話には素直なようだった
「買い取り……ですか」
「目の前で捌くぞ、こいつが」
ふっと持ち上げた手で、シリウスの首をぺちんと鳴らす
どの部位が欲しい? と目線で尋ねる勇人のその顔は実に悪魔的だった、美人でも美少女でもないので小悪魔的ではないが
レプスの女神さまは清廉潔白で純真無垢な盲目の聖女ではない
因みに盲目は勿論比喩で清廉潔白も純真無垢も言葉通りではなく捻くれた解釈が要る
思想が正しく美しくとも、反作用ではたまったものではないだろう
勇人は粗野だが悪人ではなくだからと言って全くの善人というわけでもない、何事も程々が一番だ
「では……」
ファティニが、遠慮なく部位を言い連ねる
商機は逃すものではない、恐らく千載一遇の商機だ、多分、これを機にこの人物との繋がりを持つ可能性は低いだろうと彼の勘が告げていた
けれど、物事とはどこでどう繋がるかは分からない、切れたと思った糸が思わぬ場所に絡み付いていた、ということもある
アーシャルハイヴという特権階級は、そんな万に一つに縋る程にあからさまに皿に盛られた肉汁滴る高級料理だ
「ん、分かった、じゃあえーと、たっぷりと液体の入る器と、最低限ズボンだけでもいいから こいつの体型に合う耐火処理のしてある服を貸してくれ、ちゃんと返すから、流石に"ただし美形に限る"っつっても変態はまずいしな」
「は?」
※丸ごとロールキャベツは某動画投稿サイトで見ることができます




