05
料理人のおっさんが居なくなったことで、二人は漸くと食事を始めた
勇人は汁物の汁だけ飲み、固形物は煮凝りやムース、ジュレなどの口の中で形を失うものだけを口にするが、食べていないものの食感や味もちゃんと体感している
シリウスの感覚を共有して
視覚、聴覚、嗅覚、触覚、味覚、この五つに加え、シリウスの見る霊的なものや術の構造すらも
ただ、歯応え的なものは、シリウスの噛む力が尋常ではないので適切な硬さかどうかは少々判断に困る、この男は必要とあらば鉄でも石でも噛み砕くからだ、その丈夫な歯は滅多なことでは欠けることも無く欠けても簡単に再生すらする、そして鉄や石を収めた腹は壊れることは無い
因みに日本人である勇人と極めて種は近く、こんなにも異質であっても純粋な人族だ
生みの母親の出自は兎も角 父親の出自は分からない、しかしその三つの眼で診ることのできるシリウスは、自身に流れる血を的確に判断できる
三つの眼を得たからといって、血に変化は無いようだった、相手の種族にも因るが恐らく子を生しても それは眼も含め普通の子供だろう
そして土の属性も、血の繋がった親子だとしても継がれる可能性は極めて低い
「ま、まぁ俺のことはいいんだよ、俺のことは、でも聖子が男連れてきたらしっかり中身も確認するがな、そん時は頼んだぞ」
「……妹の心配より自分の心配をしたらどうですか、というか弟はいいんですか」
「女のことは男の眼じゃ分からん、ばぁちゃんと母さんに任せる」
何時もなら言っていたであろう「貴女も女でしょう」という言葉を今は言わない、人を見る目というものは身体に沿うものではないからだ、長年男として目を養ってきた者が女になったからといってすぐさま女の目を持てるわけではない、それは時間を掛けて養っていくものだ
人を見る目を養うとはつまり、他者による自分への態度、他者から他者への態度、大まかに分けてこの二つを見て学習することにある
男が男に接する時、男が女に接する時、そして女が男に、女が女に、つまりその女の性質を知る為には同性である女の方が本質を見易い、相手が自分に対する態度を見れば良いというわけだ
異性の本質を見極めたければその人物の同性に対する態度を見る、稀に異性にも同性にも分からない本物さながらの猫を被るツワモノもいるにはいるが、大体はその辺りを注視すれば人間の本質を覗き見ることができる
日本人か、地球人か、こちらの種族によってか、世界は違っても恐らく世に在る人々の多くの割合が、固体によって多少の程度の差はあれど無意識的にも意識的にも同性と異性に対する態度は異なるだろう
同性の友達の居ない奴は――というのはこの辺りから来る部分が大きいと勇人は考えている
「覗かないんですか」
「……女の子を覗くのは気が引ける」
「身体を覗くわけでもあるまいし、どちらも一緒でしょう」
「いや、なんか違うんだ、つまりそう、緊急事態で例え目の前に女子トイレがあって周りの女子も事態を分かってて仕方ないから入ってもいいよと言ってくれたとしてもわざわざ男子トイレ探すような!」
「……今後はそういった事態になっても探さず目の前の女子トイレに入って下さいね」
女の身で緊急性も無くわざわざ男子トイレに入るのは只の変態だ、間違いない
男子トイレに入るような女は襲われても文句は言えないだろう、その為こちらでは大抵の場合 大きな建物の大半の風呂やトイレは男女別で離れた位置に有り、広さの関係上分けられない場合も含め中の音が聞こえる距離に人がいる
中で人が襲われた時に対処する為だ、同性であっても、襲われる時は襲われる、店が悪いと因縁をつけられて金を巻き上げられてはたまらないのでその為の処置だ
因みにトイレの話になってもこの男の食事の手は鈍らない、図太い
「ま、まぁそんな話は置いといて、モロ電子レンジだったな」
「そうですね、多少の機能の差はあれど殆どのデンシレンジがあんな感じですよ」
「機能の差……選べる程メーカーがあんのかよ」
「判明しているだけの数ですが大分少ないです、その上 普及している大陸が異なるので価格競争にもなりません、高いですよ」
「大陸が異なる……その大陸に降りた人間によって齎されたってことか?」
「本人が作ったか、技術力のある者に機能や仕組みを伝えて作ってもらったかの違いでしょうね、高価なものなので中々一般には出てこないのでしょう、広く普及せず競い合うことも無いので機能の向上もありません、例えばそこにあるデンシレンジは完成以来四千年は外観も機能も殆ど変化していない筈です」
「よ、え、そんな前からあんのか?! 電子レンジだぞ??」
「忘れたんですか、時間の流れは同じではないんですよ」
「あ、そ、そっか」
四千年前からあるからと言って、四千年前の地球人が伝えたとは限らない
「そのデンシレンジは四千年前からですが、電子レンジに相当する物はもっと前から存在します、ソレは母の娘がその夫に頼んで作ってもらったものだそうです」
「……ぇ、あ、義姉婿か?」
「義姉ではなく母の娘です」
四千年前の人物が義母親の娘婿とはどこの法螺話だと普通は思うだろう、そう思うのも無理は無いが、残念なことに法螺話ではなく本当の話だ
ただし、シリウスの義母親は同じ土属性の神子として数百年を生きはしたが それだけだ、四千年には到底足り得ない
ではその娘婿とは何か
答えは単純だ、義母親の前世での娘の婿ということになる、何回前の前世かは知らないが
「わたしたちが今こうして人目も憚らず堂々と内緒話をできるのも彼のお陰です」
「あー、お前が浄化の継承資質保持者だってバレないようにっていうアレな」
「ソレとは違います、これは単純に光の屈折率と空気中に含まれる水分を調節し視覚と聴覚を誤魔化すための術です、まぁコレもそちら経由で伝えられた術のようですが」
今は唇を読まれない為に口元がぼかされ、声が届かないように反響率を変えているらしいことが伺える
勇人がコインランドリーのモスキート音を気にせずにいられるのもシリウスがこの術を応用しているからだ、因みにこの男は無防備でもモスキート音の攻撃など利かない、本当に若者に属しているのか
「お袋さん、土の力以外に魔術とか使えたのか?」
「いいえ、全く、母は"普通"の女性でしたから」
何の繋がりもない赤の他人であろうとも不憫に思えば多少なりとも手助けしてやりたいと考える"異質な普通"の女であった義母親は、哀れな神子をなるべく作らないために娘婿に色々と頼んだのだろう
残された魔具や書物はそういった隠匿に向いたものばかりであり、シリウスが日本に行く時もソレを用いて額の眼を隠している
アーシャルハイヴとして必要とあらば術も覚えるが、そうでなければそんなことはしないので初心者が使うような小さな火の魔術や水の魔術ですらも今現在は使えない
にも関わらず遥かに難易度の高い空間を繋げる術やそこそこ難易度の高い隠匿に向いた術は使う、なんともバランスの悪い男である
まだ自分が何者かも知らない幼い頃には、そうした魔具を理由も知らずに身に着けさせられていたのだ
ある程度成長するまでは本人にすら悟らせず、成長しても術を扱う素質を持たないのなら魔具を、そうでないのなら書物を、いずれ魔具は次の者に譲り自分自身で術を使えるようにと記された書は手書きのもので、数百年前のものということで それらしく今はもう使われない文字が含まれ、そうでない文字も現在のものとはやや形が異なり、そして文法が古い
そうして義母親の意を汲んだ者たちは、己を偽り、力を使わず、身を隠し、彼女の前から、この世のどこからも、居なくなっていった
神子とならず、力を抑えれば、怪我も病も受けなかったとしても寿命は種族に因ったものでしかない
覚えた術を足掛かりに広げ、魔術師になった者がいたかもしれない、術に頼らず戦士になった者がいたかもしれない、あるいはひっそりと田舎で田畑を耕し消えていった者も
難を逃れた者達がその後どんな道を歩んでいったのか、幸福だったのか、不幸だったのか、シリウスは知らないし、知ろうとも思わない、今更ソレを知ったところで一体何になる
ソレを知りたかったであろう義母親は既にシリウスが見送った――もうこの世にはいないのだから
「他の人間に教えてもらうわけにもいかなかったろうし、お袋さんが教えてくれたんだろ? 分からないのに頑張ったんだな」
「教え方の本がありましたよ、恐らく質問されるであろうことやその答え、それが分かることで湧き上がる別の疑問、またその答え、そういったものが書き記してありました、恐ろしいことです」
そういった者達と同じように、この男も土の力を使わなければ基本的に腕力や脚力が(化け物染みて)強く(人外程に)頑丈な只のその辺にいる戦士でも魔術士でもない"普通"の男に過ぎず、敢えて言うなら神官崩れだろう
神子でないのなら貴重な土の属性者だとて、絶対に必要な存在というものではない
既に神属ではないシリウスはなろうと思えばこの世界と丸ごと縁を切り、当人の本心がどうであれ田舎に婿入りし骨を埋めることだって出来る
けれど今もこうして神殿に関わっているのは、昔の誼みのある巫女たちと、お互いの思惑が重なったからに過ぎない
そしてソレは、義母親の願うものとは別の、しかし遠からず関係無くは無いものだ