04
洗濯を終えて船の部屋に戻ると、揺れはまだ続いていた……というか洗濯前よりも激しく揺れていた
客室内は防音効果のお陰で相変わらず静かだが、シリウスによれば既に倒れる物は粗方倒れているのか、何かが倒れる音や落ちる音はしないそうだ
倒れる音については単純に壁や床に固定してあって倒れないだけかもしれない、何せ借りた部屋にはベッドしかなく、倒れるような丈のある家具は無いので他の部屋がどうかは勇人には分からない
まさか使用中の他の客室を覗かせるのも気が引ける、いや、この男はそんなもの微塵も気にしないだろうが
まあ、テーブルは兎も角、出張窓口やカフェ、食堂のイスなら間違いなく倒れているだろう、だから何だという話だが
因みに勿論、室外には悲鳴も怒声も轟いている、総てプライスレス
「おい、すげぇ揺れてるぞ」
「そうですね」
「一体、何に襲われてんだよ」
「あちら風に言うとタコです」
「タコか、溶岩の海なのにか、茹だんないのか、香ばしい匂いするか?」
「現在、どうですか」
「ぜんっぜんしねぇ……ぁー、なかなか見ないアングルだな」
船内にいるが、視界は船外を映している
視界、というか床あたりに寝そべってやや斜め上を見ている、といった角度だ
鱗に覆われた巨大なタコのようなものが、船を覆う球状の結界に阻まれているのか、まぁるいフラスコに張り付いたタコを内側から見ているような視界というのも珍しい
派手な静電気、ではなく稲妻のようなものが球状に走り、それが阻んでいる結界だと推察できた
騎獣に乗った傭兵や魔術で浮遊効果を得ているらしき者たちが結界外に出てタコをタコ殴り……いや、総攻撃を仕掛けているようだが、効果は振るわないように見える
カラストンビ……俗に言う嘴がガチガチと開いたり閉じたりを繰り返す、見慣れたタコに照らし合わせると その嘴は割合大きく、なかなか鋭そうな印象だ、三層構造のギザギザが良い感じに猟奇的で現実感が無い
吸盤にも、吸い付く部分の外側から六つの鉤爪が覆うように伸びている、吸い付いた上から肉に喰い込ませて掴むのだろう、足は八本、律儀だ
思ったよりタコ感が溢れており、腹の辺りが少し切ない
以前の旅では最初の頃は空気に徹していたが、随分慣れたものだな、と勇人は自分自身でも関心する
「上からとか横からとか見れないのか?」
「誰かを絡め捕ることになりますが」
「あ、うん、いいや」
ソレは流石にカワイソウだ
「えーと、寝るか」
「眠れますか」
「眠れねぇな」
すっかり眼は冴えている上にこの揺れだ、これで寝れるというのは余程馬車旅に慣れた者とか、馬を駆りながら居眠りをかますとか、そういうアレな感じの輩くらいのものだろう
というか居眠り運転は死ぬぞ、因みにシリウスはこの環境でも眠ることができる、図太く、ふてぶてしい
「タッパーを持たされましたが、食事でもしますか」
「おお、意義なし、えーと、厨房借りれるんだっけ、夜中でも大丈夫か? ってか、この騒ぎでも借りられんのか?」
「多分、嫌がられます」
「だよな」
「温め直すだけなら食堂にデンシレンジがありますよ」
「え、こっちで電化製品使えんの?」
喜色満面でコンセントの差込み口を探しきょろきょろする勇人の希望をシリウスは無慈悲にもぶった切った
「ライフラインの関係上、基本的にバッテリーを搭載しない電化製品は使えません」
「いやだって電子レンジって言ったろ」
「少し違います、デンシレンジ、総てカタカナで受け取って下さい」
「は?」
「実際には電子レンジモドキです」
そんなワケでデンシレンジとご対面である、チーン
「をををっ、チーンって言った!」
「言ってません、鳴ったんです」
「細かいな」
床に下ろされた勇人は箱型のソレの戸を開き、恐る恐る中からタッパーを取り出す
「タッパー溶けてないぞ、あったかい」
言いながら次のタッパーをデンシレンジに入れて戸を閉め、教わったように操作する
温めモードを設定し、丸い摘みを回して時間を決め、摘みの真ん中を押してスタート、単純な操作性にしてあるようだ
じっと中で回るタッパーをがっぷりよつで眺める勇人を脇目に、シリウスは食堂に入ってすぐに注文した食事を出来た頃合を見計らってデンシレンジ横のカウンターに顔を出し、幾つもの料理を出来た端から受け取ってこの揺れの中でも汁の一滴すら溢さずに自分でテーブルに運ぶ、とても嫌なタイプの客である
おらよぉ! と不機嫌感満載の料理人の怒号がプライスレスでトッピングされたが、このふてぶてしい男には微塵も通じず料理人のこめかみに血管が浮き上がる、勿論、大層立派なやつだ、怒りを噛み潰して我慢する顔を見れば大抵の者は裸足で逃げ出す
しかし、怒声付きで出されたわりには、料理を気遣ってか皿はそっと出される、料理人の人柄は分かり易かった
大きなタッパーで三つ貰ったにも関わらずの大量注文は、当然のことながら足りない故にのことだが、この騒ぎなので注文の際には大層嫌な顔をされ、しかしそんなものはどこ吹く風だ
そんなシリウスの反応よりも、この料理人の胆力の方が素晴らしいだろう、さすが荒くれ者相手にその腹を満たしてきただけのことはある、この揺れの中でもしっかりと料理をするあたりからしてわりとありがちな"引退後の冒険者"なのかもしれない
最後の一つのタッパーを眺める勇人の傍らから温め終わったタッパーを取り、すぐ傍の確保したテーブルに移したシリウスはイスに座りタッパーを開ける
大人数用のテーブルの上は料理の皿で一杯だが、そのどれ一つとしてこの揺れの中でも中身を溢す事態にはなっていない
上から見たのでは分からないが、テーブルから幾つもの芽が伸び、皿をほんの僅かに持ち上げている
揺れに合わせてその芽はしなり、衝撃を吸収しているのだろう
最後の音がチーンと鳴り響き、タッパーを恭しく持った勇人がホクホク顔でシリウスの元まで歩いていき、その膝に納まり、すかさずその腹に手が回される
なんだ、歩けるんじゃねぇか
同じように眠れず、人の気配を求めて食堂に集まっていた誰かが呟いた
さーて、食べるぞ、というところで、テーブル上の料理をぬっと影が侵す、勇人が顔を上げると料理人のおっさんが空の木製皿を持って仁王立ちしていた、下からのアングルはなかなかに迫力がある
「え……と、コレ?」
タッパーを指差すと、おっさんは尊大に頷く、見たことの無い料理が気になって仕方が無いらしい
考察の為には一つずつでは足りないだろう、と勇人が半分ずつ取ってやろうとしたところ
「一種類につき二つまでです」
「お、おう」
「うむ」
けちだな、そう思ったのは勇人だけだった
他の者たちは意外に懐の深さを感じている、この辺は日本人とそうでない者の感覚の差だ
しかしシリウスは日本人的な教育を受けた上でのことなので、この場合 勇人の感想の方が正しい
そのままおっさんは同じテーブルに着き、勇人から料理の説明を受けながら黙々と味わい、メモをとっていく
しかし一応食事の邪魔をしていることは気にしているらしく、端的にピンポイントの質問を繰り返した後、皿の下を覗き込んで関心したように頷きながら悠然と去っていった
暫く後に、謝礼のつもりなのか勇人らのテーブルに一品追加された、たっぷり山盛りの大皿肉料理に込められたおっさんの真心、プライスレス
「お、これ聖子が作ったやつだな」
「前よりも上手くなっていますね」
「おう、料理上手は立派な武器になるからな、ばぁちゃんもお袋もはりきって仕込んでるみたいだ」
「貴女もはりきって仕込まれたようですね」
「まぁ一人暮らしのこともあったし、最近の男は炊事洗濯できないと土俵にも上がれないって言われてな」
ソレは弟も同じだが、言われた通りにはこなすが興味は無いらしく自発的に自ら進んでするということは無いようだ
向き不向きは誰にでもある、ソレも仕方の無いことだろう
やれと言われれば出来るだけ遥かにマシというものだ
何事も好きになれと言われて好きになれるものではない、嫌いになってしまうことだってある、高望みは厳禁だというものだろう
「見事に上がれず仕舞いでしたね、"良いお友達"の称号が輝いてますよ」
「ぐっ……」
まぁ、彼女がいなかったのは逆に良かったのかもしれない――この身体では