03
「じゃあ、明日の朝食の時に迎えに来ますから、その前にもし何か用事があったら申し訳ないですけど呼びに……あー、部屋……いや店……携帯使えないからなぁ……」
『そんどぎは探すんで大丈夫だなす』
「そうですか、じゃあお願いします、閂も掛けておきますね、おやすみなさい」
『こぢらごそお願ぇすます、おやすみなんしょ』
閉じた扉の向こう側では、床に根を張った木材がゆらりと頭を擡げ、鉄の輪に納まっていく
ごとんと、音を立てた後、根は枯れ果て落ちた
「……よし」
「着替えましょう」
「そうだな……洗濯もしないとな」
「時間が時間ですからコインランドリーにしましょう」
「寝てるもんな、ってか船に洗濯場があるんだろ?」
「洗濯場や女風呂は常に飢えた男が気にしている領域なので例え百戦練磨の猛者であっても一時的に軽装になる女性にとっては危険地帯です、船によっては階層で完全に男女別になっていますが、そちらでいう所謂"冒険者"に相当する者は基本的に八対二ほどで男寄りの業界ですから空室率が高くなるそういった対策の船は極端に少ないでしょうね」
「マジか、レプスはどうしたんだよ」
「湯を与えておきました」
「給湯室があんの?」
「食堂から」
「あー、なるほどな……で、いくらだ?」
「船代とは別に、一番大きい盥一杯で五千二百クレヴです、もっとも量り売りですから、器によっては料金が異なります、水なら多少値は下がるでしょう、因みに盥も借りることができます、あの船で言うとジョッキの大きさなら一回二百クレヴで」
「それもうジョッキの大きさの盥じゃなくてジョッキだよな?」
手っ取り早く上半身だけ着替えた二人は、汚れ物を抱えて再度実家へ渡り、夜九時閉店のスーパー敷地内にあるコインランドリーにしけこんだ
他は暗いのにランドリーだけ異様に明るく、静けさも相まって不気味である
溜まり場化抑止の為に自動販売機の類いは一切無く、更にコンビニなどで溜まり場対策として使われているモスキート音も流れているが、そんな攻撃も物ともしないハタチの若者として疑問の残るシリウスは迷い無く慣れた手つきでコース設定し汚れ物と料金を投入してスタートボタンを押す
そして使用中の洗濯機前に設置されたベンチに勇人を抱えて座り、スマホを取り出して充電器を接続し、溜まったニュースサイトの更新通知を見始めた
隣のベンチには誰が置き忘れたのかグラビア雑誌が見開き肌色全開で放置されていたが二人は無視した、胸のあたりが好みではないし、濡れて乾いた後なのか、嫌な感じぷんぷんの皺まである
常識人としてはゴミ箱に入れるか、せめて開きっぱなしのページを閉じるくらいの紳士的な対応をするべきなのだろうが、嫌な感じに汚染済みだったら嫌すぎる、触りたくもないので、二人の後に誰か女性客が入ってきたとしてもごめんなさいだ
もうほぼ乗っ取られた感のあるスマホは勇人の視線の先でシリウスに好き勝手に操作されているが、ウィルスを送られてくるような使い方はされないのでなんとか許している勇人である
元々SNSの類いは面倒なタイプなので使っておらず、相手に直接声を聞かせるわけにもいかないので知り合いとはメールのやり取りしかしていないのも拍車を掛ける原因だろう
バイトは兎も角 大学は未練がましく休学にしてあるが、恐らく退学することになるだろう、最近はフェードアウトの効果も現れ始めメールも殆ど無い
「盥込みで大体六千か、新しい単語出たな、なんだそれ通貨単位か、売店やカフェではあの大陸の通貨使えたろ」
「十八の大陸とその周辺諸島で流通する共通通貨です、レートにばらつきは出ますが各大陸の主流通貨なら船の中では使えます、共通通貨有効領域内同士の国であっても色々と凝りのある関係の国の通貨が使えない国も間々ありますが」
「単位もおかしいな、千とか百とか、セラスヴァージュでは単位毎に専用の単語あったろ、まんま日本の単位じゃねーか」
「これらの単位は恐らくこの星のほぼ全土で共通のものとして使用されています」
「……日本人か」
「もしくはそれに準ずる者でしょう」
「ほんとに多いな日本人、原因は?」
「分かっています」
困るのは上京後作った人間関係よりも地元の人間関係だが、何故だか都会で取って足す(何をだ)手術をして出来も見た目も良い婿を連れて凱旋し故郷に錦を飾ったことになっており、勇人本人はそのことには気付いていない
原因の一旦として、偶に帰ると大量の見たことも無いお高めの菓子を土産に持っており、それを近所に配ることが上げられる
そして地域組合などで体力と腕力のある男手が必要な時に勇人を抱えた状態で派遣され汗も息切れも無く颯爽と力仕事をこなすので、下手に触って拗れると楽しめな……そっと生温くがっぷりよつで見守るのがいいと恋愛ドラマの観客状態なご近所が発信源となり噂の一翼を担っているが、当然それも勇人は知らない、というかそれどころじゃない、という方が正しい
因みに組合の男手として参加する時などに勇人が固辞し神代家の者だと名乗ったことは無いが、堂々と家に出入りするので本末転倒である
「そうか、しかし五千二百って聞くだけで高い気にさせるなぁ、護衛は飯は無料だし寝床はベッドじゃなくても寝れるだろうから多少財布に優しいが、クレヴって大体どのくらいなんだよ」
「その護衛から金を巻き上げる為のシステムですよ、飲食込みの船代を払っている場合は気休め程度には安いです、船ではあまり意味がありませんが山野の魔物を狩る為には匂いで獲物に気付かれ難くするために身体を清潔にする必要がありますし、魔物の体液だの不衛生だのは病へ直結しますからね、こういう業界の人間ほど衛生には気をつけますよ、何せ治癒術は病気を治すことはできず、薬師にも限界がありますからね、そしてクレヴの価値は日本円の現在のレートに近いです」
「えぐいな」
「えぐいです」
毎日、いや、毎日じゃないかもしれないが匂いを抑える為にはそれなりの頻度の筈、その上、五千円以上も払って風呂に入れず盥の湯で身体を拭くのか、この分だと風呂も洗濯も有料なんだな、それも"それなり"のお値段、と考えると、頷いたシリウスの顎が勇人の旋毛をぐりっと抉った
「前の旅の時にはあいつらが居たから洗濯も料理も気にせずやりたい放題できたんだけどなぁ……あっちのその辺りってどうなってんだよ」
「水は土地にもよりますが共用の井戸だとか川だとかまぁそんな感じです、火も燃料に点火するタイプが殆どでしょうね、便利な道具は金持ちのものです」
「便利な道具……ガス水道電気通信とかか」
「そういったライフラインに相当する魔具は勿論、此方で手に入る便利な道具に相当する物などもですね、例えば今乗っている船なども、食堂や風呂がありますが、隔離された船内で火事が起こるのは致命的ですから、そもそもの原因を潰すため火を扱うのを一切禁止する代わりにそういった魔具を使っている筈です、使用料を払えば厨房を借りることも可能ですよ」
「あぁ、客室に燭台も無かったもんな、船内の販売所で積荷の一部が買えるのは厨房を借りれるからだったのか、陸上の宿でも借りられんのか?」
「宿にもよりますね」
「っていうかお前単身で船以外の宿に泊まったことあんの? 人嫌いのお前が? 野宿じゃなく?」
「貴女、わたしを何だと思っているんですか」
「コミュしょいていていていて痛いやめろっ」
何だとと聞かれても、"難"だろう、間違いなく
旋毛をごりごりされながら勇人は抗議の声を発した