07
「今が勝機だ! 今のうちに畳み掛け、」
シリウスの頭部を貫いた剣は、その持ち主ごと水のように崩れ落ちた
原素の結合を解かれたソレは、勇人とシリウスの顔を伝って流れ落ち、露わになった傷は跡形もなく塞がる
けれど、勇人の眼は虚ろに開かれたまま、何の反応も――無い
「……貴女、死んだんですか」
瞬きも、呼吸も、鼓動も、……なにも、なにひとつ、ない
「器用ですね……」
――わ た し が い る の に 死 ぬ な ん て
次の瞬間、シリウスを中心に放射状に大地が隆起し、裂け、ごぶり、と溶岩が天を支える柱のようにそこかしこに噴き上がる
『下手を打ちましたねえ、まだわたしが中に居ると思っていたのでしょうが、残念ながら留守です』
魔導師が、低く哂い声を零す
高みの見物のその先では、愚か者共がなんとか杭を穿とうと無駄な努力を披露していた
「避けろサニエ!」
「ぅ、ぁ?!」
溶岩の柱の間を埋めるかの如く、さながら超高層ビルを彷彿させるかのような鉱物や鉱石の結晶体が次々と大地を突き破るように縦横無尽に突き出し
それらは眼下の大地からだけでなく、彼らを盆地の山のように隆起して囲む大地の中腹から真横にも打ち出され集中砲火を受ける
「サニエっ、くそ!」
「余所見をするなジューグ!」
「なっ、ひ、」
まるで両の手の平で虫を打ち殺すように、結晶体の直撃を喰らった仲間に目を向けていた男は潰された
「くそっ呪具ごとやりやがって!」
彼らが持つ武器は、途方もない程の金さえ払えば簡単に手に入る呪具だ
勇人が調理環境を揃えるのに散々利用した"通販"で、これらの物は難なく手にすることが出来る
その呪具は持ち手が死ねば塩の柱に変え、その生命は杭を穿つ為の魔法陣に注がれ、死ねば死ぬ程にその効力は強まる
持ち手が塩の柱になれば、次の者がソレを継ぎ、咒いも継ぐ
だが呪具ごと破壊されれば、それはただの無駄死に終わる
シリウスは勇人を大事に大事に抱え込み、一歩も其処から動かない
だが遠ざかれば狙い潰され、襲い掛かれば跡形も無く崩される
大地の裂け目は広がり続け、狭間に見える溶岩はごぶりごぶりとその嵩を増していく
この大陸を含め、付近の大陸は皆たった数十キロの厚みの土塊がただそこに、溶岩の海に浮いている、それだけだ
巨大な亀裂が入れば、そこから溶岩は容易く溢れ出し、やがて大地は完全に割れるだろう
その力は大地だけでなく、シリウス自身も確実に割いていく
身体の変質は止まらないが、その力に耐えきれる程には変化を遂げていないからだ
だが、そんなことはシリウスの脳裏を掠りもしない
二人の母が、息子が普通である為に、普通に幸せである為に、優しい子であれと、良い子であれと、憎むな、恨むなと
愛し、慈しみ、何重にも掛けた戒めを
ずたずたに斬り刻み、愚かにも台無しにした
この男を止めることが出来るものは、現状では魔導師だけだ
後はもう、魔導師が殺すしかない、……が、そんな気も無い
『駄目ですねえ、身につまされます、わたしも"ああなる"可能性があるのですから』
眼を眇め、シリウスを見遣る
そこに追い縋る姿を見ることが出来るのは、この場には魔導師しかいない
『おい、やめろ! やめろシリウスっ、しぬぞっ、やめろ!!』
『どうやら心当たりがあるようですね』
魔導師が声を掛けると、シリウスに縋る者、勇人が睨み付けるようにそちらを見た
勇人がシリウスの父親、ユーディレンフのように黄泉帰ることができないのには理由が二つある
一つ、死を自覚してしまったこと
頭部を、脳幹を貫かれ、意識が霧散する瞬間、勇人は己の死を認識してしまった
それさえ無ければ……とは残念ながらいかない
もう一つの理由がそれを阻むからだ
それはシリウスが頑なに口にせず、勇人が察しても決して肯定しなかったこと
地球に居た肉体を持つ水の精霊、水瀬藤乃が勇人に告げようとして果たせなかった、あの続き
彼女はシリウスのように霊を見る眼を持っていた
霊を、つまり、勇人の魂を見たのだ
――持ち手の生命力を吸い取り力に変える呪具によって、無残にも喰い荒らされた魂の残骸を
『……どうせ一度は死んだようなもんだ、次に傷を負えば、こいつの過保護さから、もう戻れないだろうとは思ってた』
神子の心を支える者を喚び出す為の魔法陣は、ルディナ教上層部の全く関係の無い思惑によって随分と条件を書き換えられ、結果、上手く機能しなかった
喚び出された者は、どんなに傷ついても帰還によって元に戻る、それが、不完全にしか機能しなかった
送り返した勇人の無事を確かめる為に巫女たちと地球へ渡ったシリウスは、最初は無事を確認したらこちらの世界と勇人の関わりを完全に断つつもりだった
しかし、その魂を見た時、シリウスは世界を繋ぐ樹の虚を固定し、あちらとこちらを行き来することを定めた
危うい均衡によって保たれている勇人の命を、より確実に留める為に
時間の猶予は、その時にはまだあった
だが、勇人が虚に落ちて肉体が変質したあの時、その均衡は脆くも崩れ去る
肉体から遊離してしまえば後は形も留められず霧散していくばかり
シリウスがそれからの殆どを己の腕の中に勇人を留めたのは、不完全な身体のことも勿論大きな理由の一つだが、その魂を霧散させない為に包み込むという理由も兼ねていた
その無残な魂の姿も声も、今以って変質途中のシリウスでは、見ることも、聞くことも、できはしない
――もはや勇人の声は、ほんの幽かにも、シリウスに届くことは無い