02
ふ、と暗闇の中、唐突に意識が浮上する
(……んのやろ)
寝てしまった自分のせいであるのは分かっている、起こさない、と断言されていたのに耐え切れず寝たのだから
しかし、そうとう居心地の悪い思いをしたであろうレプスのことを思うと申し訳なさ半分、融通の利かなさに腹立たしさ半分だ
だが、人というものは幸せは元より不幸にすら慣れてしまう、ある種の哀しい生き物である
レプスは繊細な性質の女ではないので、コンプレックスを刺激されはしても、どうにもならないほどではない
食堂で居合わせた者たちの感じた図太さは、あながち勘違いというわけでもないのだ
その辺りは勇人自身も気付いていることだが、せめて初日くらいは、と思っていただけに、ままならない自身の身体に溜め息しか出ない
あ゛ぁぁ、と呻くようにベッドの上でごろごろとあっちを向いたりこっちを向いたりしても外れない下腹部に回された手のことは特別気になりもしない、器用だな、とは思うがそれだけだ
義母親に対してあれだけ過保護だったのだから、曲げようのないこの男の本質としか言い様が無い
大体、意識はとっくに覚醒しているだろうに、無視されているというのもそれはそれで腹立たしい、いや、勇人だってサークル仲間と宅飲み寝落ち雑魚寝した時には、夜中に目覚めてゲロった友人に気付かないフリで寝続けたりとか、彼女と間違えて覆い被さろうとしてきた友人から擦り抜けて、その結果、背後で別の友人とディープな接触事故が起こったらしいがそれにも気付かなかったフリをして狸寝入りを続けたこともある
因みに、接触事故はその後殴り合いの乱闘(※喧嘩の際に他の寝落ちしていた友人を踏んだり蹴ったりしたらしい)に発展していき、その騒ぎで目を覚ましたフリはした
「ぁー……」
起きたばかりで眠くは無いが、取り敢えず寝る努力はしよう
どうせここには時間を潰すゲームも本も無いし、スマホはカメラがバッテリー切れを起こした時の予備扱いなので使えない
一応ソーラーパネルタイプの充電器も持っているが、そのためにこいつに手間を掛けるのも難だしな、と結論付ける
しかし、そこまで考えたところで、ぽっと視界の端が明るくなった
「……口で言えよ、口で」
向けた視線の先には、ベッドの他にはフック以外に何も無い筈の木板の壁から小さな横板がせり出しており、そこに載る見慣れた木製ジョッキと、ジョッキから生え出てスポットライトばりにライトアップする発光植物
地球にだって発光する植物や生物はいるが、ここまで自己主張は激しくない
ややうつ伏せの体勢に変え、寝転んだまま軽く手を伸ばすだけで届くソレを零さないようそっと手に取り、口元に運ぼうとした時だった
「……揺れてんのか」
「はい」
船は、地球のようにエンジンで動くものではない、浮力と推進力を与える魔具を核に動いている、だからこんな風に、液面に不自然な波紋が走ったりはしない
地震に慣れている日本人は震度が一や二程度ならば意識に引っ掛かりもしない者もおり、地震の少ない国の人間よりも鈍感だ、勿論 勇人は前者に組している
「何が起こってる」
「戦闘です」
「賊か?」
「こんな場所で襲ってくるのはコスパが悪いので盗賊ならありえませんね」
「コスパ言うな」
まぁ確かにシリウスの言うとおり、溶岩の海の上で襲うというのはコストパフォーマンスが悪いのは確かだ
少なくともソレ系の魔具だとか、空を飛べる騎獣だとか、船であるとか、騎獣込みで熱を防ぐものだとか、そういった高価な装備が必要になるだろうし、襲う相手は護衛をたっぷりと内包している
そんな装備を買う金があるなら、商船を襲うより地上の大型都市を襲う方が余程大きな利益が見込めるだろう
それでも襲うと言うのなら、怨恨、金に換えられない価値の積荷、政治的云々等々、大よそ そちら系の理由になってくる
まぁつまり、そういった環境で襲われるというのは高い確率で知能が低かったり理性の無い獣が相手とか、そういうことだ
目的は餌、シンプルなのは分かり易くて大変結構なことである
「レプスは?」
「泣き叫んでいます」
「はぁっ?」
「部屋は防音にしておきましたが、揺れはするので」
「揺れに気付いて混乱してんのか」
「いいえ、外に出ようとしたので阻んだら泣き出しました」
「……閉じ込めたのか」
「そうです」
「まぁ今後のことを考えると少しは仕方ないか、レプスのお袋さんは?」
「娘と一緒になって混乱しています」
「……ぁー……行くぞ」
その言葉を受けて起き上がったシリウスは、背後からジョッキを取り上げて勇人が寝巻き代わりに来ていたTシャツをずぼっと引っこ抜き上半身を裸にした上で再びジョッキを渡す
それから身体が硬く背中に手が回らない勇人に代わって荷袋の中からブラジャーを取り出してジョッキを揺らさないように片腕ずつ通し、背後でホックを留めてカップに乳房を引っ張り込みストラップを調整する
スポーツブラやフロントホックにすればいいのだが、流石にまだ生の乳房を直に見るのは彼女居ない暦イコール年齢として立派に覚悟が足りない勇人に代わりブラジャーの着付けはシリウス担当だった
服の上からならいくらでもぷにゅぷにゅ触れるのに、直に触ったり見たりするのはまだまだ気が咎めるという小心ぶりのせいで、風呂の担当もこの背後の男になっている、お前は要介護の老人か
「そろそろサイズアウトしますね」
「またかよ、金無ぇーっつーのにっ」
「後で宝石でも換金しましょう」
「小粒のヤツな、石だけだと悪目立ちするから写真とか参考にしながら指輪状にでもしてな、警察呼ばれるのは御免だからな」
「注文が多いですね」
「……すまん(でも写真でも参考にしないと……いや写真見ても多分無理だな)」
「失礼ですね」
ジョッキを空にする頃には勇人の身支度は済ませられ、申し訳程度の礼としていつものようにシリウスの髪を定番のゆるさで編み下ろすと、荷物類を総て持って部屋を出た
船が落ちるだとか部屋に泥棒が入るだとか、色々な問題が起こった場合を考慮して、大抵の者が食事に出掛ける時も風呂や洗濯部屋に出掛ける時も荷物を持てるだけ持ち歩く
「おお、でかい音、あ、今の揺れはかなり来たな」
「おのぼりさんみたいな反応は此処だけにして下さい」
「……そんなに田舎者みたいだったか?」
「はい、とても」
「……いやでも、船なんか小学校の時の修学旅行以来二度目だしさー、飛行機だって高校の時の修学旅行の時が初めてだったし、この船も飛んでるから飛行機のカテゴリとしても二度目かなー、とか」
「そうですか、それで?」
「……ぉ、おう」
一歩外へと出ると、爆発音や破裂音が居住層まで響いてくる
稀に普通なら立っていられない程の揺れが襲う中、危なげなく隣の区画まで移動した二人が、目当ての扉を開けた瞬間、顔中を色んな汁まみれにしたレプスが飛び出してきてシリウスをよじ登り勇人の豊かな胸に縋り付いた
顔面を丸々胸にうずめてぐりんぐりん泣きじゃくる姿にシリウスは嫌そうな顔を露骨に表したが、対象のレプスは不満を訴える顔なんぞ見向きもしなかった
「ゆ゛、ゆ゛れ、う゛ぉ゛ぉ゛お゛お゛ぉ゛おおおぉぉぉおん゛ん゛ん゛っ」
「ぁー、よーしよしよしよしこわかったなーこわいこわい、大丈夫大丈夫、お袋さんが傍にいるし、俺たちもいる、もう大丈夫だぞー」
「ぎゃみ゛、じ、びゃま゛ぁ゛ぁ゛あ゛あ゛ああぁぁぁああぅああ゛あ゛あ゛あ゛っ!」
「悪化したじゃありませんか」
「俺のせいかよ」
レプスの母親は、錯乱状態の娘を宥めてやりたくても身体を持たない身では抱きしめてやることもできず憔悴しきっていた、恐怖に呑まれた娘は母親の声を上手く拾い上げることもできなかったのだろう、恐慌状態に陥った者を声だけで宥めるのは難しい
「何をもたついているんですか」
「えぇ、あぁ、うーん、しゃあねぇなぁもう」
ジョッキを渡された勇人は当初の予定を断念し、ほらレプス、咽喉が痛いだろ? と猫撫で声を出しながら首元にタオルを宛がって介助してやりつつ中身を飲ませていく
上手く飲み込めないらしく、だらだらと顎を伝い、時にげぶっと吐き出した中身はシリウスの肩を濡らしていき、眉間の皺が深くなったが勇人は無視した、タオルのお陰でレプスの服は濡れなかったが勇人の服も汚れたので相殺してほしいところだ
それでもなんとか大量に無駄にしつつも一口二口飲んだレプスの瞼はとろんと重たくなっていき、ついには完全に店仕舞いとなる
『な、なんだずな?!』
「大丈夫、眠ってるだけですよ、外で戦闘が行われてるんです、まだ暫くは揺れ続けるだろうし、部屋の外では大きな音もする、このまま朝まで寝てしまった方がいいと思って眠ってもらいました、娘さんに着いててあげてください、船は結界が張ってあるようなのでそっちについては心配ないですし、いざという時は娘さんをしっかり守ります、こいつが」
「……」
『ほやったんだすか、お気遣い感謝すでもすぎらねぇだす』
勇人がレプスの顔を拭いてやりながら答えると、母親は安心したようだった、シリウスが室内のベッドに寝かせ顔と咽喉をひと撫ですると、泣き過ぎたことにより腫れて真っ赤になっていた顔は、瞬く間に元の様に戻る
『やっぱす、シリウスさまはつぢのお人なんだべな』
「あれ、土の神属者に会った事が?」
シリウスがレプスの顔や咽喉の腫れを癒したのは二度程だが、流石にここまであらかさまなら誰にでも分かるだろう
『はいだなす、昔嫁に行っだばがりん頃、姑が腰ば打っで悪ぐすだ時さ、荷馬車に藁さ山ど積んでそごにのっげて行ったんだす、帰りば山のように土産ば買って、都の珍しいもんだって、高ぁぐ売ったんだなす』
「お姑さんと仲良かったんですね」
『とんでもねぇべ、頑固な婆様でおら何度泣がされたがわがったもんじゃねぇべな、おっちんだ時にゃ清々しだと思っで嬉涙が出たほどだなす』
彼女の言葉が誰にでも分かるただの天邪鬼だと勇人は気付いたが、それには苦笑いしか返さなかった
きっと憎まれ口を叩く、けれども情の深い姑だったのだろう
だからこそ婚家に尽くし、そして死した後も娘を想って留まっている
神子に限らず土の属性者はソレが"異常状態"であれば治癒術とは異なり怪我も病も関係なく癒すことができる……が、土の属性者の数は非常に少ないのだ
土の神子が確実に居る保養地に自ら赴いて行かない限り、ただ待っているだけで広い大陸を転々と移動し各地を癒して廻る土の神属者に出会える可能性はとても低い
レプスの故郷の地理を考えると保養地まで病人の体力を考慮しながらの移動では半年や一年は掛かる可能性があり、無理をすれば体力を消耗して死ぬ
健康な者でも保養地まで駅馬車を乗り継いで片道二月といったところか、行ったとしても保養地の神子は大規模浄化以外では任地を離れてはいけないことになっており、呼びに行ったところで連れてくることは出来なかっただろう
そして噂を頼りに大陸を廻る土の神属者を探したところで、恐らく早々に見つかったとしても、その地での癒しを放棄させてすぐさま連れ帰ることは出来なかった筈だ
レプスの祖母が保養地に行けたのは腰を痛めただけだからであって、命に関わる病ではなかったお陰に過ぎない
だがソレは多分、喩え一家庭に一人、否、総ての個人が自分自身で治癒を行えたのだとしても
――駄目な時は、駄目、なのだ
なんで大きくなるのかなーフシギだなー(棒)