08
「その……じょうたいが……せいじょうですって?」
「そうです、別に珍しいことではないでしょう」
「珍しい? ……えぇ、そうですわね……珍しくはありませんわ」
生まれつきの肉体の部分的欠落も、五感の欠落も、けして珍しいものではない
そういう状態が当たり前のものとして生まれてくる者は、確かに存在する
「……けれど、そんな状態の者が、生まれて一日だって生き長らえることなどできるわけありませんわ!」
臓器の奇形は致命的だ
たとえ心臓や肺がまともであったとしても、それで生き長らえることは絶望的と言っていい
「そうでしょうね」
「……そうでしょうね、ですって? わたくしには、はなすひつようすら、ないと……?」
「なぜ貴女に話す必要が?」
シリウスは助手に顔を向けることすらせず、勇人の唇に当てていたが飲まれる気配の無かったジョッキを引き戻す
もう自発的に飲む力すら無いからだ
自らの口に含み、気管に入らないよう首の角度を気をつけてやりながら舌を差し込み、少しずつ飲み込ませてやる
「……それは何ですの」
「ただの栄養過多の果汁です」
ジョッキの中身が空になる頃合いを見計らった助手の問いに、シリウスは端的に答える
「……そうですの、普段から液体やそれに準ずるものばかり口にして完全な固形物を口にせずにいらしたのは、内臓の所為でしたのね」
「そうです」
常に腕に抱えている理由の内の一つも、その為だ
殆ど機能しない臓器を一時的に異状状態にすることで消化させてやり、その後は元の不自然な正常状態に戻す
どうして戻すのかといえば、どんなに健常者のように作り変えても、ソレは所詮異常状態、その状態が長く続くことで、どんな副作用があるか分からないからだ
そもそも、勇人がこんな状態になったのは、およそ一年ほど前
この星の持つ力は強すぎ、その大地に息づく者どころか、周囲の空間をも歪ませる
地球から此方へ、或いは此方から地球へ、故意にしろ偶然にしろ渡る者は、自衛するかそれを上回る力を持たない限り、元々この星で生まれ多少なりとも耐性があろうとも皆等しくこの歪みに晒され歪む
その歪み方は様々で、特に何かの法則があるわけでもない
およそ一年ほど前、勇人がこちらと地球を繋ぐ虚に落ちてその歪みに晒され、歪みはその身体を作り替え、そうして勇人は女に成った
……否、成り損ねた
それに気付いたのは、勇人が家族の眼の前で外見上女に変わり、それによって現状を早合点し騒いでいた時のこと
勇人の祖母が激昂し、それを宥めようとしていた時だった
薙刀を振り回す祖母を抑えようとしていた勇人が、唐突に祖母に縋るようにずるりと崩折れ、一体何が起こったのか
いち早く反応したのは、シリウスだった
勇人が完全に倒れる前に支え、その横たえた身体を注意深く確認した、彼の三つの眼が視たもの
――そこに、シリウスが勇人を助けた、……否、助け損なった"結果"が存在していた
虚に落ち歪みに晒された勇人を、確かにシリウスは助けた、誰よりも速く反応し、その身体を引き戻した、……だが
それは、女に必要な臓器を形成する為、下腹部に元々あった臓器を押し退け、男特有の生殖器を排除し、そうして無理やりこじ開けた空間に新たに子宮を作っていた、まさにその瞬間を邪魔する行為だった
恐らく、何事も無ければ勇人の女としての生殖器は完成し、他の臓器もソレに合わせて整えられたことだろう
……だが、女として完成しないうちに助けだされた勇人は、不完全なソレが正常な状態として完成してしまったのだ
それからのシリウスは様々な知識を求めた
シリウスの額にある魔導師から色濃く影響を受ける第三の眼の為に、その極めて近しい縁を持つ勇人のことで占術師を頼ることができず
アーシャルハイヴの権限を使って知り得る限りの人体に精通した情報を掻き集め、勇人の携帯端末を使って日本国内外の論文を読み漁る
……いくら知識が蓄積しようとも、魔法の一手を見つけることは叶わなかったが
最終的には行き詰まるが、手段は僅かながらに存在するには存在した
例えば移植手術
だが地球の外科手術では、どうにもならないだろう
移植の結果 臓器同士はなんとか強引にも繋げるとして、その先は辛うじて元の臓器が繋がっている場所であり、脆く、手術を耐えて繋げたとしても、恐らく機能しない
しかし土の能力を使っての移植ならば、"一応は"可能だろう
誰かの死んだばかりの亡骸か、もしくは生きた健常な女の臓器を抜き取り、ソレを勇人に与え、元の持ち主である女の欠損した腹は土の能力で元に戻す、シリウスなら可能だろう
けれど自分の所為で他人を傷つける行為を、勇人自身が自分のためと割り切ってやるならばまだしも、自分以外の者に負わせることを勇人は嫌うだろうし、誰かの亡骸を損壊する行為も、たとえ合意の上で後々復元できるとしても生きた人間を傷つける行為も許さないだろう
しかし手術にしろ能力にしろ、どちらにせよ移植された臓器を完全に勇人のものにすることはできない
他人の臓器と勇人、それらは所詮別個体であり、土の能力によって"正常な状態"にしようだなどとすれば、勇人の下腹部には元の歪んだ臓器が再生され、更に腹から別人の肉体が生えることになる
そして正常な状態を諦めたとしても、どうしても避けられないものがある
それは免疫機能だ
……免疫によって顕現する様々な拒絶反応を薬を使わず土の能力によって黙らせることは可能だろう、だが結局そのような処置をしても、今のように常時シリウスが付き添うことになり、それらはただの無意味な行為に成り下がる
最後の手段として、例えばもう一度無防備な状態で歪みに晒されたら……とも考えなかったわけではないが、肉体改造のその続きをやってくれるとは到底思えるものではない
現状できる処置と言えば、固形物を摂取せず、消化の際に一時的に臓器をマトモな形状へと異常化させて処理させ、消化が終われば正常な状態へと戻す、それだけだ
シリウスの能力無く放置すれば、歪な臓器はどんどん悪化するだろう、だからこまめに正常な状態へと戻す
歪んだ状態こそが正常である為、それ以上はけして良くなることなぞ無い
先程、勇人が体力を削られたのは、絡みついた植物が、けしてそれ以上良くなることがないにも関わらず、無差別に傍に居る者の身体を癒やす為に当人の体力を消費し続けるからだ
この植物はシリウスと同じく土の能力を持ち、浄化の力を継承させる為の代用品だが、同じ能力を持とうとも、人と植物とではあらゆる面において大きく異なる
シリウスであれば程々で止めるが、植物にはそのような手心なぞ無く、相手の状態を無視して癒し続ける
そのまま続ければさして時間も掛からずに勇人は消耗しきって衰弱死していただろう
だからこそ一年、そうして常に生命維持装置に繋がれたような日々を過ごしてきた
勇人の胎には皆が思い込むような土の能力者なぞ宿ってはいない
そもそも、宿る為の胎すら存在しない
……だが、シリウスの心には、確かに宿るものが幾つかあった
自覚の有る無しに関わらず勇人に対して感じるシリウスの幾つかの感情の中には、小さからず感じるものの一つに"罪悪感"がある
それに気付いている勇人は、だからこそ時に傍若無人に、時に無頓着に、何の不安も不満も無いように気安く振る舞った
それによって、ほんの僅かにも、シリウス自身が望んだ贖罪を果たせていると溜飲が下がるように
友を失ってはいないと、安堵できるように
勇人自身が変わることなく、確かに其処に存在すると、……そう理解できるように