01
「はい、はい、はーいだすっ……げ」
「危機管理がなっていませんね」
夕食には少し早い時間だが、混むことを考えれば適した時間帯だろう、ノックを受けて相手を確認もせず扉を開けると三つ眼の男がレプスを見下ろしていた上に、苦言まで吐いてくる
(カ、カミシロさま寝ちまったべか)
頼みの勇人は相変わらずシリウスの腕に抱えられつつ疲れきったように昏々と寝入っており、レプスの助けを求める視線になど気付く筈もない
『マリーっ、置いでがれんべっ、荷物っ、鍵さ掛げでっ』
「わ、わがっでるっ」
レプスを待たずに歩き出してしまうシリウスを見た母に急かされ、慌てて荷物を持って施錠すると、ぎしりと軋むような音がし、悪霊の類いさ居んだべか、と不安になりつつも遠ざかる背中を追ったが、その足はすぐさま止まりそうに速度を落とす
(……ぇ、子供?)
シリウスの背中に張り付く、小さな小さなその背中
今にも足を止めそうなレプスに気付き、振り返ったその小さな顔は……
「ふぇい?!」
「慣れないうちは他人が居る所では外した方がいいですよ」
「えっ?」
「人と違うものが見えると知られれば、利用しようとする者が現れます」
『んだなすっ、マリーっ、ぼげっどすでねぇでほれっ』
「ぇ、あ、ああ!」
小さな子供の顔に気をとられて妙な声を発し、完全に足が止まったところを見計らったように声を掛けられ、母親に急かされて やっと何を言われているのか分かったレプスは慌てて片腕から一つミサンガを外した
その途端に母の姿も声も分からなくなるが、幸いなことに不安感は無い、きっと、今も、ちゃんとそこに居てくれるのだから
――が、居るからといって総てが安心に繋がるものでもない
(……えれぇ食いづれぇべな)
ここは食堂だ、四人掛け程のテーブル席を一つ占拠し、レプスの対面に勇人を膝に抱えたシリウスが座っている
だた、座って、そこに居る、……だけ
レプスは自分一人だけ食事を食べる姿を曝しているわけである、相手はこちらを急かすように食べる姿を見てくるわけではないが、非常にやりづらい
横に居られるのも難だが、だからって正面も厳しい
急いで食べてしまうのがこの場合考えうる最善の対策なのだが、思うように飲み込めないレプスは思考を逃がすことにした
先程の小さな子供のことだ
種族にもよると思うが、とても幼く見えたその子は恐らく物心がつくかつかないかという年頃だろう
子供はレプスがミサンガを外した途端に見えなくなった
つまり"そういうこと"だろう、あの幼さでシリウスの背中に自力のみで掴まっていた様子を思い出せば、ソレも納得できる
問題は、その容貌がシリウスとの血縁を感じさせる程に似通っている、ということだ
大人になれば、きっとシリウスと瓜二つだったに違いないと想像できるその顔貌
ただ、髪と眼の色が違うだとか幼児のお陰か表情が豊かとかそういうことを抜きにして、気になる部位がひとつ
――眼の数が違った
(まさかカミシロさまとのお子様だべか……)
仮定の話として勇人とシリウス両名の子だとした場合、母方の特性を引いて二つ眼で生まれたのだとしても、二つ眼以外に勇人を連想させる要素は何一つ無く、勇人以外の大多数の種族も二つ眼なので、その仮定はとてつもなく厳しい
(……とするど、他の……背信行為だべ!)
レプスの頭の中では背信行為イコール浮気である
しかし、そうなると……
(は! お、おらもうわぎあいでだなすか?!)
どこらへんで線引きをするかにもよる
人によっては言葉を交わしただけに留まらず出会う前の交際関係すら浮気と見做すなどという狂気を孕んだ者もおり、そういった線引きで測ると勇人の胸をすりすりぷにゅぷにゅ力いっぱい顔面で堪能したレプスは完全に浮気相手ということになる
気まずくて視線を逸らすと自分たちのテーブルから円形に距離をとっている周囲の客が此方を気にしていることに気付いた、勿論、自意識過剰だとか被害妄想ではなく
普段ならば、田舎者が都会の彼女持ちの色男に付き纏っていると思われているに違いない、と思うところだが、今は一人だけで食事をしている姿を、遠慮とか無いのかと思われているに違いない、と別の被害妄想が駆け巡る、レプスの頭の中はあれこれと忙しいが大概の場合結論まで考え続けられず、主題がころころ変わる
あんなブスが美形と同じテーブルに着くとか身の程を弁えろ! とか罵られているかもしれない、などとレプスの妄想は今度は鉄板あたりを右往左往して止まらないが、こんな船に乗っている女は並やマトモな類いの女ではないので顔の良し悪しなど「いい天気ですねー」程度の話にもならない
確かにこの男の容姿は本人がどういったつもりで"仕様だ"といったのかは兎も角、選び抜いた美貌の嫁を代々迎え入れてきた王族や貴族のように桁違いに美しい、……が、ここにいる女達は数々の修羅場を潜り抜けてきた猛者なので、そのような分かり易い罠には掛かる筈も無いのだ、……やや後ろ髪は引かれるが
因みにレプスは髪型や服装に化粧でどうとでもなる程度の容姿なので自己否定する程のものは何もないが田舎者にありがちなコンプレックスはしっかりと拗らせている
特に馬鹿にされただとかそういった経験は本人には無いが、都会に嫁に行った女性が里帰り中に零した愚痴だとか、年寄りの僻みなどの話がじゅくじゅくに熟成された結果であり、他人の憶測や体験が自分の経験として蓄積されてしまう典型と言えよう
ところで周囲の視線の正体は、オープンカフェや出張窓口の件を合わせて、あの男の前で一人でメシを食えるとか相当図太ぇなこの女、という純粋な尊敬の眼差しであり、それはそれで難である
「あ、あのぉ」
取り敢えず気まずさが最高潮に達したレプスが現状を打破せんと恐る恐る声を掛けると目線だけだが一応反応はしてくれる、女神さまおらに力を……! とか念じながらレプスは更なるコミュニケーションを試みた
「シリウスさまは食わねぇだすか?」
「はい」
試・合・終・了。
「……(……)」
レプス自身、商人の娘だったことから祭事が近づく繁忙期には交代で食事を摂るということもあったが、これは違うだろ、と思わずにはいられないレプスであった
(ま、まぁえぇべな、シリウスさまが食っでるとごさ見だら食欲無ぐなるし丁度えぇべな)
ひとはソレを負け惜しみと言う
「えど、あ、ありがどうございますだなす」
「はい」
「……(……)」
正確には編んだのは勇人だがなぜだかシリウスの髪が一緒に編みこまれているミサンガを会話の糸口に、と未だ着けたままの方の腕を軽く振りつつ言ってみるが、やはり会話は即時終了と相成った
しかし、物凄く居た堪れないながらも食事に専念することにしたレプスが後僅かで食べ終わるかというところで、シリウスからアクションが起こされた
「え、これ、おらんだすか?」
「何があるか分かりませんから」
皿を見つめる視界の端に何か映り、目を向けると そこにはなみなみと果汁のようなものを満たした木製のジョッキが
(なんが? え、なんがって何だべさ)
とりあえず、このジョッキは自分の分で、飲めと強要されていることは分かった
(まさが、毒とがじゃあんめぇべな……)
恐る恐る、ちろっと舌先で舐めてみるが、カフェで貰った果汁となんら変わらない味でありレプスは拍子抜けする
毒ではないまでも、わざわざ出してくるのだから何かあるだろうと思い、とんでもなく酸っぱい味だった場合の覚悟くらいはしていたからだ、しかしレプスとシリウスは冗談を言い合うような関係ではない
「毒ですよ」
「……流石におらだって分がるだなす」
顔に出ていたのだろうか、タイミングのいいシリウスの言葉をレプスはからかわれたと受け取り、不貞腐れながらも貧乏性らしくちびちびとジョッキに口をつける
レプスは知らない
この男は
本当のことを言わないことはあっても
嘘は
――吐かないのだ