08
帰国した王太子は魔女にその才能を見出され、修行を受けている、と更に設定を加えてこうして密な全体訓練を行っている
まだ齢十一の身ではあるが、いずれ軍を率いて采配を振るうこともあるだろう
例えそれが戦争程の規模でなくとも、そういった時は必ず訪れ、逃れられるものではない
その時、兵は王太子の能力をある程度把握し、その意に沿うように動かなければならない
だからこそ、この訓練は双方にとって重要なのだ
訓練は最初のうちは子供の遊びのようなものだった
寝台に座る王太子の四方になるように王妃と侍女も寝台に座り、お喋りをする
そして時折、ちょん、と誰かが王太子をつつくのだ、勿論、くすぐってもいい、そして次第につつく指は同時多数になっていく
王太子は目隠しをし、折り紙をしながら それを察知し、防がなければならない
防ぐのは手のひらで、布団を被るのは反則だ
視覚を塞ぐということは、それ以外の五感を使うということだ、視覚に難がある者はそれを補う為に聴覚や触覚が発達する、土の能力者の場合、大多数の者には存在しない器官の発達を促す
それにはこうした遊びや、手先の感覚を使って形を作る折り紙のようなものが最適と言える
訓練も初めのその頃にはまだシリウスの直接の指導も必要なく、その間に勇人がしたことは、まずカレーだの唐揚げだの大人も子供も大好きな食べ物を兵も含めた皆に味わわせ、ちょっとした中毒に仕立て上げたことだった
人間というのは地球人だろうが異世界人だろうが一度美味いものを知ってしまうとなかなか元の食生活には戻れないもので、ソレをエサにこうして馬車馬の鼻先に吊るした人参の如く用意し、訓練をこなさせるわけである
金銀財宝でも効果が無いことは無いが、食べ物で釣るのが一番シンプルかつ効果が出易いだろう
無論、これは王太子にも適用され、訓練に参加した兵のうち、ここへ辿りつけた者達それぞれの被弾数などを加味した上で点数が決まり、王太子が食べられる食事のオプションに反映される
点数によってはおかわりやデザートはおろか、次回のメニューのリクエスト権すら与えられるというものだ
おかわりの回数については、兵士たちも個人の点数によって増減し、先着数名には今回は豚カツのオプションが付き、MVPになればリクエスト権が発生する
「ほら、また集中が偏ってきましたよ」
「あっ、わっ」
兵士たちよりもカレーと果物に集中力が偏ってきた王太子を見たシリウスは、手に持っていたスプーンを密林へ向かって投擲した
行く手を阻む筈の樹々は道を譲るかの如く ぐにょりと身を捩るようにして歪み、その合間をすり抜けたスプーンは訓練に参加していたラドゥを狙う
ラドゥは勿論スプーンを両断したが、二つに別れたスプーンは勢いを殺すことなくその背後に続いていた兵の頭上にぶら下がっていた真っ赤な実の茎を切断し、じゅくじゅくに熟していた実は彼らの頭に着弾早々ぶっちゃけた
「ぎゃぁぁぁあああああ眼がっ眼があぁぁぁああああぁぁああああっ!」
「かゆいかゆいかゆぎゃひぃぃいいあああひはははははぶへっぽぁあああ゛あ゛あ゛!!」
果汁の効果によって凄まじい痒みが彼らを襲い、地面の上をごろごろ転がっているところをビロードのように密集した起毛に覆われた太めの蔦によってくすぐり地獄に叩き落とされる
足元から忍び寄った蔦を避ける為に飛び退いた同期が飛び上がった瞬間に上部に現れた土壁で頭を打っていたのをマヌケめ とバカにしていたが、自分も充分マヌケだと思ったり思わなかったりそれどころじゃなかったりしながらも絶叫し続ける
人は、痛みでなくとも地獄に堕ちるのだ
部下たちの野太い悲鳴を聞きながらもラドゥは前に進み続ける
スプーンの持ち主が誰かなど分かりきったことだ、たとえ従甥であろうとも一口でも奴から豚カツを奪ってやらなければ気が済まない、コノヤロウ
「いいなぁ兄上は、僕も鉄を操れるようになりたいです」
「わたしと貴方では見えているものが違いすぎます」
「まあ能力があっても造形力がコレじゃあな」
「余計なお世話です」
新しく手の中に鉄製のスプーン(とは名ばかりのカップアイスを購入時に貰える平たい木製スプーンに似たくびれのない形状のものを先端を指で無理やり凹ませたもの)を作り出したシリウスを見て羨ましそうに言う王太子に素気無く答えたシリウスに勇人が素早くツッコミを入れる
"眼"によって見ようと思えば元素まで見ることのできるシリウスとは異なり、王太子に見えるのは眼球の能力自体は普通の人間のそれと何ら変わりない、ただ珍しい感覚器官を持ち、それによって他人よりも多くのものが見えるだけだ
シリウスはソレに加えて義母親の教育を受けたことで高校程度までの知識を与えられ、更に地球へと自由に渡るようになってからは勇人の使い古した教科書やインターネットによって知識を補完し今現在も得続けている、同じように元素を認識できれば話は変わるが土台無理だろう
見えるものも、認識しているものも、違い過ぎるのだ
同じものが見える者がいるのであれば、その者に任せる方がより適切な指導が行えるが、残念ながらこの国には教えられる者はシリウスしかいない
十年以上も前にただ聞いただけの指導をしているのだ
それも、すぐに魔属の眼を得て見えるものが変わってしまっている、呼び寄せられるのならばセラスヴァージュから能力者を招いた方が良いが、ここに来るまでに半年もの距離がある以上、シリウスが教えてしまった方が遥かに早い
「……見えても良い事ばかりではありません、現在の能力を自在に操れないうちは高望みをしないことです」
「……はぁい」
他人よりも多くのものが見え認識できるということは、脳に掛かる負荷がそれだけ増す
王太子はこの歳まで普通の視界しか使ったことが無かった分、尚更だろう
折り紙や本を読みながらという行為は、訓練できるうちになるべく負荷を掛けて慣れさせ、脳の処理能力自体を訓練させる為でもある
これがシリウス程に見えるようになった場合、どうなるかは想像できてもしたくないところだ
窘めたシリウスに少し拗ねたように王太子は返事をする
彼は言葉遣いを真似る程にシリウスに憧れているのだ、王族としては威厳が下がるが、気持ちが分かるだけに国王夫妻は注意しないが、「兄上のように姉上のようなお嫁さんが欲しいです」という発言には悩まされる
「料理上手で口が上手く、人目を憚らず胸を揉ませてくれて男を顎で使うのが上手い女性ということだろうか」
「尚且つ胸の大きい元男性な女性だと思われますわ陛下」
「うぅむ……」
料理上手は兎も角として、王家に嫁ぐのなら口の上手さも必要だが、人前で胸を揉ませてくれるというのもハードルが高い上にオカマ……ではなく元男性な女性、更にあそこまで豪胆で強かな者を見つけるのは骨が折れそうだと思う夫妻であったが、恐らく息子は元男が好きなわけではないと思われる
……というか息子が顎で使われるのはいいのか