07
ハァ……ハァ……
荒い息が絶えず吐き出される
じっとりと汗ばむのは、通気性の悪い密林の所為だろう
じっくりと周囲の様子を探り、神経質な程に確認をとる
目視できる範囲に違和感を感じさせるものは確認できないが、遠くでは仲間の悲鳴が確かに聞こえた
長く同じ場所に留まっているわけにもいかないが、おいそれと場所を移すことも躊躇われる
(くそ……)
次の隠れ場所を決め、背後の別の藪の中に隠れる仲間に合図を送って素早く樹の影から飛び出た、直後
「ぅおっ!」
赤い物体が顔面目掛けて投擲されてきたのを首を捻ってギリギリに躱す
自身の首がぐきりと嫌な音をさせ、背後でぐちゃっという破裂音が聞こえる
背後には先程までは存在しなかった土壁が自分と仲間を分断するように発生し赤い物体によって染め上げられていたが、随分と慣れた男は首の痛みを構わず後ろも振り返らない
警戒対象は赤い物体だけではない、不規則に現れる土壁を頼り過ぎることなく土壁自体と植物を警戒する
防御を手助けしてくれる植物もあれば攻撃してくるものもあり、それは土壁についても同じことが言えた
兎に角、周囲の環境に頼りきらないということを念頭に密林を彷徨う
また壁が現れた、目の前を遮るソレに従うべきか回り込んででも目的の方向へ進むべきか、一瞬の躊躇を見逃さないかのように足元に忍び寄る気配を察知して飛び退けば、頭に強い衝撃を感じ、男は意識を失う前に避けた筈の蔦に絡め取られ絶叫した
「……集中し過ぎていますよ」
「はい、兄上」
「貴方の兄ではありません」
「はい、兄上」
「……」
ぺらり、ぺらり、と頁を捲る音に紛れて、ぐぅ、と切ない音が王太子の腹から発生する
後宮中央の元中庭跡で、設置されたテーブルを囲ってシリウスと勇人、レプスと王太子がいた
その横には日本の芋煮会ではお馴染みのショベルカーで調理するにはちょっと小さいかな? というワリと存在感のあるサイズの大きな鉄鍋が石炉の上に鎮座し、香ばしい香りで周囲を満たしていた、ごろごろ具沢山、みんな大好きカレーである
鍋の側には三方に一本ずつ樹木が聳え、その枝先は削り出したような櫂状になっており、鍋が焦げ付かないように撹拌していた
王太子は、正面で遠慮無くカレーを食べるシリウスとレプスをちらちらと見ながら手元の本を捲りつつ、気もそぞろに周囲の様子も必死に探る
「うぅ……おがわりすだいだす」
「レプス、二日目のカレーは美味しいぞ?」
暗に今日は我慢して明日にしてはどうかと勇人が提案するが、レプスの腹は、くぅ、と切なく訴えた
しょうがないな、と溜め息を飲み込んだ勇人は周囲をぐるりと囲う密林を指差す
「レプス、中に甘酸っぱくて美味しい果物が生ってるから、それをデザートにしよう、見つける頃には腹もこなれるから、デザートの他にカレーだってもうちょっとなら余裕でいけるかもな」
「行っでくるだす!」
宣言するなりレプスは絶叫轟く密林の中へと駆けて行った
中には勇人の誘導を聞いたシリウスが、甘酸っぱくも大分小粒な果物を実らせている、小さいそれらをポツンポツンと二~三粒ずつギリギリ視界に入る範囲に点在させたので、満足な量を得る為にはレプスは結構彷徨うはめになるだろう
「でざーと……」
果物を求めて密林に姿を消したレプスを呆然と眼で追った王太子の腹は、更に切なく、きゅぅ、と鳴いた
音を聞いたシリウスが、意地悪くも眼の前で甘い香りの漂うそれを手の中に生み出し、ぱくりと食べる
「兄上、ひどいです!」
「欲しければ彼女が戻るのを待つか、自分で採るか実らせるかすればいいでしょう」
「採ろうとしても兄上が採らせてくれないじゃないですか!」
「興奮すると余計に腹が減るぞ~」
「うぅ、姉上もひどい!」
「姉上じゃねーって」
現在何をしているかと言うと、兵の訓練を兼ねた王太子の訓練中だ
庭園はシリウスによって丸ごと密林に変えられ、その中央にぽっかりと開けた場所に彼らはいる
大鍋にカレーを準備したのは勇人だが、鍋の周囲に聳えて鍋を掻き混ぜているのは王太子の操る樹木だ
食欲をそそる匂いの元を目指して兵士たちは密林を彷徨い、そんな彼らをシリウスが妨害し、王太子が推理小説を読みながらその妨害から兵を守りつつ誘導する
推理小説については、後から勇人がクイズを出題するので読んだフリは通じない
(流石に素質があるだけのことはあったな)
(ええ)
勇人たちが滞在して二ヶ月、王太子は四週間ほどで歩行が可能になり、歪な唇を治して滑舌を集中的に矯正した、王族にとって言葉は盾であり武器でもある、最も大事な要素と言えるからだ
見える部位を治して両親から立ち居振る舞いの及第点を貰うと、すぐさま帰国の体をとって臣下や一般民衆の前に姿を表した
次代の王が姿を見せないというのは国民の不安を煽るからだ、それらはすぐにも払拭しなければならない
まだ十一歳という幼さで国民の期待に沿うように取り繕わなければならないというのは可哀想だが、長きに渡り国外に出ていた、ということになっている以上、早急に臣下や国民との信頼を築き強固なものにしていかなければならない
国王夫妻や勇人たちにできるのは、それを臣下や国民の目に触れないところで補って支えてやることだけだ
(お前と違ってコミュ力がある分だけでも格段に違うな)
(余計なお世話です)