01
「叔母上と叔父上から聞いた」
酒盛りの翌日、夜遅く
シャンガル国国王の執務室で王と勇人とシリウスの三人だけで面談が行われていた
護衛を務める大元帥たちは扉の外に待機している
「……我の所為では……なかったのか」
「所為と言う表現を使うのなら先祖でしょうね」
慰めも気遣いも無い
純然たる事実のみを口にしたシリウスに、王は溜め息とも安堵ともつかない息をつく
「……頼めるか」
「宿代と食事代分くらいはやるみたいですよ」
勇人が答えると、シリウスが補足する
「わたしのやり方に口を出さないでいただけるなら」
「……分かった、下がらせるか」
「いいえ、普段通りで」
「なるほど そういうことか、……頼む」
深々と頭を下げた王から、シリウスと勇人は目を逸らして頷く
王が頭を垂れるのは王としての役目を果たす時
そうでないのなら、見せるべきものでも、見るべきものでもない
だからこそ、護衛である筈の大元帥たちも室外にいる、王は、初めからそのつもりだったということだろう
*** *** ***
「この先だ」
「遮るものが何もないな」
「警備の為だ、仕方あるまい」
ラドゥが案内する後ろを、シリウスが勇人を抱え付いて行く、流石にレプスは留守番だ
彼らの視線の先には後宮の敷地内に設けられた広大な庭がある
庭には幹の細い庭木や丈の低い草木が植えられているが、視線を遮るものは何もない
丈の低い草木も、例え芝の上を腹這いになったとしても身を隠しきれる場所は見当たらない
そしてその広大な庭の中央に、小さくとも豪奢な館が一つ
「既に連絡は届いていると思う」
「伺っております、陛下方は後からお戻りになられると、どうぞ中へ」
取っ手のない館の扉を守護していた衛兵が、扉の内へ連絡をとると、ガコン、と音を立てて鍵が中から解錠され、ゆっくりと内開きに開かれる
(へえ、考えてるもんだな)
取っ手のない扉に、内側からのみの鍵、内開きの扉
外部からの侵入を拒み、扉が内開きなのは もし開けられたとしても開かれた扉の影に隠れることで外からの侵入者に不意打ちを喰らわせることを目的としているのだろう
ここは王と、王妃と、王太子の寝所
たとえ後宮の主である正妃に謁見するためだとしても、本来なら勇人とシリウスが招かれる場所ではない
ここに呼ばれたのは様々な理由からだ
一つ、王の時間がなかなか合わない為
二つ、王太子の体調が整わない為
三つ、……ここが、彼らにとって一番の守りの要、安住の地だからだ
王の寝所は選り抜かれた精鋭が守護している
中へ招き入れられると、そこには侍女が待ち受けていた
その案内を受けて、更なる内へと招かれる
またも衛兵に守られている扉をくぐり抜けると、そこには後宮の主と、次代の支配者がいた
「陛下から話は伺っています、……まあ、本当に魔具で見た大元帥の若い頃によく似ているのね、中へお入りなさい」
壁沿いに侍女と典医が控えるその部屋の中央の椅子に座った王妃の手には刺繍道具があり、その傍らには大きな寝台があった
大きなクッションに持たれるように横になり、膝には読みかけの本が開かれている
「ほんとぅだ、ははぅえのいぅとぉり、かぁみにうちゅしたようれしゅね」
琥珀の瞳が柔和に細められ、寝台の主である少年の顔を笑顔に作り変える
その片方の眼は、瞼が溶けたビニールのように引き攣ってところどころ下の瞼と癒着し、唇が歪んで上手く閉じられない所為か発音が不明瞭であり、額も、頬も、鼻も、顎も、首も、袖から覗く指先にも、同じように引き攣った痕と、不自然な盛り上がりがいくつもあった
おかしな角度に歪んだ指の一部は、隣の指と癒着してしまっている
頭髪で分かり難いがよく見れば頭の形も少し歪だ、恐らく衣服の下もそれなりの姿をしているだろう
これが、アーディグレフが聞いた可能性の一つ
「おろぉいた、ぼくのすぁたをみてもどぉようしゅらしにゃいなんれ、しゃしゅがあーしゃぅはいうはちぁいましゅね」
スピカの存在が無ければ在り得た、シリウスの姿だ
胎児の段階で淘汰されず、生まれはしたが側に能力を制御できる者がおらず、それでも尚死なず、育つことができた場合
その土地に災害を振り撒く要となるか、或いはこの王太子のように、負の感情による小さな自壊と再生を繰り返し、一見して酷く病弱な個体となる
「ご紹介させていただきます、彼らはシリウスとカミシロです」
「はじめまして」
珍しく、先に口を開いたのはシリウスだった
荷物を検められ、何も持っていない筈のその手に、光を受けて鈍く輝く、鋼の剣身が生み出されていく
王太子の顔が呆気にとられ、隣に立っていたラドゥが、衛兵が、抜剣し、勇人を抱えたままのシリウスに斬り掛かる
その向こうで、王妃が王太子の体に覆い被さろうとするが、王妃は蔦に絡め取られて釣り上げられた
――ギャン!
瞬きもできない王太子の目の前で、耳障りな音を立てて衛兵達の剣が中程から切断される
勢い良く斬り飛ばされた剣身が四方に散って壁に突き刺さり、衛兵たちが、ラドゥが、蹴り飛ばされて壁に叩き付けられた
衝撃で内蔵が破裂したのか、その口からごぷりと赤いものが吐出される
侍女も典医もいつの間にか床に伏していた
「……ぇ……な……ん、ど……しゅて」
後宮の最奥に、大事に大事に隠されて、穏やかな世界しか知らなかった王太子が、初めて感じた、ソレ
「殿下っ、王妃殿下! どうされま、?! このっ!」
音を聞き駆け付けた衛兵も、すぐさま斬り伏せられ一瞬で沈黙する
だがその隙を突き、蔦に釣り上げられていた王妃は側の壁に突き刺さった剣身を引き抜くと、自分を絡め取る蔦を切り裂いて床の上に落ち、剣身を握ったままシリウスの視界を塞ぐように立ちはだかる
その手には剣身が喰い込み、ぼたぼたと血を滴らせる
だが体格の差から遮ることの叶わなかったシリウスの眼は、初めから、王太子以外に一度として向けられていなかった
「痴れ者め、どうやって陛下を誑かした!」
「ぼ……くを……ころしゅ……の?」
外界とは隔絶され、その世界は望遠鏡の必要も無く容易に果てまで見渡せる、そんな限られた広さと景色
傍にいる顔ぶれは滅多に入れ替わることはなく、けれど穏やかで暖かく不変であった筈のその小さな世界は
今や無残にも崩壊し、噎せ返るような死の匂いに満たされていた
「――だとしたらどうするんです?」