06
「……はぁ……ぁー……と、あぁ、あるはいぶ?って何だ」
「アーシャルハイヴです、無難なところで"越"えた者という意味合いです」
「無難……」
小さい存在は眠りの淵につき、勇人は空気を変える為かわざとらしく話題を振り、シリウスは手持ち無沙汰にぷにゅぷにゅしだした
いつもなら勇人もぷにゅぷにゅしているところだが、兎に角 倦怠感が酷い
眠らずとも眼を瞑るだけでそれなりの休息はとれるが、眼を瞑ったら最後確実に眠落ちすることが分かりきっていることもあり、眠気対策の雑談でもある
「以前ギルドについては触り程度に説明しましたね」
「あぁ、漁業ギルドとか畜産ギルドとか、ラノベのギルドじゃねーって話な」
因みに、皆大好きギルド内ランク付けはある
ラノベ的に言うAランクだとかSSSランクだとか、漁業でSSSってどんなだよ、というシロモノだ
地球風に考えるなら正装(黒紋付羽織袴)して着崩さずに東京湾からバタフライ(なぜ)で太平洋のド真ん中まで泳いでいって、素潜りでシンクロナイズド(それパートナーがいないと駄目なのかよ)しながら海底七千メートルまで潜り幻の深海魚を生きたまま持ち帰り、その深海魚で活き造りをディナーショーで披露されるマグロ解体ショー(ディナーショーなのになぜそのチョイス)ばりのエンターテインメントな包丁さばきで作るくらいのスペシャリストかもしれないが、勇人としては だから何だという感想しか持てない
因みに、これらは総て独断と偏見による思い込みであり、実際の漁業ギルドのSSSランクがそうなのかは当該者のみが知るところだろう
「そうです、掘り下げると依頼を出す分にはギルドに所属している必要はありませんが、ギルドに出された依頼を受ける為にはギルドに所属する必要があります、受け付けた依頼は総括機関が適当と判断する各ギルドに振り分けられます、例えば護衛の依頼があったとして振り分け先は傭兵ギルドや魔術師ギルドの類いでしょう、そして受けることができるのも振り分けられたそのギルドに所属する者です、つまり基本的に傭兵ギルドに所属する者が漁業ギルドに振り分けられた依頼を受けることはできません」
「あぁ、うん、別に俺が漁業って言ったからって傭兵から漁業へロングパスしなくてもいいんだぞ」
まぁ漁業も畜産も体力と筋力が命だから傭兵がジョブチェンジしても筋肉的には違和感ないかもな、と勇人は考える
別に眠いから想像力や思考力が低下しているとか、そういうわけではない、恐らく
因みに、所属外ギルド向きの依頼を受けられないというのは利権絡みやら、門外漢で出来もしないのに出来ると嘯いて旨味のある依頼を高位者が独占できないようにする為だとかそういう諸々の関係だ、高位だから今までやったことの無い事柄であろうとも何でも出来るわけではない
「しかし物事には規範通りでは対応できないことも間々あります」
「まぁそうだろうな」
「例えばそうですね……畜産だとして乳絞りがあったとします」
「乳絞り……」
何で乳絞りを思いついたのかは想像に容易い、ぷにゅぷにゅしているせいだろう、間違いなく
「乳首が硬くて農夫の力では絞れなかったとしましょう」
「あぁ……うん……乳首って言うな」
勇人は色々ツッコミたいのは山々だが、ぐっと我慢して教育的指導を入れた
「そこで力の強い傭兵、例えばそちらで言うSSSクラスの傭兵に絞って欲しいという依頼が発生します」
「力、強過ぎるにも程があるだろ」
「その通り、傭兵の力で乳首を絞れば捻じ切れるでしょうね」
「いや、今のツッコミ、ツッコミだからな?」
「そこで傭兵並の力と乳絞りできる技術を合わせ持つ者が必要になります」
「聞けよ」
ぷにゅぷにゅされながら"捻じ切れる"という単語を聞けば大抵の女は背筋がひやりとするものだが"まだ"自覚が足りないせいか、それともこの男相手に"ありえない"ことは端から思いつきもしないのか、勇人はそこには反応しない
「ですが先程も言ったように所属外のギルドへの依頼は受けられないので大抵の場合 自分が可能とするギルドに複数属しています、例えば漁民上がりの傭兵などは漁業ギルドと傭兵ギルドに兼属していたりします」
「なんで畜産の話してたのに漁業に舞い戻るんだよ、……まぁ日本でも農民上がりが功績立てて一国一城の主になった武将がいたし ありえない話ってわけでもねーけど」
自分の例えも的を射るようで全く射ていないことに勇人は気づかないがそれも些細なことだろう
「んで? 兼属じゃ間に合わない場合に必要なのか、その称号は」
「そうです」
例えば早急に並大抵以上の腕を持った護衛を秘密裏に侍らせなければならなくなった時
侍女や侍従として紛れ込ませようとも、その能力を併せ持った上で並以上の腕の持ち主を探さなければならない
所謂、傭兵ギルドや魔術師ギルドと家政ギルドの兼属だ
書類的にも"家政ギルドから"というのが最大の眼晦ましになる、紛れも無く嘘偽りの無い事実というのは強みになるだろう
だが、そういった者は常に出払っていることの方が多い
非常に引く手数多の兼属だと言えるだろう
仕事中の兼属者を中断させてでも戻させる場合も稀にある程だが、そんなことができる場合は極稀であるし、大概において あらゆる方面に亀裂を生むことになる
そこでアーシャルハイヴ("越"えた者)だ
アーシャルハイヴ以上になれば、所属していないギルド向けの依頼も引き受けることができる、極端に言うならば越権行為を可能にする階級というわけだ
先の例で言えば、家政能力を持たない傭兵に現場で付け焼刃をして仕事に当たらせるということになる、だがアーシャルハイヴは付け焼刃でも大抵の事に対して一定以上の結果を叩き出す
向き不向きで言えば向かないことでもだ
もっとも、どうしても無理なものというものが存在することは確かだ、料理だとか、芸術だとか、所謂ところの"感性"が物を言う分野で、例に漏れずシリウスもそれらについては絶望的なものを誇っている
「この資格を得るのに必要なものは力と知力、判断力、予測能力です、力は腕力に限定したものではありません、武術でも魔術でも精霊術でも使役する魔獣でも兎に角"力"であれば何でも良い、そこに人格者だとか倫理観だとか道徳観であるとか そういった類いのものは一切必要ありません」
「なんでだよ」
「真実に"力ある者"にはそんなことを説いても無駄だからです、ならば、枷を与えた方がいい」
「枷ねぇ、で、お前は首輪付き、と」
「ええ、資格を得た者には権利の他に誓約が課せられ義務が与えられます」
「権利、あー、さっきの閲覧道具とか あぁいうのか、確かにお前みたいに探し物してる人間には無駄足が減って捗るし咽喉から手が出るくらい欲しいもんだよな」
誓約だの義務だのはどうせある程度の方向性くらいなら予想はつくので敢えて勇人はスルーする、問題が露見するまでは触れるどころか気付いていることすら知られたくない案件だろう、ひとはそれを君子危うきに近寄らずと評す、空気を大事にする日本人に多い鉄板対応だ
「大体、閲覧する権利があるっつったって、お役所含めのらりくらりと盥回し……お前、何であんな早く閲覧許可出た?」
「それはそちらで言うところのSSSだからでしょう」
「……いやいやいやいやいや、それだけじゃないだろ、何やらかしたお前」
だるい手先を動かしてぺちぺちとシリウスの膝を叩く
「閲覧許可が下りるまでに最短で三年は掛かると言われました」
「……切れたのか」
「切れました」
窓口職員が聞いた十年前にぶち切れた人物というのは十中八九シリウスで暫定だ
総括機関にしっかりと刻み付けられていたトラウマなのだろう、だからこそあの速さで許可が下りた、心の傷の深さをまざまざと物語る出来事と言える
「あの頃はたかだか十歳程度の幼い子供でしたので、感情を抑えるのも未熟でしたから」
「嘘つけ、十歳の年齢にかこつけて盛大に暴れてみせただけだろ、何したんだ吐け」
「勿論わたしが"得意なこと"ですよ」
そう言いながら言外に含めるように勇人の腹に添えられていた掌がゆぅるりと撫ぜる動作を強調しただけで大体何があったかは想像に容易い
きっと阿鼻叫喚を引き起こし、関係者は軒並み恐慌状態に陥り錯乱の末に自傷者も多発したと確信出来る
「ちょ、おっま、そんな恐怖植えつけるようなマネして良心は痛……むわけねーよな、うん」
「理解が早くて助かります」
十歳の子供の倫理観や道徳観に期待できる状況では無いと判断した当時の関係者はすぐさまシリウスの要求を呑んだのだろう
そして恐らくそのお陰で誓約は兎も角として"義務"については殆ど免除されているに近い状態なのだと勇人は察した
それはそうだろう、十歳にして"それなりどころではない権力"を持った子供がまともな情操教育を甘んじて受けるとは考え難い
どう考えても温和しく説教を聴くとは思えない、物理的な抑止力を持つ大人でなければ抑えることすらできないし そんな大人が傍にいるなどという希望的観測は持てない、何故なら大人がいればほぼ間違いなく所属を止めるからだ、悪い大人なら利己的な理由で能力のある子供を秘匿するし、そうでないのなら子供の為を思って止めるだろう、子供が大人の目を掻い潜って独断で、となれば止める人間はもう存在しないも同義だ
……となれば十年経ったところで外見は大人でも内面については全く期待できず、それどころか十年前よりも悪くなっている可能性すら多分に含まれている
そんな人間が温和しく義務を受け入れるとは考え難い
まぁ情操教育と言ってもまともな保護者がいれば、という程度のもので日本に比べればその水準は恐ろしく低いことは確かだ
シリウスの当時の願いを知っている勇人としてはソレらは総て予定調和であると確信すらする
この男のことだ、アーシャルハイヴになることによって嵌められる首輪を事前に知らなかった筈が無い
探し物をする為には行動を制限し阻害してくるこの義務が間違い無く一番の大きな障害だった筈だ
だからこそ、大袈裟なくらいに"十歳の子供らしく"盛大に暴れたのだろう
正しく、アーシャルハイヴに必要な力、知力、判断力、予測能力を示したというわけだ
"死にたいのか"と女戦士が止めた理由がよく分かる
兎にも角にも義務さえ無ければ首輪など無いも同然だ、どうせ誓約と言っても内容など高が知れている、人としての道徳観がどうとかそういった系統のありがちな規範だろう
言うなれば群れ社会育ちではない上にとんでもなく大型で牙も爪も鋭く短気で気性の荒い一匹狼に、これからは皆仲間です、仲間を噛んではいけません、仲間の餌を横取りしてはいけません、仲間だから殺してはいけません等と首輪を着けるためのものだ、意識して破ろうとでもしない限りこの男には関係無い
何しろシリウスは義母親の躾けがしっかりと行き届いている、本人の言動は兎も角として中身は日本でも何の問題もなく暮らせる程の人間なのだから誓約など何の枷にもならないだろう
「っていうかお前 十歳で出奔してどうやって外大陸に繰り出したんだよ、最悪お前なら自力で溶岩の上歩いてでも行けんだろーけど一体何日掛かるか分かったもんじゃねーだろ、まぁ、そんなとこ歩いてりゃ目立つだろうから選択肢にゃ入ってなかったろうけどな」
勇人の疑問はもっともだ、シリウスが自分自身で金目の物を創り出すことは可能だろう、だが十歳の子供がそんなものを持っていれば当然 目立つ
換金しようとすれば盗品扱いを受けるだろうし、出所が分かれば金の卵を産む鶏として狙われるだろう
勿論、その都度 返り討ちにはするだろうがソレに限が無いことは確かで、それがこの男の行動を確実に阻害することは想像に容易い
では、どんな手段を用いたのか
「愛人です」
「は?」