柊木の母2
夏海ちゃんが迎えを呼ぶと、さすがお嬢様、黒塗りの高級車が滑るように走ってきた。
「あたしの車でもいいのに」
「春ちゃん、運転するとママに怒られるでしょー?」
「あたしはもうお母さんの言うことなんて聞かないから」
「あー、春ちゃんがグレたー」
茶化さないで、と柊木ちゃんがむくれると、くすくす夏海ちゃんが笑った。
そういや、実家にいるころは親の言いなりだったって言ってたっけ。
運転手のスーツを着たおじさんが、後部座席をドアを開けてくれた。
「春香お嬢様、お久しぶりでございます」
「吉永さんも、ご健勝のようで」
にこり、と笑顔を浮かべた柊木ちゃんは車に乗り込んだ。
俺にわかるくらいなのだから、夏海ちゃんにもさっきの柊木ちゃんの笑顔が作り笑いだというのはわかっただろう。
ちら、と運転手の吉永さんが俺を見ると、ぬっと顔を近づけてきた。
「あんたが真田誠治か」
「はあ……そうですけど」
「旦那様から話は聞いている。私は春香お嬢様がまだこーんな小さな頃から柊木家の運転手として送迎をさせていただいてる」
こーんな、と人差し指と親指で大きさを表した。
……柊木ちゃんどんだけちっちゃかったんだよ。小人かよ。
「そのご成長を誰よりも見守ってきた。あんたのようなポッと出の小僧が春香お嬢様と付き合っているなど、私は認めん」
俺が何かを言おうとしたとき、ぐいっと後ろに引っ張られて柊木ちゃんが割って入った。
「真田誠治さんは、わたくしの交際相手です。夏海も公認の方です。吉永さん、あなたが口を挟むことはではありません」
「ですが」
「ですが、何ですか? わたくしが認めた相手を侮辱するということは、わたくしも侮辱しているのと同じこと。あなたの仕事は何ですか? わたくしの交際相手を睨むこと? ……わかったのなら下がりなさい」
おぉ……柊木ちゃん、カッコいい。
けど、口調が全然違う。
心配そうにこっちを見ていた夏海ちゃんが、何事もなかったことにほっと胸を撫で下ろした。
吉永さんは、黙り込んで後部座席に座るのを見届け、ドアを閉める。
「本宅へ参ります」
ひと言俺たちに伝えて、アクセルを踏んだ。
にしても、すげー反応だったなぁ。
交際相手に運転手がああなるってことは、それだけ、柊木ちゃんが色んな人に大事にされてきたってことなんだろう。
「春ちゃんは、実家のこういうところが嫌だったんだと思う」
夏海ちゃんの声が聞こえていないのか、柊木ちゃんは俺の手を握ったまま、窓の外をぼんやりと眺めている。
それに気づいた吉永運転手のルームミラーに映る顔が、一瞬苦そうなものに変わった。
「大事にされすぎて、春香さんはグレちゃったのか」
「グレてないから。大人になって自立しただけだよ?」
普通の家庭なら、大学を出れば仕事をして一人暮らしをするのは珍しくともなんともないけど、働く必要がない柊木家は、普通の枠には収まらないんだろう。
柊木ちゃんの普段の生活を知りたがる吉永運転手の質問に、柊木ちゃんは愛想笑いをしながら、適当に答えていた。
車を走らせ約一時間ほどで、目的地に到着した。
山の中腹を切り崩して作られたようなお屋敷で、敷地はかなり広そうだ。
外門を通ってから正門まで少し距離があった。
「どう? 空き巣君。我が家は」
「想像通りの豪邸で言葉がない」
ちらっと柊木ちゃんを見ると、顔色がよくない。
そういや、車に乗ってからずっと言葉数が少なかった。
「大丈夫、春香さん?」
「この前の……軟禁が……」
トラウマになってる!?
玄関前で降ろされると、若いメイドさんが「春香お嬢様、夏海お嬢様、お帰りなさいませ」とぺこりと一礼して、大仰な扉を開けてくれた。
もちろん、俺はメイドさんにもちらちらと何度も視線をむけられることになった。
お荷物を、とメイドさんが出した手に、夏海ちゃんは慣れたふうに小さな鞄を渡した。
「夏海ちゃん、家の人たちは俺が来るって知ってるの?」
「ウチの友達が来るとだけ伝えてあるよ」
友達って言って、男を連れて来るって、色々と勘繰られるだろうに。
「春ちゃんの部屋何もないから、まずはウチの部屋に行こう」
高級ホテルみたいな足音が出ない絨毯の上を歩き、夏海ちゃんが二階の自室へ案内してくれた。
柊木ちゃんの部屋よりも、もちろん俺の部屋よりもずいぶんと広い部屋だった。
ぬいぐるみがいくつか窓際とベッドに置いてあり、女の子の部屋なんだと実感する。
「お嬢様、お茶をお持ちいたしましょうか?」
「いいえ。結構です」
メイドさんを下がらせて、三人になる。
「空き巣君、あんまりジロジロ見ないでよ?」
「そんな不躾なことしねーよ」
すすめられたソファに座ると、テンション低めの柊木ちゃんも隣に座った。
「ママがもう少ししたら帰ってくるから、そのときにウチから紹介してあげる。こっちから行かなくても、紹介なさい、って言われると思うけどね」
「お母さん、どんな人?」
「ちょっと礼儀作法に厳しいけど、それ以外は普通の人だよ? まあ、空き巣君からすると上流階級のおばさんって感じがすると思う」
ホテルのレストランで目にしてるんだけど、面とむかって話したわけじゃないからどうにも不安だ。
俺、結構ラフな格好で来ちゃったけど大丈夫?
ひーママと対面するときの作戦を話し合って決めた。
まず、俺は夏海ちゃんの友達として対面して挨拶など社交辞令を交わす。
夏海ちゃんの友達だとしても、それは嘘じゃないから問題ないだろう。
それで、様子を見ながら、実は、と明かす。
夏海ちゃんの話によると、ひーパパが俺のことをひーママに教えているだろうとのことだ。
あのお見合い会場に俺もいたし、その日に話をしている可能性は高い。
「春ちゃんは、どうする? ママに会う?」
「あたしは……」
さっきからずっと黙っていた柊木ちゃんは、やっぱりテンションが低い。
「春ちゃん、無理して会わなくてもいいんじゃない?」
ん? この前現代に戻ったとき、柊木ちゃんはひーママとケンカ中だと言っていた。
それって……この頃から続いていること?
「ケンカしてるの? お母さんと」
「うん……そんなところ」
「この前、ここに戻って来たことがすっごい意外だったからねー」
「あたしも……色々と常識を知って大人になったんだから、きちんとお母さんと話をしようと思ったのに、お見合いを強引にさせるし……」
何か言葉を続けようとしたとき、こんこん、と扉がノックされた。
夏海ちゃんが中に入るように言うと、玄関にいたメイドさんが入ってきた。
「奥様がお戻りになられました。いかがなさいますか?」
……いよいよだと思うとちょっと緊張する。けど、柊木ちゃんは俺以上に顔を強張らせている。
怖そうな人の印象はないけど、軟禁されたトラウマか、それともケンカのことで何か思うところがあったんだろう。
「ありがとう。お母様には、応接室で待っていると伝えてくださるかしら」
「かしこまりました」
メイドさんが下がり扉が閉まる。
まずは夏海ちゃんの友達という設定で会うから、柊木ちゃんがいると色々と話がややこしくなる。
夏海ちゃんはそう判断した。
元気なさそうな柊木ちゃんに一旦ここで待ってもらい、俺たちは部屋をあとにした。
「そんなに仲悪いの?」
「春ちゃんが、悪いってわけじゃないんだよ。自立するためにこっそり教員免許とったり学校で先生したり、一人暮らししたり、今やっているそのことごとくを強く反対されて……。ウチが知ってるのはこれくらい」
結果的にそのすべてを押し切って、柊木ちゃんは自分の希望を叶えている。
働く必要がないから反対する理由もわからなくはないけど、それでも、仲が悪いままでいいなんて俺は思わない。
これを放置しておくと、未来の柊木ちゃんはこのわだかまりをずっと抱えたままで、挙句の果てには親の承諾なしで結婚しようと言い出す。
これじゃあ、駆け落ち同然だ。
応接室にやってくると、適当にソファに座る夏海ちゃんの隣に腰かけた。
金持ちの応接室って感じで、ソファも心地いいし、価値がさっぱりわからない絵画が飾ってあったりした。
すぐにメイドさんが扉を開けると、ひーママがやってきた。
さっと立ち上がって一礼する。
「お邪魔させていただいております。真田誠治と申します」
ビジネスモード全開なのだった。
普通の高校生にはまずできない芸当だ。
「ご丁寧にありがとう。この方が、夏海の言っていたご友人の方?」
「はい。ちょっとしたきっかけでお話をするようになって、それで今日ご招待させていただいたんです」
「そう」
和やかそうな人で、顔立ちは夏海ちゃんの活発そうな感じと柊木ちゃんのふんわりした感じを足して割ったような雰囲気だった。
うん。姉妹二人にひーママの面影がある。
四〇代半ばくらいで、髪の先から足の指先まで上品で覆われていた。
和服を着ているひーママは、俺たちの向かいに座った。座るように促されて、俺は腰を落ち着けた。
「学院のご友人ではないでしょう?」
「はい。学外の友人です」
「ボーイフレンド?」
いたずらっぽく訊くと、ぶんぶん、と夏海ちゃんが首を振った。
「ち、違います! 真田さんは、ちょっとしたご縁があり、お食事をしたりお茶をしたりするような仲になったんです」
「あら。そうなの?」
話を振られたので、俺はしっかりとうなずいた。
「はい。夏海さんとは何度か外で会う機会がありましたので、それで」
こくこく、と夏海ちゃんが頬を染めながら俺の発言の援護をしてくれる。
「何か、夏海が粗相をしていませんか?」
「お母様っ」
「いえいえ。そんなことありません。すごくしっかりされていらっしゃいます」
こんな感じで、夏海ちゃんの外での様子をひーママは訊きたがった。
なんだ。お金持ちってところを抜けば、夏海ちゃんが言ったように普通のお母さんだった。
ちょっとだけ拍子抜け。
これなら、柊木ちゃんだってあっさり仲直りできるんじゃないだろうか。
「夏海がしっかり者だなんて、意外ね」
「お姉様がぼんやりしてから、自然とこうなってしまったんでしょう」
穏やかだったのに、柊木ちゃんの名前を出すと瞳がスッと冷えた気がした。
夏海ちゃんが俺に目線を寄越す。たぶん、切り出すってことなんだろう。
「お母様は、真田さんを……わたくしのボーイフレンドと勘違いされましたけれど、真田さんには、すでに恋人がいらっしゃいます」
「あらあら。夏海、残念だったわねぇ」
「だ、だから、わたくしは、別にそういうつもりでお付き合いをしているわけでは……ああ、ここでいうお付き合いというのは、友人関係のことであって……あの……」
テンパりはじめた夏海ちゃんを見て、ひーママがくすっと笑った。
柊木ちゃんに恋人がいると知っていても、俺の名前まで覚えていないらしい。
夏海ちゃんのパスを受けて、俺も本題を切り出すことにした。
「付き合っている女性というのが……夏海さんの姉である春香さんなんです」
「あら、そう。あなたが……」
意外そうに声を上げるだけで、ひーパパのときのように激烈な反対はなかった。
目を見ると、夏海ちゃんのボーイフレンドの話題では楽しそうだったのに興味がまったくなさそうだった。
「……年の差が少々ありますが、真剣に付き合っていまして、ゆっ、ゆくゆくは結婚も考えています」
「ええええええええ!? 嘘ぉおおおおおおおお!?」
夏海ちゃんがその場でひっくり返った。
「も、もう、そんな関係に――」
「夏海。大声を出さない。はしたないです。言葉遣いも」
はい、と夏海ちゃんはソファに座り直した。
俺が恐る恐るひーママをうかがうと、何度か小さくうなずいた。
「真田さんのお覚悟、確かにお聞きいたしました。貰ってやってください」
え。
ええええええええええええええええ!?
オッケーもらったぁあああああああ!?