書道の陰謀
うちの学校には選択授業ってやつがあり、芸術系科目が音楽、美術、書道の中からどれかひとつ好きなものが選べる。
俺が選んだのは書道。
いつもは書道の先生が授業を行うけど、今日は違った。
「今日は井口先生がお休みなので、柊木が代わりに授業をさせていただきます。よろしくお願いします」
柊木ちゃんはそう挨拶してぺこりと頭を下げた。
柊木ちゃん、書道なんてできるのか? 黒板の字は確かに綺麗だけど。
「先生、書道なんてできるんですかー?」
からかい交じりに男子が訊くと、えへん、と柊木ちゃんは胸を張った。
「こう見えても、先生、書道はすごいんだよ? 書道五段なんだから!」
なんかすごそう……。
書道室にいる生徒約二〇人ほどは、一様に俺と同じリアクションで、すごそうだけどどうすごいのかピンときてない様子だった。
「どれくらいすごいかと言うと、書道教室を開けるくらいすごいんだから!」
「「「「すげー!」」」」
「でしょー?」
えへん、とドヤ顔をする柊木ちゃん可愛い。
茶道もやたらと詳しかったし、もしかすると、こういう系はお嬢様のたしなみなのかもしれない。
「教科書通りのことをやってもつまんないと思うので、というか、自由に書かせてあげてください、と井口先生には言われているので『好きな物』縛りで、書いてみてください」
『好きな物』縛り、ねえ……。
ふと思いついたのが柊木ちゃんで、ちら、と見ると目が合った。
「あ、真田君は、先生の名前を書いてもいいんだよー?」
くすくす、と教室に笑いが起きた。
体育祭の借り物競争の『好きな人』で柊木ちゃんを連れていったせいか、それ以降、色んな人にその出来事をイジられるようになった。
あくまでもネタっぽいイジり方だから、俺が本気で柊木ちゃんを好きだとは誰も信じなくなっていた。
むしろ好都合。
大っぴらにイジればイジるほど、その事実は冗談として認識されるようになる。
「書かないですよ」
「なぁーんだ。残念」
くすっと微笑んだ柊木ちゃん。
女子たちが「先生フラれちゃったね」「先生元気出してー」と柊木ちゃんを冗談ぽく慰めている。
……くすっと笑ったあと、本気でヘコんだのがわかったのは、俺だけだろうなぁ……。
墨を持って、硯をこする。
何書こうかな。
周りを見ると、部活のことだったり、ストレートに「彼氏」って達筆に書いている女子もいる。
ネタに走って、好きなアニメキャラの名前を書いている人もいた。
もちろん俺は、彼女、とは書けない。
「真田君、上手だって井口先生に聞いてるよ?」
柊木ちゃんが様子を見にきた。
「そんなに上手じゃないよ」
「文章でも書いてみる? 『春香る 命芽吹く四月』なんてどう? 風流じゃない?」
おお……さすが柊木五段。
雅やかな提案だ。
「じゃあ、ちょっとやってみようかな」
「先生が、お手本書いてあげる」
マイ筆を持ってくると、硯に浸けて、余分な墨汁を切る。
ぴしっとした姿勢のせいか、柊木ちゃんの身動きに品があった。目は真剣そのもの。
前髪が邪魔だったのか、横に流して耳にかけた。
こんなに真面目な顔を見たのは、もしかするとはじめてかもしれない。
す、す、す、と文字を書いていく。
『I♡誠治』
真面目にやれ。
惚れ直したと思ったらこれだ。
でも、すげー綺麗な字。
俺は半紙をくしゃくしゃにして、ゴミ箱にシュートする。
「あ。いい感じだったのに、何するの」
ぷくー、と柊木ちゃんが膨れる。
俺が柊木ちゃんを好きってことはネタ扱いされているけど、逆はダメ。
「先生、お手本ちゃんと書いてください」
「はぁーい」
むくれながら子供みたいな返事をして、柊木ちゃんは「やればいいんでしょ、やれば」と、ボヤきながら、また硯に筆を浸ける。
ていうか、書いてあげるって言ったのは、そっちだろうに。
なんで俺が無理やり書かせてる感じになってるんだよ。
さらさらさら~と『春香る 命芽吹く四月』と凄まじく綺麗な字を書いた。
「すげぇ……」
「えへん。惚れ直してもいいんだよ?」
もう惚れ直してるよ、って言うとまたひと騒ぎあるだろうから何も言わないでおこう。
お手本を隣に置いて、俺も筆を執って何度か書いてみる。
けど、五段の実力は伊達ではなく、ろくに書道教室に通ったことのない俺には、なかなか高いハードルだった。
他の生徒にアドバイスをしたり雑談をしたりしていた柊木ちゃんが、悩める俺のところへ戻ってきた。
「ふんふん。苦戦してるね?」
失敗作を見たあと、柊木ちゃんはニンマリと笑った。
……なんか悪だくみ思いついたな?
「字が小さくなるからバランスが難しいんだよねえー」
俺の背後に回り込んだ柊木ちゃんは、俺の右手をがしっと掴んだ。
いつぞやの陶芸のように、柊木ちゃんが俺の肩口から顔をのぞかせる。
「ちょっと、なんでくっつくの」
「こうしたほうが、感覚掴みやすいから♡ あたしも先生に実際やられたことあるし」
二人きりだったら、俺の頬にキスしまくりだろう距離で、「文字同士の距離感は今の感じでいいから」と、耳元で大真面目に解説していく。
「ここを、こうして♪」
筆を持った俺の右手を握って、柊木ちゃんは半紙に文字を書いていく。
「お……おぉ……」
すげー。魔法を使ったみたいに綺麗な字が書けた。
ほぼ柊木ちゃんが書いたから当然なんだけど。
「先生、これを提出していいですか?」
「ダーメ♡」
ここは甘くしてくれないらしい。
「せい……真田君が自分で心を込めて書いたやつじゃないと」
ノンノン、と人差し指を振りながら、教師らしいことを言った。
仕方なく俺は何度も何度も練習をして、何度も何度も本番に臨むけど、いい物はそう簡単に書けない。
「頑張って」
こそっと柊木ちゃんが応援してくれる。
たったそれだけでやる気が出るんだから、俺はずいぶんと単純な男らしい。
感覚とイメージをすり合わせながら、一筆入魂。
「……」
うん。一番のできだ。
授業が終わりに近づいていたので、俺はそれを提出した。
「真田君、よく頑張ったね。文字が小さいから難しいのに」
「結構練習したから」
むふふ、と柊木ちゃんが笑う。
「これを……あとでスキャンしてデータ編集すれば……むふふ……」
何の話だ?
首をかしげていると、翌日、その言葉の意味がわかった。
ちょっとしたした用事で職員室に行ったとき、なんとなく不在の柊木ちゃんのデスクを見た。
俺が昨日書いた文字が、デスクの奥まった場所に貼ってあった。
『春香命 二年B組真田誠治』
あ。あぁああああああああああ!
全部罠だ!!
文章書かせたり、俺に頑張らせたのは、全部このため!!
バリッと縮小された紙を引きちぎってゴミ箱に捨てる。
……あとはデータ。
身を潜めて、柊木ちゃん愛用のノートパソコンを触り、『SS』というフォルダを漁る。俺と撮った写真や動画はここに入れている。
思った通り、俺が昨日書いた物のスキャンデータと編集データがあった。
両方をゴミ箱に捨て、中身を空にする。
置いていた柊木ちゃんの携帯がブブブ、と振動した。
その瞬間、待ち受けが見えた。
『春香命 二年B組真田誠治』
待ち受けにもしてる!!!!!!
消そ。
ピピと操作してデータを消去。
ふう。悪は去った。
その日の夜、電話をかけてきたときの柊木ちゃんは、元気がなかった。
「どうかした?」
「ちょっとショックなことがあってね……」と、テンションがかなり低かったのは言うまでもないだろう。
何が起きたのかは、もちろん教えてくれなかった。