角を取れば有利
それは、ほんの暇つぶしではじめたことがきっかけだった。
「はい、これで、あたしの三連勝」
「春香さん、数え間違ってない?」
「数え間違わないよ。というか、どっちが勝ったかは盤上を見れば一目瞭然でしょー?」
呆れたように指差した盤上には、俺の駒である黒は白に圧倒的に押されていた。
「オセロなんて久しぶりにやったよ」
はー、楽しかった、と伸びをする柊木ちゃん。
けど、それじゃあ俺の気が治まらない。
意地とプライドにかけて、なんとしても一勝したい……!
「も、もう一回」
「えー? さっきも同じこと言ったよ、誠治君。泣きの一回って」
「けど、それでも、もう一回、しませんか……」
「ふふ、負けたのがそんなに悔しいの?」
にやにやしながら、柊木ちゃんがこっちを見つめてくる。
そうだよ、悔しいよ。
男のメンツにかけて、一勝くらいはしたいんだよ。
「いーこと考えた! ただやるだけじゃつまらないから、負けたほうは罰ゲームね?」
「いいよ。あとでルール変更なしだから。これ、無理なやつだから」
「誠治君、それ自分の首を絞めてるんだよ? 負けたら、相手の好きなところを一〇個言うってことで! やだぁ……これすっごいステキっ!」
きゃー、と盛り上がってるところ悪いけど、次から盤上を支配するのは俺だ。
コツはわかってるんだ。
――――角を取れば有利! て、さっきわかった。
駒を手元に戻して、第四回戦をはじめる。
無知な俺につけ込んで奪った三連勝と同じように、すべてを理解した俺から勝ちを取れるかな!
ぱた、と俺が白い駒を裏返して黒に変える。
「好きなところ一〇個って、結構多くない?」
「多くないよ。あたし、誠治君の好きなところ、細胞の数と同じくらい言えるよ?」
「多すぎだろ」
「細胞レベルで愛してます♡」
「そのセリフ、若干怖いんだけど……」
ぱた、ぱた、と柊木ちゃんが俺の黒を白に染めていく。
……あ、あれぇー。い、いつの間にか角取られてるぅー。
黒、超劣勢なんですけどー。
「…………は、春香さん、コーヒー淹れてもらってもいいかな?」
「うん。ちょっと待っててね」
柊木ちゃんが席を立ち、キッチンにむかう。
背をむけた隙に、ちょいちょい、と細工をさせてもらった。
「誠治君、コーヒー好きだよね。あたしは紅茶派だから、美味しさがよくわからないんだけど――はい。どうぞ」
「あ。うん、ありがとう」
コーヒーの入ったカップを傾けながら、それとなく柊木ちゃんを観察する。
「ええっと、次はあたしの番だよね……」
ぱた、と白の駒を置いて、俺の駒を裏返していく。
あれ!? さっき、俺がこっそり裏返した左下の駒がいつの間にか白に戻ってる!?
バレないように、周辺の駒もイジったのに!
『春香さん、勝手に駒動かしたでしょ?』
『それ最初にしたのは誠治君でしょ?』
ってことになるので、指摘はできない。
いつの間に……。早業すぎて、気づかなかった。
「春香さん、今日はミルクもほしいかな……?」
「あ、ごめんね。いつもブラックで飲むから」
「ううん。いいよいいよ」
柊木ちゃんが再び席を立つ。
背をむけた瞬間を狙って、俺は自分に有利なように盤上をイジる。
これなら、次の一手で逆転もありうるぞ。
「好きなだけ入れてね」と、フレッシュを三つ持ってテーブルの上に置いた。
「うん、ありがとう」
蓋を開けて、ひとつをカップの中に入れる。
「あたしのターン終了。誠治君の番だよ」
さて、逆転の一手を差し……て……?
あ、あれ!? 元に戻ってる!?
目は離さなかったのに……!
ちら、と柊木ちゃんの目を見ると、ニコニコとしていた。
けど、それが不気味でもあった。
気づいたんなら指摘するはずだろう。俺がズルしてるってことを。
いつもは真っ先に言いそうなのに。
テーブルの下で、柊木ちゃんがタイツに包まれた脚を絡ませてきた。
「……どうかした?」
「う、ううん……何でもない」
盤上は綺麗に元通りに戻っている。
完璧に記憶でもしてるのか……?
すりすり、と脚をこすりつけてくる柊木ちゃん。
こういうことをするときは、甘えたいけど我慢しているときだ。
今は柊木ちゃんち。
障害は何もないのに、我慢するってどういうことだろう。一応ゲーム中だから我慢してるんだろうか。
俺は緊張しながら手を伸ばし、指先でちゃんとした駒をおき、その瞬間、手の平の下にある白駒をそっとひっくり返し黒に変える。
よし。バレてない。
「……今ので三回目だからねー」
「!?」
誰に言うでもなく、つぶやくように言うと、柊木ちゃんは白駒を置いて、付近の黒駒をひっくり返した。
俺のイカサマを知っていたのに、指摘しない……!?
なんでだ?
指摘して、イカサマを防止する以上のメリットがあるのか?
俺のターンになったけど、大勢を覆すことはできず、四敗目を喫した。
「誠治君、ペナルティ3」
俺は両手を挙げて降参のポーズをとる。
「ごめん。勝手にイジったことは謝るよ」
「ふふん……ペナルティ3だから、好きなところを一〇個かける一〇個かける一〇個で千個ね」
「多いわっ! 3なら、一〇個かける三でいいのでは?」
千個ってどれだけ言わせたいんだよ。
「誠治君、あたしに何か意見があるの? イカサマをした誠治君?」
「くっ……」
「最初はコーヒーを淹れにいったとき、角と付近の五枚を不自然にならないように裏返したでしょ?」
あ、当たってる……。
「先生、でも、千個はさすがに多いんじゃないですか?」
柊木ちゃんのタイツ脚は、俺の脚に絡まったままで、ずうっとすりすりしている。
「言えないのぉ?」
「一〇〇個くらいなら……」
「二回目は左上の四枚で、三回目は、駒を置いた瞬間手の中で別の白い駒を裏返したでしょ」
「……」
完璧に言い当てられた。
浮気の隠ぺい工作なんか一瞬で見破られそうだ。
ぼんやりしててポンコツ気味なのに、変なところで優秀なのはやめてくれ……。
立ち上がって、こっちにやってくると、俺の太ももの上に横座りになった。
「このままお姫様抱っこ」
「え。このまま?」
「何か?」
「いえ、なんでもないです」
これを狙って俺のイカサマを見逃してたのか。
仕方ないので、ふんぐ、と気合を入れて柊木ちゃんを持ち上げる。
「誠治君てば、力持ち」
俺の両手が塞がっているのをいいことに、柊木ちゃんは好きなところに好きなようにキスをしていく。
甘噛みしてみたり、ちゆー、と吸ってみたり、と俺はされるがままだった。
絶対キスマークついてる……。
「あたしの好きなところはどこ?」
渋々俺は言うことにした。
「ぼんやりしてるところ」
「してるかな……? 他、他は?」
「ポンコツなところ」
「ポンコツじゃないってば」
「俺のことを思いすぎて、行動がいきすぎるところ」
「うう……ごめんなさい……」
「あとは」
「もういい、もういいってば」
「そういうところ全部含めて、好き」
「誠治君ってばぁあああああ、やだあああ!」
お姫様抱っこをやめても柊木ちゃんはくっつき虫をやめることはなかった。
「下げてから上げるなんて、誠治君の意地悪……♡」
千個言わされることはなかったけど、キスの拒否権もなかった。
もう二度とオセロでイカサマはすまいと心に誓ったのだった。