一〇年後仕事する会社でバイトしてみた
惜しまれながらカフェのバイトをやめた俺は、柊木ちゃんの口利きもありHRG社の通信事業部でバイトをすることになった。
タイムリープ前はここに毎日通ってたと思うと、なんだか不思議な気分だ。
心配性な柊木ちゃんに車で会社まで送ってもらい、一階の受付で懐かしい顔を見つける。
年齢不詳の工藤さんという綺麗な受付嬢。一〇年前の今でも俺の知っている顔と全然変わらない……。妖怪の類いかな。
用件を伝えると社内をあれこれ教えられて、俺のよく知る五階に行くようにと言われた。
エントランスを歩いていると、ササ、サササ、と影が俺を追いかけてきている。
ていうか柊木ちゃんだった。
心配性で過保護な柊木ちゃんは、どうやら、俺がきちんとお仕事ができるか気になるらしい。
「春香お嬢様?」
「うきゃ!?」
「社長に御用ですか?」
「い、いえ、違うんです。今日はちょっと……その、あはは……」
捕まった柊木ちゃんには構わず、エレベーターに乗り込み、五階の通信事業部へむかう。
フロアには、俺の知っている人が何人もいた。
その人たちは、要職に就いているけど、一〇年前だとあれこれ指示を出すだけじゃなくて、現場の仕事をしていた。
懐かしいような、新鮮な感じだ。
「あ、君が、真田君? 今日からうちでバイトする」
「うわ、村松さん!」
「……よ、よくわかったね、名前……」
あ、そうだ。一〇年前だと初対面なんだった。
俺がいたころでアラフォーだから、今はアラサーくらいだ。顔が若いし、てっぺんがハゲてない。
村松さんは、俺のお世話になった直属の上司だった人で、今は役職無しの平社員だろう。
「真田誠治です。よろしくお願いします」
「はい。よろしく。僕は、村松健太です」
仕事内容などの説明を受けるべく、別室に案内された。
「真田君は、電話オペレーターの経験ってあるかな?」
通信事業部で、学生がバイトできるとしたら電話オペレーターしかない。
入社当時、死ぬほどやったから仕事は余裕だろう。
「はい。大丈夫です。商品説明とか、その他の顧客対応……あ、クレーム対応もよくやったんで」
「え。こ、高校生で? クレーム対応? す、すごいね……」
自社で製造している健康食品を通販で売っているので、かかってくる電話を取ってそこでお客さんに案内をする係だ。
相変わらず真面目な村松さんの仕事のマニュアルや社内ルールなどの丁寧な説明を聞いて、フロアに戻る。
指定された席で離席した村松さんを待つことに。
実務の環境は、一〇年後とほとんど一緒。これなら困ることはないだろう。
「空き巣くーん?」
肩を叩かれて隣の席を見ると、夏海ちゃんがいた。
ヘッドセットを頭に取りつけて、口元のマイクをいじっている。
「うわ、何してんの」
「見てわかるっしょー。バイトだよ、バイト。夏休み、暇だからやってたんだよ。もう三か月になるんだよ? ししし。わからないことがあったら、何でも聞いてね」
お嬢様のくせに、偉いなぁ……。
「けどまあ、三か月か。夏海ちゃんも、わからないことがあったら俺に聞いてね」
「え? ああ、うん……?」
曖昧に返事をする夏海ちゃん。
「春ちゃんから聞いたけど、本当にここでバイトするんだ? ウチがここでバイトしてるのも知ってたんでしょ? 春ちゃんだけじゃ飽き足らず、妹のウチにも手を出そうと……」
「そんなんじゃねーから」
隙あらば俺をからかおうとする夏海ちゃんだった。
俺用に用意されているPCを立ち上げて、専用のシステムを起動させる。ディスプレイの縁にIDとパスワードのメモがあったのでそれを入力して準備オッケー。
「なんか、手慣れてるね……」
「まあね」
マニュアルやら何やらをプリントしてきた村松さんが戻ってきた。
「真田君、これマニュアル。まず、チュートリアルで、僕がお客さん役で電話をかけたことにするから、真田君は電話に出たってことにして、マニュアルを読んでくれるかな」
一〇年後は、俺がこの説明をバイトたちにしているとは、誰も知らないんだろうなぁ。
「いえ、そういうの別に要らないんで、実戦行きましょう」
「「え――」」
隣で聞いていた夏海ちゃんも反応した。
「空き巣君、それはちょっとナメすぎだって。意外と緊張してカミカミになるんだから」
「うん。あるある。慣れてないうちは」
「そういうデキるやつぶってると、痛い目見るよ?」
ぶってるつもりはないけど、実際慣れてるからなぁ。
俺はPCを操作して、システムをオンにする。
こうしていると、通話可能なシステムに自動的にお客さんからの電話がかかってくるのだ。
「あれ……システムの使い方教えたっけ……?」
「はい。入社したときに」
村松さんと夏海ちゃんの二人にワケワカランって顔をされた。
「わからないことだらけだと思うから、答えられそうになかったら、すぐに保留して」
「了解です」
マイクとスピーカーの音量を確認していると、画面に『Calling』の文字。
受電ボタンをクリックして、電話に出る。
「お電話ありがとうございます。お客様センター真田がお受付いたします――」
久しぶりに言ったけど、案外覚えているもんで、マニュアルなしでスラスラとしゃべれた。
「うぇぇぇ!? 超流暢なんだけどっ」
さらさら、と手元のメモに『どーよ』と書いて夏海ちゃんに見せる。もちろんお客さんに案内をしながらだ。
たぶん俺は、ここ最近で一番のドヤ顔をしたと思う。
「すごい……」
村松さんが『わからなかったら保留して』のメモをくれる。現代と同じく一〇年前の村松さんもいい人だ。そんなふうに気を遣ってばっかりだからハゲるんですよ。
あの頃は嫌で仕方なかったけど、今は全然違う。
たぶん、あの頃は目的もなくだらだらやっていたからだろう。
けど今は、柊木ちゃんとのことがある。
柊木ちゃんは俺と過ごすことを生きがいにしているレベルだけど、俺だってそうだ。
口に出すのは恥ずかしいけど、今も未来もずっと一緒にいたい。
案内を終えてお客さんが電話を切るのを待つ。
通話が切れると、
「「「おぉ~!」」」
フロアから感嘆が上がった。
「あれで初日!?」
「ベテラン感すごかったんだけど」
「セールストーク上手すぎ……」
「普通に契約一件獲ってるし……」
どうもどうも。その筋の人間なので。
「真田君のトーク、すっごい上手いからみんなに聞いてもらってたんだ」
ああ、それで。確かにシステム上、他人の通話を聞くことができる。
「この調子でよろしく!」
村松さんが背を叩いて、自分の仕事に戻った。
じい、と夏海ちゃんが俺を見ていた。
「すっごい上手だから……悔しい……ウチのが三か月も先なのに……」
「ま、わかんないところあったら聞いてくださいね、先輩」
「くそう……!」
ぷくっと膨れた夏海ちゃんが仕事に戻り、「お電話ありがとうございます」と口にした。
俺もシステムをオンにして待つけど、なかなか電話がかかってこない。
「あのぅ、そういうお電話をされると、困ります……ですから……」
夏海ちゃんが困っている。
『大丈夫?』とメモを渡す。
夏海ちゃんは指で輪を作ってオッケーをした。
クレームかと思ったけど、焦っているようでもないし……何だろう。
「……お電話切りますね」
強い口調で夏海ちゃんが通話を終えた。
「暇人……何訊いてきてるんだよ、もう」
フリーダイヤルで、電話口に女の人が出ることが多いから、変態からのイタズラ電話がたまにあったりする。
彼氏がいるのか訊いてみたり、声可愛いねって褒めてみたり、パンツの色を訊いたり。
「大丈夫だった?」
「あ、うん。ありがと。心配ないよ」
ケロっとしているので、問題はなかったらしい。
俺のシステムにお客さんから電話が入る。
「お電話ありがとうございます。お客様センター真田がお受付いたします――」
『あ、出た! ……お、お仕事、頑張ってますか』
「……あ、はあ。頑張らせていただいています」
『声、ちょっと低くてカッコいい……』
「ありがとうございます……? 本日はどのようなご用件でしょうか?」
『えっと……今日の晩御飯……ハンバーグを作ろうと思ってて……』
「……あの、お電話番号、こちらでお間違いないでしょうか?」
『やっぱり、声、低くてカッコいいね……』
「どのようなご用件でしょうか?」
変な客だな、と思いながら、俺はもう一度用件を尋ねた。
『だから、今日の晩御飯はハンバーグにしようと思ってて……けど、何か食べたい物あるかなって思ったんだけど』
「……いえ、とくにないですが……」
『りょーかい♡ お仕事頑張ってね。あなたの愛しの春香さんでした♪』
おまえかーーーーい!!
『あ、言い忘れたけど、終わるまで待って――』
ぷちん、と回線を無理やり切った。
「なんで電話してきたんだよ」
「もしかして春ちゃんだった?」
夏海ちゃんの問いにうなずいた。
「もしかしてってことは……夏海ちゃんのさっきの電話……」
「うん、春ちゃん。空き巣君の仕事ぶりが気になってたんだって」
彼女バカな柊木ちゃんに、俺たちはそろってため息をついた。
「さっきもさ、フロアの隅をウロチョロしてたから、追い出したの。普段来ない長女のお嬢様が来たから、みんなが気を遣うし、仕事の邪魔になるから」
夏海ちゃんはというと、持ち前のフランクさのおかげか、周りの人に気を遣われることもなく打ち解けているようだった。
「追い出したら、追い出したで」
「電話がかかってきた、と」
「そう」
夏海ちゃんは、ちょっと怒っていた。
姉妹でどうしてこうも性格が違うんだろう。
時間になり仕事が終わると、帰り際に、夏海ちゃんが柊木ちゃんを見つけて詰め寄った。
「春ちゃん! なんであっちに電話してきたの」
「だって、誠治君のお仕事用の声聞きたくて……」
夏海ちゃんの剣幕に、柊木ちゃんがしょぼんとする。
「そんなの、いつでも聞けるでしょ」
その発言に、柊木ちゃんがいきなりキリっとした。
「同じ電話でも、お仕事用の声とプライベートの声は別だよ!?」
正論を言っているはずの夏海ちゃんが押されるほどの、柊木ちゃんの圧倒的な熱量だった。
二人がフロアから出ていくと、俺は即戦力ルーキーとして他の人たちに持てはやされた。
「えっと、真田君、だっけ? 君すごいなー! 経験者?」
「まあそんなところです」
「おかげで、仕事減ってすっごい楽だったよ! ありがとう」
「いえいえい、こっちこそお世話になってたんで」
声をかけてきてくれた二人は、俺の知っている人で、タイムリープ前はずいぶんとお世話になった人だ。
この時間軸で俺をお世話してないから、二人とも「???」って顔をした。
「まあ、ともかく、この調子で頼むよ!」
「はい!」
お疲れ様でした、と業務がまだ残っているみんなに挨拶をして、フロアを出る。
仕事って、こんなに楽しかったのか。
充実した数時間だったなぁ。
俺が余韻に浸りながらエレベーターまで歩いていると、柊木ちゃんと夏海ちゃんが話をしていた。
「――夏海も彼氏できたらわかるよ! 誠治君カッコいいから心配になるもん!」
「た、たしかに、今日は……カッコいいなって思っちゃったけど」
「あー、あー! 今! 今本音が!」
「も、もううるさい!」
「ふふん。夏海も早く誠治君みたいな彼氏見つけるといいよ」
「そうやって、変にマウント取ってくるし……。じゃあいいよ。ウチ、空き巣君と付き合うから」
「だめええええええええええ!」
「冗談だってば。本気にしないでよ」
「もう、妹のなのに姉をからかって……!」
「何さ」
「むうう」
姉妹がエレベーターを待ちながら謎のケンカをしていた。




