HRG社
目が覚めれば現代だった。
朝起きて、スマホを確認して戻ってきてるってわかった。
というか、枕元にスマホがある時点で日付を見なくても高校時代じゃないというのがすぐに知れる。
念のため日付を見ると、ちょうど一〇年後だ。
きょろきょろ、と見回した感じだと、この前柊木ちゃんと同棲していたときの部屋で、今は俺一人だった。
「朝ごはんできたよー?」
扉を開けて入ってきたのは夏海ちゃんだった。
大人になった夏海ちゃんは、ショートカットからセミロングになっていて、大人度が増していて、落ち着きのあるレディに見えた。
夏海ちゃん? が、どうしてここに……?
「どうかした?」
「は、春香さんは……」
「春ちゃんなら、そこに」
と、後ろを親指でくいくい、と指を差した。
「俺と春香さんは、同棲してるんじゃ……ないの……?」
「うん。そうだよ? ウチがパパにめちゃ頼み込んでどうにか許しを得たんだから、感謝してよねー?」
ししし、と夏海ちゃんがいたずらっぽく笑う。
「あぁ……その節はどうもお世話になりまして」
「いえいえ、こちらこそ……。今はさ、ウチのほうが二人のお世話やお邪魔しちゃってるわけだしね……」
夏海ちゃんはばつが悪そうに目をそらした。
あまり俺が見たことのない夏海ちゃんのその表情は、違和感でしかなかった。
夏海ー? という柊木ちゃんの声がして、俺と夏海ちゃんはダイニングのテーブル席に着く。
一〇年後の柊木ちゃんは、やっぱり高校時代と変わってないように見える。
指輪は……まだしてない。
ってことは、結婚もしてないんだろう。
俺の知っている状況より前進はしてないようだ。
結婚して子供ができて――そんな未来を期待していたけど、そう上手くはいかないらしい。
用意してくれた朝食をさっさと食べ終えると、夏海ちゃんは席を立った。
「バイト、行ってくるねー」
「うん、行ってらっしゃい」
「行ってら……しゃ、い……?」
バイト!?
……俺のひとつ上だから二八歳。
この朝食までの流れからして、たぶん、俺たちの家に一緒に住んでるんだろう。
ぱたん、と夏海ちゃんが出ていったあと、俺は柊木ちゃんに訊いた。
「夏海ちゃん、バイトしてるんだ? な、なんか夢でもあったり?」
「ううん。たぶん、違うと思うよ。うちの会社が、大変なことになったのは知ってるでしょ?」
「ごめん、ちょっと忘れてるみたいで……うちの会社ってことは『HRG』? 大変なことって?」
それと夏海ちゃんがバイトをすることに何か関係があるのか?
「簡単に言うと業績不振で潰れちゃったんだけど」
「え!?」
「結構なニュースになったんだよ? それで、ちょっとお金のことで、色々と大変で……。夏海がこの家に間借りさせてほしいって言ってきたでしょ?」
あー、そうだったような、と調子を合わせておく。まったく知らんけど。
柊木ちゃんちの会社が潰れた……?
タイムリープ前に勤めていた会社が、この未来では潰れているっていうのは不思議な感じだ。
お金のことで大変ってことは、結構な借金でもできたんだろう。
実家が大変だと、結婚しようって気にはなれないのもわかる。
「夏海は、あたしたちの邪魔になってるって思ってるから、早くここから出ていこうと頑張ってるんだけど……夏海はあれでも一応元お嬢様だから、苦労することも多いみたいで、あんまり上手くいってないみたい」
しっかり者のイメージだったけど、実のところは純粋培養のお嬢様で、女子高女子大、就職は実家とお嬢様ルートを歩んできたそうだ。
「誠治君は、この前、『みんなが幸せな結婚にする』って言ってくれたでしょ?」
「うん」
俺はたぶん言ってないと思うから、現代にいる俺が言ったんだろう。
ただ、俺もその気持ちがあることは確かだ。
「今はゴタついてて……うちの家族は、それどころじゃないみたいだから」
「ううん。気にしないでいいよ」
業績不振って、もしかしてアレが関係していたりして……?
「俺が、高二の夏休みに春香さんのお見合いを邪魔したことあったでしょ?」
「懐かしいね」
「業績不振って、俺が変に邪魔したせいとか……?」
「あはは。関係ないよ。四年前くらいから悪くなったんだから」
ちなみに今の俺は、車で二〇分ほどの距離にある会社でサラリーマンをしているらしい。
ザ・平凡の俺だった。
会社の業績悪化は、さすがに平凡の極みである俺がどうこうできる話じゃない。
いや……待てよ?
HRGの元社員の俺……業績悪化……バイト……。
「この未来を知っている俺が、またうちの会社に入社すればいいのか……?」
「誠治君? 何ぶつぶつ言ってるの?」
俺なら、なんとかできるかもしれない……!
よし、こい、タイムリープ。俺が過去に戻って会社倒産フラグをぶち折って、幸せな未来に変えてやる!
……………………。
あ、あれ。全然こねえ……。
あのー? もう大丈夫ですよー?
……………………。
前回の同棲がそうだったんだから、現在も、もう色々とやることはやっているんだろう。
「あ、もうこんな時間っ」
と、言いながら洗い物をする柊木ちゃんを後ろから捕まえた。
エプロン姿は相変わらず可愛い。
「きゃ!? ……こら。朝は忙しいんだから、め」
口ではそう言っても、全然嫌がる様子がない。
「せ、誠治君……朝なのに……もぉ……」
顔をこっちにむけて、朝だっていうのに、大人のキスを交わす俺たち。
柊木ちゃんのスイッチがオンになった。
このキッチンで俺は童貞を卒業する――!
――――――――――――――――――
※ 自 主 規 制 ※
――――――――――――――――――
最後にまばたきをして目を開くと、実家の部屋だった。
柊木ちゃんちで体育祭お疲れ会をやろうということになっていたことを思い出し、俺は着替えて柊木ちゃんちに行く。
夏海ちゃんも来るって話だったけど、まだ来てなかった。
ちょうどよかったので、俺は未来で知った状況を回避するべく、対策を打つことにした。
甘やかしモードに入った柊木ちゃんは、膝の上に俺を寝かして愛猫のようになでなでと頭を撫でた。
昨日の体育祭の話になり、それが途切れたあたりで切り出した。
「春香さん、俺、カフェでバイトしてたでしょ?」
夏休み以降も、週三日ほどあの店でずっとバイトをしていたのだ。
「うん、それがどうしたの?」
「やめて、別のバイトしようと思う」
「えー、やめちゃうの? 制服似合っててカッコよかったのに」
「そうかな? それはともかく、やめて、HRGでバイトしようと思うんだ」
「う、うちの会社?」
食品の製造、通信販売や通信事業部、保険事業部など、事業は多岐にわたる会社で、取引先企業や系列店はかなりの数にのぼる。
だから、倒産しただなんて、いまだに信じられない。
柊木ちゃんは、冗談であんなことは言わないだろうから、このままいけば起こりうる未来なんだ。
「うん。春香さんちの会社。たぶん、通信事業部が求人を出してたと思う」
というか、俺の部署だ。
「く、詳しいね?」
「そこにちょーっと、バイトさせてもらえればな、と思って」
「わかった。それじゃあ、ちょっと聞いてみるね」
「ありがとう、春香さん」
「いいよ、気にしないで。……けど、なんか悪だくみしようとしてない?」
むにむに、と俺のほっぺをいじる柊木ちゃん。
「してないよ」
過去、高二のころの俺は、HRGという企業すら知らなかったし、そこでバイトをしたなんてこともない。
俺程度がどうこうしたからって、会社を倒産から防ぐ直接の要因にはならないかもしれない。けど、過去が変われば、玉突き状態に未来が変わっていくはず――。
起き上がって、柊木ちゃんを抱きしめる。
「どうしたの?」
「ううん」
俺は、愛してるこの人を幸せにしたい。
きょとんとしている柊木ちゃんに、俺は誓うようにキスをする。
「あ。誠治君からのキス、嬉しい……。じゃああたしからも、お返し♡」
ちゅ、と柊木ちゃんもキスをしてくる。
柊木ちゃんとの結婚は少し先だけど、甘々なこの関係は、ずっと続いていきそうだ。