夏休みの家庭訪問 後
ラブちゅっちゅ状態が終わると、俺の顔はキスマークだらけになった。
俺が散らかった部屋を片付けていると、さっきつまらないと嘘をついたマンガを読みながら、「誠治君やっぱりこれ面白いよ」と柊木ちゃんがつぶやく。
俺が面白いと思うマンガを読んで、面白いと思ってもらえるのは普通に嬉しい。だけど、家で遊んでいるときに夢中になると、俺は何をしていいのかわからなくなる。
俺が座ると、柊木ちゃんは俺の真ん前にやってきて、俺の体を背もたれみたいに使ってマンガを読みはじめた。
俺が座りながら柊木ちゃんを抱っこしている形になった。
「春香さん、ちょっと……」
「なあに?」
さらさらの髪の毛がくすぐったい。あと、シャンプーのいいにおいがする。知っている香りとはいえ、慣れないので毎回ドキドキしてしまう。
触れている場所は例外なく柔らかい柊木ちゃん。
女の人って、何でこんなに柔らかいんだろう。
「どいて。でないと……」
「でないと、何?」
おっぱいを触る。
と、言おうと思ったけど勇気が出なかった。
その代わりに、ちゅ、ちゅ、と首やうなじにキスをする。
「やぁん、ちょっと、くすぐったい♡」
キキッ、と自転車が止まる音が外から聞こえる。
「ん? やばい、紗菜が帰ってきたかも」
「え。夜遅いんじゃないの?」
「そのはずだけど――」
柊木ちゃんをどかして外を見ると、やっぱり紗菜が帰ってきていた。しかも奏多を連れてきている。
外で遊ぶのに飽きたから、家でゲームしようってことか? 仲良しゲーマーコンビめ。
俺は急いで一階に降りて、柊木ちゃんが履いてきていたミュール? とかいうサンダルを回収した。
ちゅうどそのタイミングで扉が開いた。
「あれ、兄さん、出かけてたんじゃないの?」
「いや、ちょっとあの……用事、済んだから帰ってきたんだ」
「……お邪魔します」
ぺこり、と相変わらず礼儀正しく奏多がお辞儀をした。
「うん、いらっしゃい」
「兄さん、何か隠してる? 背中?」
「は、はぁー? な、何も隠してませんけどぉー?」
壁を背にして、カニ歩き。
「…………」
じい、と奏多が俺を見てくる。
なんか怪しまれてる?
「そうだ。これから一緒にゲームするの。兄さん、どうせ暇でしょ? 仕方ないからサナとカナちゃんに混ぜてあげるわ」
「悪いな。暇じゃねえんだよ」
「む。何よその言い方ー! どうせ暇なくせにっ」
「るせー」
じりじりと玄関から離れて、二人がサンダルを脱いでいる隙に俺は階段をのぼる。
玄関でのやりとりが聞こえてきた。
「えー? 今? 嘘!」
「……あの焦りようは、絶対に、そう」
「に、兄さんに、か、か、か、彼女なんているはずないわよっ。ぜ、絶対にっ」
「……さーちゃん。十中八九そう」
「だ、だとしても今来てるなんて、そんなはず……」
ギク。
奏多のやつ、察しよすぎだろ。
「カナちゃんがそこまで言うのなら、確認しましょう? ど、どうせいないわよ、どうせ……」
「……さーちゃん、動揺しすぎ」
俺は部屋に入ると、入り口にバリケードを作る。カラーボックスやら衣装ケースやらを扉の前に積み上げていく。
「どうしたの、誠治君」
「なんか、バレたっぽい」
「え? あたしがここにいるってことが?」
「ううん。春香さんがっていうよりは、彼女が今部屋に来ているってことが」
「ど、どうしよう……」
セリフとは裏腹に、柊木ちゃんは嬉しそうだった。
彼女と認知されることが、思いのほか柊木ちゃんの自尊心をくすぐったらしい。
「春香さんは、ベッドの中に」
「え、誠治君のベッド? いいの!?」
「何喜んでんだ」
もぞもぞ、と柊木ちゃんが俺のベッドに潜る。
「……誠治君のにおいがする……ふふ」
楽しそうだからもういいや。
こんこん、と扉がノックされた。
「に、兄さん? サナだけど……入ってもいいかしら」
「無理無理、絶対ダメ! 今、散らかってるから」
ぼそぼそ、と扉のむこうで二人が会話をしている。
「……やっぱり、そう」
「…………そんなぁ……う、うぅ……」
「……さーちゃん。よしよし」
非力な女子二人では、このバリケードは突破できまい。
現物を見る機会を与えなければ、いないの一点張りで通せる……!
ちらっとベッドを見ると、柊木ちゃんがタオルケットにくるまっていた。
「このタオルケット……誠治君のにおいがする……持って帰りたい……」
扉の内と外じゃシリアスしてんのに、俺の女神はとてものん気だった。
「兄さん? もしかして……その……言いにくい人が来てるんなら、ひと言教えてほしいのだけど……いないのなら、そうだと」
「――誰もいません」
「……敬語になるあたり、絶対に嘘ついてる。いないのなら、開けてくれていいはず」
クソ。奏多が手強い……!
「か……か、彼女が来ているのなら、そうだと言って……?」
言えるわけないだろ。
いると言えば、じゃあどんな人? 顔見せて、中に入れて、紹介して――こうなるに決まってる。
いないの一点張りで、この扉は開けない。これは絶対に死守。
「そんな人いないから。今は模様替えしてて、散らかってて入れない」
「……こんなに頑なということは、私たちに紹介できないような人が恋人という可能性がある」
ギク。
「え? どういうこと?」
「……誠治君は、言葉巧みに、夏休みで浮かれている小四女児を部屋に連れ込んで――」
「違うわ!」
「そうよ、カナちゃん。いくら兄さんが貧乳が好きだったとしても、ロリとはまた別もの」
「おい。俺を勝手に貧乳派にすんな」
「……小四女児がいるかどうかなんて、扉を開けてくれない限り、わからない」
クソ。屁理屈だけど、確かにそうだ。中にいる俺からすれば間違いってのはわかるけど。
「……扉を開けない限り、二通りの可能性が存在する。……ロリコンの誠治君と、そうでない誠治君……」
「えっと、確かそれは……シュガーのネコ」
「シュレディンガーのネコだ。何勝手に甘めに仕上げてんだ」
視線を感じて振り返ると、ほにゅん、ほにゅん、と柊木ちゃんが自分でおっぱいを揉んでいた。
「誠治君……貧乳が好きだったの?」
「違うから。食いつくなって、ややこしくなるから」
「……さーちゃん、今、話声が」
「……うん……確かに聞こえた。――兄さん! どうして隠すのっ! ……サナ、兄さんがロリコンだとしても……我慢するから」
何の我慢だ。ていうか違うから。
「……私たちに紹介できない相手ということは確定……。小四女児でないなら……」
「でないなら……?」
「……男子がいる」
「男子なら、別にいいんじゃないの?」
「……男子だからこそ、私たちに紹介できないとしたら――。きっと部屋の中は、バラが咲いている」
咲いてねえよ。イメージしやすそうなワード使うんじゃねえ。
「そんな……!? ――兄さんの恋人は……男子? だから、サナやカナちゃんに紹介できない?」
「……十中八九、そう」
「いや、違うから」
「兄さんっ! サナ、兄さんが男好きだったとしても、我慢するから」
「だから、何の我慢だ」
「出てきて。お願い……」
紗菜、悪いけど、それはできない。俺にも守らないといけない存在がいるからだ。
柊木ちゃんは、俺が相手をしないから、いつの間にか昼寝してるけど。
寝顔可愛い。
「……さーちゃん。最悪の事態を想定して。……両方の可能性がある」
「両方?」
「……部屋の中にいるのは、小四男児の可能性が……」
「そんな……ロリじゃなくてショタのほう……!?」
まずい。どんどん俺の変態度が上がっていっている。
「兄さんが犯罪者になる前に――ッ!」
どん、とすごい物音がして、ズズズ、とカラーボックスが動いた。
お、おいおいおい、まじかよ、妹。
「……さーちゃんの、愛の力……」
「ち、ち、ち、違うわよっ。そ、そんなんじゃないからっ」
どん、とまた強い衝撃が扉に加わり、バリケードがゆるんだ。
冗談じゃねえ! バレてたまるか! く……。俺が押し込む力よりも紗菜の力のほうが強い……!? こんな馬鹿力どこに隠してたんだ。
「サナ、兄さんのことなんて、別になんとも思ってないんだからぁああああ」
どん、とまた少しバリケードがゆるんだ。
破られるのは時間の問題だ。
バリケードを諦めて、俺は柊木ちゃんを起こす。
「おはようの、ちゅー……」
「はいはい。タオルケットぎゅっと握ってて。春香さんを外に下ろすから」
「ほえ?」
サンダルを履いてもらい、窓のそばまで連れて行く。
「え、え、え、え――!? こ、ここ降りるの!? 無理無理無理っ」
「時間がない。もう紗菜と奏多が扉から中に――」
「わ、わかった。またあとでね。……誠治君、愛してる」
「俺もだよ、春香さん」
抱き合って、ちゅ、とキスをする俺たち。
気分は、ハリウッド映画のヒーローとヒロインだった。
ぎゅっとタオルケットを握った柊木ちゃんを、俺は踏ん張りながら下にゆっくりゆっくり降ろしていく。
ふっと重みがなくなり、下を見ると柊木ちゃんが手を振っていた。
それと同時だった。バーン、とバリケードを蹴散らして紗菜と奏多が入ってきた。
「あ。あれ……」
「…………誠治君、小四女児か男児、もしくは恋人の男子は?」
はぁ、と俺は大きく安堵の息をついた。
二人にはため息み見えただろう。
「だから、そもそもそんなやついないって言っただろ?」
くまなく部屋にいるはずの誰かを捜索する二人。
「ほぉら、言ったじゃない。兄さんに、彼女なんていないのよ」
ふん、とぺったんこの胸を張ってドヤ顔。
「……おかしい……」
奏多は納得いかないらしく、首をひねっている。
「模様替えしようとしてたから、扉付近に家具を集めてたんだ」
もっともらしい理由を並べて、俺は逃げ切ることに成功した。
「カナちゃん、行こ? 買ってきたやつ、さっそくしましょ?」
「………………うん」
ベッドに座っていた奏多が腰を上げ、紗菜に続いて部屋から出ようとして、扉を閉めた。
「……ベッド、さーちゃん以外の女の人のにおいがする。シーツも少しぬるいし」
ギク。
さっきそこで柊木ちゃんが寝ていたせいだ。
「俺のにおいだよ。いいにおいだろ? さっきまで昼寝してたんだ」
「……『もし』、彼女がいるんなら、さーちゃんにきちんと教えてあげて? ……さーちゃん、お兄ちゃんのことが好きだから」
夏海ちゃんにカミングアウトしたみたいに、紗菜にカミングアウト……?
そうしたとしたら、紗菜は、夏海ちゃんみたいに俺たちを応援してくれるだろうか。
カナちゃーん? と、紗菜が自分の部屋から大声で奏多を呼んだ。
ぺこ、と小さく頭を下げて奏多が部屋から出ていった。
ごろん、とベッドに寝転がる。
ほんとだ。柊木ちゃんのいいにおいがする。
奏多には、彼女がいるってことは勘づかれたっぽい。
さすがにそれが誰かまではわからないだろうけど。
「どうにか大丈夫だったよ」
俺は柊木ちゃんに電話をした。
『よかった。もう、色々とスリル満点すぎだったね。あはは。……ごめんね、誠治君ちに行きたいなんて我がまま言っちゃって』
「ううん。本当は、まだ誰も家にいない予定だったから、気にしないで」
次いつ会うかを決めて、電話を切った。
すんすんと嗅ぐと、シーツから柊木ちゃんのにおいがする。
今日の夜、寝れるかな……。
柊木ちゃんが俺のタオルケットを持って帰りたいと言った気持ちが少しわかった。




