夏休みの課題
「どんな感じ?」
「うーん……まあ、ボチボチ……」
「そっか! 頑張ってね!」
「……うん、ありがとう……」
生返事をしながら、俺は夏休みの課題である問題集をこなしていく。
「コーヒーは? 紅茶のほうがいい?」
「今は大丈夫、ありがとう」
昨日、俺が家は暑いから図書館で課題をするって言うと、柊木ちゃんがウチでやればいいよ、と言ってくれたことに端を発する。
しかし、柊木ちゃんは仕事行かなくていいのか……?
「あ。今誠治君、春香さん暇そうだなって思ったでしょ。暇じゃないんです、こう見えても」
ドヤァ、と音が出そうなドヤ顔で、柊木ちゃんは仕事用の鞄からノートパソコンを俺のむかいで開いた。
「誠治君、今日は日曜日だよ?」
「ああ……そっか」
と、俺は気のない返事をしながら、古典の問題を解いていく。
「さっきから誠治君のリアクションが薄い……いと悲しけり!」
「うるさいよ」
「はい……」
パチパチ、とキーを叩きながら、先生の仕事について解説してくれる。
「個人情報がのってるものは、外に持ち出しちゃダメなんだけど、採点とか問題作ったりとか資料作ったりとか、そういうのなら家でやってもいいの」
「……」
「む、無視だ……いと悲しけり…………」
課題は基本的に五科目分。数学、古典、世界史、英語、生物。
小学生のときみたいに、自由研究とか絵を描くとか読書感想文とか、そういう面倒なもんはない。
けど、これが結構な量がある。
偏差値がほんのちょっと高いうちの学校は、休み明けあたりから進路について口うるさく言われるし、休み明けの学力テストだってある。
高二に戻っていいことばっかりじゃなかったなぁってのを今俺は切に思っているところだった。
じいっとこっちを見つめてくるので、俺は思わず手を止めた。
「どうかした?」
「ううん。真剣な眼差しがカッコいいなって思って」
「そ、そう……?」
「そうだよ」
そういや、俺もそんな気分になったことが何回かあった。
世界史の授業中。仕事頑張ってるなぁって席からぼんやりと眺めていた。
「ところで誠治君、パソコン詳しい?」
「詳しいって胸張れるほどじゃないけど、人並み程度には」
くるり、と柊木ちゃんはノートパソコンをこっちにむけた。
「エクセルなんだけど……ここをちょっと上手い具合にしたいんだけど……」
ああだこうだ、と説明を聞くと、どうやら資料を作っているらしく、データを表にしてまとめたいらしかった。
「ああ。それなら……」
と、パソコンを元に戻して柊木ちゃんの隣に座る。
あれこれと画面を指差して、指示をしていく。
「あ。できたっ! 誠治君、すごい!!」
「いや、俺はすごくないよ。すごいのはエクセルだから」
「謙遜しちゃってぇ」
もぉ、と柊木ちゃんはうりうり、と俺のほっぺをいじくる。
「ちょっと」
俺が嫌がると、柊木ちゃんがしょぼんとしてしまった。
「あ………………ごめん」
あ。やべ。ちょっと言い方キツかったかも……。
……いや、けど、俺は今日課題するつもりで図書館に出かけようとしたわけだし……。
今日ここに来たのも、柊木ちゃんが学校で仕事すると思っていたからで、まさか家で仕事をするとは思わなくて。日曜日って忘れてたんだけど。
いたらいたで、柊木ちゃんは、構ってほしいワンコみたいにちょっかいをかけてくる。
授業中なら怒られているレベルだ。
「……」
「……」
気まずい……。
本当は、今日ある程度課題の目途がつけば夜遊びに誘う予定だったのに。
いや、でも、柊木ちゃん、勉強中の俺にちょっかいかけすぎ。話しかけすぎ。
ちょっとは……ほんのちょっとは、反省してもらおう。
ちら、と俺を見るたびに、しょぼーんと柊木ちゃんがしおれていく。
「…………」
「…………」
気まずい……。
でも、ここで俺が謝るのって違うと思うんだ。
……え、俺ってもしかして頑固? いや、違う。断じて違う。
謝りたくないわけじゃないんだ。
ちら、とまた俺を見てはしゅん、と口をへの字に曲げる。
……。
いや、俺の言い方も問題があったかもしれない。
クソ。なんだよ、全然問題集に集中できない!
「…………あたし、寝室にいるから。…………もし何かあったら、声、かけてね」
いまだかつてないくらいの低いテンションで、柊木ちゃんがパソコンを持って寝室の奥へ消えた。
うぐぐぐぐ……罪悪感が、押し寄せてくる……!
こういうとき、相談できる相手っていえば夏海ちゃんくらいか。
けど、連絡先知らないしな……。
『こういう場合って、その知り合いが悪いの?』
一から事情を説明して、俺のことを知り合いとしてお悩みメールを送信。
二〇秒で返信があった。
早っ。
藤本、絶対暇だ。
『あー、ビミョー! つーか、夏休み彼女んちで課題してるヤツとか死んだらいいのに……』
あ。やばい。藤本がまたダークサイドに落ちそう。
そっか……彼女いないやつからしたら、贅沢な悩みってことか……。
前回の高二の夏休みは、適当に課題をこなして、昼夜関係なくずっとRPGしてたな……。
夏らしいことをひとつもせず、引きこもってゲーム三昧。
ある意味夏休みらしいといえばそうか。
ま、非リア充の夏休みなんてこんなもんだろう。
それを考えたら、今回の高二の夏休みはかなり充実しているといえる。
『その彼女、年上美人らしいぞ』
『死んでくれぇ……』
もうちょっと煽ろう。
『美巨乳、美脚のイイ体してるって自慢された』
『死んでくれぇ……そいつ誰だよ……』
俺なんですけどね。
『一人暮らしの彼女んちに入り浸ってるらしい』
『夏休みセックスしまくりかよぉ……絶対に殺す……』
まだそこまでしてないけどな。
いい具合に藤本があったまってきた。
『次、オレと目が合ったやつを、手始めにコロス……』
逃げて。藤本の付近にいる人。
煽りに煽ったから、もう満足だった。
やっぱり、普通の高二なら、羨ましいのが当然の状況なんだ。
十分頭が冷えた。
『なあ。そいつ、実は真田でしたってオチ、絶対にやめてくれよ?』
…………。
『そんなわけねえだろ、同志』
『だよなあwwww おまえみたいなヤツが、彼女できるわけねえもんなwww』
『これがおまえに送る最後の忠告だ……夜出歩くときは背後に気をつけることだな』
『かかってこいやァアア』
後ろの寝室を振り返っても、物音ひとつしない。
もしかしたら、ベッドの中で泣いてたりして……? さすがにいい年したお姉さんがそれはないか。
こんこん、と寝室をノックする。
「春香さん?」
「……」
物音が扉のむこうから聞こえる。
「さっきは、俺の言い方も悪かったから……その、ごめん……」
きい、と扉をほんの少し開けて、柊木ちゃんが顔をのぞかせた。
「ううん……あたしも、ごめんね? ちょっとウザかったと思う……勉強中なのに……」
目元がちょっとだけ赤い。
「泣いてた?」
「な、泣いてない……」
「本当は?」
「ちょっとだけ」
やっぱ泣いてたのか。
学校にいる柊木ちゃんは、しっかりしてそうなお姉さんに見える。
けど、俺の前だと精神的に幼くなるらしい。
「誠治君が近くにいると、どうしても声かけたり、構ってほしくなっちゃって……」
「好きな子ができた小学生みたい」
「むぅ~。何も言い返せない……」
唇を尖らせて、柊木ちゃんは目を伏せる。
「でも、こんなに好きになったのが、そもそもはじめてだから……小学生みたいになるのは、許して……?」
く。可愛い……。
今扉を開ければイチャイチャモードに入るから、我慢だ、我慢。
「夜、春香さんと行きたい場所があって……それまでに課題がある程度片付けば、だけど」
「え。何、どこっ」
「山の上のほうなんだけど、夏は星が綺麗に見えるんだ」
「ロマンチック! 行きたい!」
「だから、それまでお互い仕事なり課題なり、きちんと終わらせよう?」
「うん、頑張る! そういうことなら、先生、超本気出すんだから!」
柊木ちゃんは、俺と遊ぶことに関してはとても素直だった。
やっぱり気が散ってしまうので、柊木ちゃんは寝室で、俺はリビングで勉強をした。
どうにか終わらせると、面倒なことを済ませたっていう解放感から、片時も離れず、いつも以上にイチャついた。
「頑張った誠治君にはご褒美あげないと」
「どっちかっていうと、俺があげている側な気がするけど」
「また意地悪言う……」
「嫌い?」
不満げに尖らせた唇で、柊木ちゃんは俺の頬と首にキスをする。
「……大好き♡」
動物がマーキングをするように、キスマークをつけたりつけられたりを、夜まで繰り返した。
家に帰ると、また紗菜に見つかり、めちゃくちゃ消毒されたのだった。