とある土曜日
『誠治君、あのね……』
申し訳なさそうに、柊木ちゃんが口を開いた。
『今週の土曜日、飲み会に誘われちゃって……』
「ああ、そうなんだ?」
とくにこれといって二人での予定を立てていたわけじゃない。
俺とだらだら過ごすだけの週末になりつつあるから、たまに飲み会に行くくらいオッケーだ。
社会人になってからの友達関係ってのは案外もろい。
柊木ちゃんの友達を減らすような真似は、なるべくならしたくないってのが本音だ。
行ってらっしゃい、と口にしようとしたときだった。
申し訳なさそうにしていた理由がわかった。
『簡単にいうと別の学校の先生との飲み会で。顔見知りの男の先生も何人かいるみたいで』
「へ、へえ……」
電話でよかった。
たぶん、今の俺は動揺しまくりってのが丸わかりだったろうから。
『いつもお世話になってる先生に「土曜日予定ないならお願い!」って……先週から頼み込まれてて……。何度も断ってたんだけど……。頼まれる前に、次の土曜日予定がないって、ぽろっと言っちゃったのもあって……』
俺個人の気持ちを言っていいなら、行かないでほしい。
けど、世話になってる先生ってことは、職場の先輩なんだろう。
社会人っていうやつは、職場の人間関係が大事なのは身に染みている。
もしこの件がきっかけで、柊木ちゃんの仕事における人間関係が悪化したとしたら、俺は助けてあげることができないし。
ある意味職場にいる人間ではあるけど、俺は職員室で仕事をしているわけじゃないから。
ここは、真田誠治の器のデカさを見せるときだ。
一応、中身は柊木ちゃんよりも年上なんだから、小さいことは言わないでおこう。
「うん。わかった。楽しんでくるといいよ」
『……そう? 来る人はみんな知っている先生たちだから、安心して?』
「……そんなに心配してないから大丈夫だよ」
嘘ですううううう!
超心配ですううううう!
これが、明らかに出会いを目的とした合コンなら、俺はきっぱり嫌だって言っただろう。
けど顔見知りばかりのオフの飲み会で、相手は同業種の人たち。
広い意味でいえば、業界の情報交換をする場であるともいえる。
『帰り、遅くても一〇時までに帰ってくるからね?』
「気にせずに、楽しんでくればいいよ」
心にもないこをさらっと言えるあたり、俺はやっぱり中身が大人なのだなーと実感する。
大雨で中止になったりしねーかなー、とぼんやり思っていても当日は、俺をあざ笑うかのような晴天。
昼過ぎから柊木ちゃんちにお邪魔していた俺は、軽~く緊張している柊木ちゃんを励ましていた。
「どうしよう……そ、粗相なくちゃんとできるかな。親しくない人たちとの飲み会、久しぶりだから……」
「失礼さえしなかったら大丈夫だって。やっちゃったって思ったら、すぐ謝ればいいんだし」
「そ、そうかな……」
「面とむかって謝られると、人間、案外許しちゃうもんなんだって。それに、酒の席なんだからかしこまることもないと思うよ」
じい、と柊木ちゃんが不思議そうに俺を見つめてくる。
「な、何?」
「誠治君、飲み会慣れしてる?」
たぶん、柊木ちゃんよりも慣れている。
「そ、そんなわけないじゃん」
「だよねー。や、意見が的を射ているから、つい。相変わらず頼りになるなって、思って」
にっこり、と女神スマイル。
それから、時間になると柊木ちゃんは準備をはじめた。
俺が可愛い、似合うよ、と言った私服に着替えた。ううん、なんか複雑。
それに、い、いつもより、ちょっと化粧が入念というか……。
普段はもっとあっさりしているような……?
これは、飲み会に行ってほしくない俺の願望が、現実を捻じ曲げてるんじゃなかろうか。
「け、化粧、しっかりするんだね」
「え? いつもこんなもんだよ?」
きょとんとしている柊木ちゃんの言葉を、信じることにしよう。
確かに言われてみれば、いつもと同じような、気が、しなくもない。
ひとまず、装いを褒めておいた。
柊木ちゃんは、玄関口まで見送りに行った俺に、ちゅ、とキスをした。
「退屈だったら、帰ってていいからね」
「うん。そのときは、鍵を閉めておくから」
じゃあ、と行ってしまった。
テレビをなんとなく見るけどつまらない。
時間は六時半を回ったあたり。
今ごろ、乾杯してワイワイ話しはじめてるんだろう。
『柊木先生、今カレシいないんですかー?』
『ああ、えっと、今はいないです……』
てな会話が……あるんだろうなぁ……。
今日だけ、彼氏アリの設定にすれば……ああ、けど同じ学校の先生もいるんだよなぁ。
ああー超嫌だああああ。
俺もついて行こうかって一瞬思ったけど、同年代なら居酒屋にもこっそり行けただろうけど、高校生が一人こっそりっていうのは、さすがに怪しすぎる。
保護者じゃないんだから、信じて待つと決めたけど、もやもやしっぱなし。
柊木ちゃんちで夕飯を食べる気にも、家で食べる気にもなれず、近くのラーメン屋で夕飯を済ませる。
パシャリと写真を撮って、メールで送った。
けど返信はない。
うんうん、俺の柊木ちゃんは、場をわきまえている立派なレディだ。
飲み会の席で携帯をイジるような空気を読まない人じゃない。
それから、今見ているバラエティが面白いだの、なんだの、と大して面白くないけどメールを送った。
酒が入って、彼氏ノロケでもしていればいいんだけど。
いや、先輩先生がいるんならよくないのか?
男から柊木ちゃんを守る防御と、関係をバラさないための防御は、今日は相反するらしい。
夜の八時半を回った。
何をするでもなくゴロゴロしていると、玄関から物音がした。
「ただいまぁ?」
「あ。お帰り。早かったね」
「うん」
ちょっとだけ、疲れた笑顔をして、柊木ちゃんは俺を抱きしめた。
どうどう、と俺は背中を撫でた。
「飲み会、どうだった? 楽しめた?」
「ううん。全然」
ほ、と俺は胸を撫で下ろした。
「誠治君がいないと、全然楽しくない」
「そっか。それは、残念な飲み会だったね」
あれ……? ろれつも普通だし、テンションも仕事帰りに近いテンションだ。
「呑まなかったの?」
「うん。ニガテだから遠慮しますって言って、乾杯からウーロン茶」
ああ、いるいる、そういう人。
俺をぎゅっとしながら、しみじみと柊木ちゃんは言った。
「……はぁ……落ち着く」
「居酒屋は騒がしかったりするし、今日はよく知らない人としゃべったから――」
「ううん、それもあるけど、誠治君のここが」
とんとん、と軽く柊木ちゃんは俺の胸を叩いた。
「一番落ち着く」
「今から二人で二次会、ここでしよう思うんだけどどう?」
「……参加」
小さく笑った柊木ちゃんとキスをする。
「お酒買い足さないと!」
「冷蔵庫に四本くらいあったけど」
「今日は足りません♪」
どんだけ呑む気なんだよ。
「スーパー閉まっちゃうから、早く早く!」
元気になった柊木ちゃんと俺は、近くのスーパーまで手を繋いで歩いた。