掃除当番
「真田、悪いなー! あと頼む!」
「ごめんねー、ちょっと部活遅れられなくって!」
などなど、俺の班の男女四人が、何かしらの理由をつけて放課後になると帰ってしまった。
掃除当番をサボりたいらしく、全員で六人いるはずなのにあと一人はもうどこへ行ったのかもわからない。
まあ、勝手に帰ったんだろうけど。
つっても、一人で教室を掃除するとなると骨が折れる。
適当にちゃっちゃと済まして、俺も帰ろう。
「真田君、一人なんだー?」
明るい声とともに、柊木ちゃんが教室にやってきた。
「うん、見ての通り」
「真面目に頑張ってるんだね」
「……放課後は、職員室で仕事してるんじゃないの?」
「そんなつれないこと言わないの。真田君が一人になるのが見えたから、寂しいかなって思って」
頑張ってるんだね、と先手を打たれてしまった手前、サボるにもサボれない。
仕方ない。真面目に掃除するとしよう。
柊木ちゃんは手伝うつもりはないようで、持ってきていたノートパソコンを教卓にのせて、仕事をしている。
「ごめんね、仕事、ちょっと切羽詰まってて。本当ならお手伝いしてあげたいんだけど」
「ううん、いいよ」
机を動かして、ホウキでさっさ、と床をはいていく。
無言の柊木ちゃんが珍しくて、ちらっと見てみると、ぱちぱち、とノートパソコンに何かを入力している。
仕事してるって感じだ。
うーん、とか、むーん、とか、口にしながら小難しい顔をして作業をしていく柊木ちゃん。
「掃除の音、うるさくない?」
「ううん。気にしないで。ちょっと雑音があるくらいがちょうどいいから」
そういうものらしい。
「職員室だと、何だかんだ話声が聞こえてきて、生徒も来ることがあるから、案外騒がしいんだよ」
言いながらも手は止めなかった。
放課後の静かな時間。
遠くから、吹奏楽部の演奏の音が少しだけ聞こえる。
詰まったりながらも、キーを打つ音がそれに混じった。
西日が廊下側から中に入り込んで、教室を茜色に染めている。
仕事に集中している柊木ちゃんは、俺があまり知らない顔つきをして画面とにらめっこをしていた。
俺は、授業中の柊木ちゃんと恋人としての柊木ちゃんしか知らないから、こういう一面はなんだか新鮮だった。
「何、せい……真田君、じいっとこっち見て」
「ううん。なんか、いいなって思って」
「何が?」
「仕事に一生懸命の先生」
「…………く、口説かないで」
画面のむこうに柊木ちゃんが隠れた。
俺と柊木ちゃんの基本的なルールでは、密室なら恋人モードでオッケー。それ以外は先生と生徒モードなのだ。
誰がどこで見てて、誰が聞いているかわからないから。
教室は二階だけど、職員室から見えないこともない。
というわけで、今は先生と生徒モード。
「……す、好きになっちゃった?」
ひょこ、と顔を出した柊木ちゃんは、俺と目が合うとすぐに画面を盾にして隠れる。
「なったって言ったら、先生どうする?」
「…………あたしも……す……ダメだよ、先生は」
大人ぶった口調で、柊木ちゃんが俺を諭すように言う。
「何で?」
「だって、もう彼氏いるから」
ちら、と上目遣いで俺を見た。
「そっか。残念」
わかっている俺は、大げさに肩をすくめてみせる。
「うん。ごめんね。諦めて。……本当に、大好きだから」
キーを押す音は止まっていて、俺の反応を待っているらしかった。
「どう好きなの?」
「それは……掃除が終わったら教えてあげる」
後ろ半分の掃除を終えて、今度は前半分の掃除をする。
ちょっとだけ頬を赤くしている柊木ちゃんが、また仕事に集中しはじめた。
邪魔しちゃ悪いので、俺もさっさと掃除を終わらせることにして手を動かし続けた。
「真田君は、どんな人が好き?」
「俺? ……改めて訊かれると困るな……」
「困るんだ?」
思った回答が得られなかったらしい柊木ちゃんが、唇を尖らせる。
「料理上手な人」
「うんうん、それから?」
「一生懸命だけど、ときどき抜けてて、それが可愛い人」
「抜けてないけど……」
「俺のタイプの話でしょ、先生」
「そ、そうでした」
抜けている自覚はなかったらしい。
「先生はどんな人が好き?」
「掃除が終わったら教えてあげる」
隅々とまではいかないけど、粗方掃除を終わらせ、後ろ側に圧縮した机と椅子を元の場所に戻した。
「先生、掃除終わったよ。続き、聞かせてよ」
「そうだなぁ……カーテンを閉めて、扉を閉めたらいいよ?」
ふふっ、と狙いがわかったので思わず笑ってしまう。
「何かおかしい?」
不満そうな問いかけに俺は首を振った。
掃除当番は最後に戸締りをするので、窓と鍵、カーテンを閉めた。
まだ中に俺たちはいるけど、廊下側の扉にも鍵をする。
入り込んでくる夕日は、扉の小窓からだけとなり、教室の中がほんの少し薄暗くなった。
廊下側の壁際にやってきた柊木ちゃんが、俺の首に腕を回す。
「仕事は?」
「実は、もう終わってて、最初からなかったの」
「でも、カタカタ入力してたあれは……」
「タイピングゲーム」
「わざわざ教室来て、何してんだよ」
「職員室から誠治君が見えたから、のぞきに来たの。そしたら一人だったから、つい、ね」
「それで、今、俺の掃除が終わるのを待ってた、と」
「そーいうこと♪」
いたずらっぽい目つきで、柊木ちゃんは口元をゆるめた。
「それで……さっきの続き、教えてほしい?」
「じゃあ、お願いします」
俺の肩に手を置いた柊木ちゃんが、つま先立ちになる。
目線が同じ高さになると、近づいてきた彼女の唇と唇が優しく触れ合った。
腰のあたりを抱くと、それから、三回キスをした。
お互いの顔が瞳に映る至近距離で、照れくさそうに笑んだ。
「……本当に、大好きだから」
俺が何かを言う前に、次のリクエスト。
顎を上げて、唇を控えめに突き出して、目をつむっている。
今度は待ちの姿勢。
……なんだか可愛いので、ずっとキス顔を見ていた。
「? ………………??」
ついに、待ちきれずに柊木ちゃんが目を開いた。
「ちょっと、何で見てるだけなのっ。わかるじゃん、今のっ、流れでっ! いい雰囲気だったのに」
ぺしぺし、と俺を叩いてはクレームを寄越した。
「もう、ほんとに、誠治君はそういうところあるよ。空気読んでないフリをして、ちょっとからかってみたりして――」
怒ったような顔で俺を見つめると、眉尻を下げた。
「だから……焦らさないで……?」
俺の女神が可愛いすぎるので、今度はきちんとこっちからキスをする。
二度三度と、続きそうになったところで、体を離した。
「どうかした?」
「仕事。本当はあるでしょ?」
「何でわかったの……?」
「タイピングゲームで、春香さんはあんなに難しい顔をしないだろうから」
ちろ、と小さく舌を出した。
「バレちゃった。……本当は、誠治君成分を補給しに来たんだよ」
「仕事、頑張って」
「はい」
最後に、ちゅ、と頬にキスをされた。
くるり、と嬉しそうにターンした柊木ちゃんは、ノートパソコンを片付ける。
鍵を開けて外に出ると、そこで俺たちは先生と生徒に戻る。
「じゃあ先生。また明日」
「うん、またね」
掃除を一人でこなすのもありだなぁ、と俺は思うのだった。