放課後の茶道室
『今日の放課後は、茶道室に来てね♪』
柊木ちゃんから世界史の授業中に渡されたメモにはそう書いてあった。
茶道室っていえば、今は廃部になっている茶道部の部室兼茶室だ。
だから今は開かずの間になっているけど、そこで何をやる気なんだろう……?
家庭科部の活動は、今日は休みだから放課後とくに用事はなかったのでちょうどよかった。
周囲を警戒しながら、校舎裏にあるこじんまりとした平屋建ての建物までやってくる。
中に入ると、柊木ちゃんが部屋の入口で迎えてくれた。
「あ、いらっしゃーい」
「いらっしゃいって、ここどうやって開けたの?」
「どうやってって、決まってるじゃない。作った合鍵で開けたんだよ」
「作るなよ、合鍵。バレても知らないぞ」
「んもう、誠治君は相変わらず真面目なんだからぁ」
こっちこっち、と促され、敷いてある座布団に座った。
ここは、どちらかというと部室として使われた和室らしい。昔の部員たちの落書きが壁にいくつか残っている。
「ちょっと待っててね。すぐにお茶を点てるから」
「はい?」
久しぶりだなぁー、と声に出して、柊木ちゃんはさっき洗ったらしい道具を使って、シャカシャカと茶わんの中でお茶を点てていく。
「お茶って、抹茶のほう?」
「見ての通りだよ」
茶道のほうのお茶だ。
しかもかなり手慣れている。
「ガスも水道も普通に使えたから、たまにはこういうのもいいかなって思って」
「いいのは、いいけど……」
今柊木ちゃんは、私服を着ているからそれっぽさはないけど、正座してお茶を点てているのを見ると、動きに品がある。
目の前の柊木ちゃんに和服を着せてみる。
……すごい。雰囲気抜群だ。
「はい、どうぞ」
と、茶わんをすっと差し出される。
「あ、えと、あの、結構なお点前で……」
「あはは。どっちかっていうと、それは飲んだあとだよ。あんまり一般的なお返事でもないしね」
「そ、そうなの?」
「かしこまらなくてもいいよ? 作法なんてまどろっこしいでしょ?」
そういうことなら、と俺は自由に飲ませてもらうことにした。
うん。やっぱり苦い。
「お茶受けです。どうぞ」
柊木ちゃんが出したのは、袋にいくつも小分けにされた小さなドーナツだった。
「お茶にドーナツ……すげーアンバランス」
「美味しいからいいの」
ぴしっと背を正している柊木ちゃんは、なんだか正座がとても様になっていた。
そういや、俺は教師と彼女としての柊木春香は知っているけど、他のことは何も知らなかった。
「……春香さん?」
「んー? なあに?」
砂糖を唇につけながら柊木ちゃんが首をかしげた。
モグモグ、と二つ三つとドーナツを食べていく。
ほんとに美味しそうに食べるな、この人。
「――――あ! 茶道室開いてるー!」
外から聞こえた女子の声に、ビクンと俺と柊木ちゃんが同時に反応した。
「ほんとだ。珍しいな。鍵閉め忘れたとか?」
今度は男子の声だ。
「入ってみよー?」
「うん」
声は二人分。たぶん、二人きりになれる場所を校内で探しているカップルだな?
ガサガサ、と柊木ちゃんが普段滅多に見せない敏捷性を発揮して、出したお茶道具やらお菓子のゴミやらを片付けていく。
来たときに、玄関の端に俺と柊木ちゃんの靴を揃えておいたのがまずかったらしい。
靴が目に入らなかったんだろう。
「誠治君、こっち」
手を引かれて、隣の茶室へむかう。
「やっばーい! ベストプレイスじゃん! 鍵閉めよ、鍵」
男子の低い声がして、カタンと玄関が施錠された。
「うぅぅ~! あたしがリスクを冒して合鍵を作ったっていうのに……邪魔してぇぇ!」
頬を膨らまして、柊木ちゃんがぷんすこ怒っている。
合鍵を勝手に作る人が悪いのか、それとも俺たちの二人きりを邪魔する人が悪いのか、判断がつかないので、俺は黙っておいた。
「あれ、今そっちのほうから人の声しなかった?」
「おいおい、やめろよ」
「いや、そういうつもりじゃなくて、先客がいたんじゃないかってこと」
ちょっとした沈黙。
それから、ミシ、と畳が軋む音がかすかに聞こえた。
「「――っ!?」」
俺たちは大慌てで、小さな押し入れに飛び込んだ。
スラ、と襖の開く音がして、「誰もいねーぞ?」「じゃあ、気のせいかも」とカップルのやり取りが聞こえる。
ドキドキしていた俺と柊木ちゃんが同時に安堵のため息をついた。
「あ、あれ? 鍵……? 鍵がない……!」
「どうかした?」
「誠治君、茶道室の鍵知らない?」
「いや、俺は――」
知らないよ、と答えようとした瞬間だった。
「これ――ここの鍵なんじゃないの? ラッキー。誰か落としてる」
ちょーっとだけ襖を開けて茶室をのぞくと、三年らしき女子が鍵を持っていた。
間違いなく茶道室の鍵で、さっき柊木ちゃんが持っていたやつだ。
「悔しいよぅ……! あたしが考え抜いた末、ようやく見つけたイチャスポットだったのに……! 鍵もお菓子も準備して、万全の態勢を整えてたのに……!」
「しー」
うぎぎ、と歯ぎしりをしている柊木ちゃんを俺はなだめておく。
よしよし、と撫でてあげると、ちゅ、と音がした。
それは、俺たちの音じゃなくて茶室のカップルからだった。
わわわわ。結構激しい本気キスだ……。
「せ、誠治君は見ちゃダメ」
「な、なんでだよ」
小声でひそかにやりとりしていると、室内のほうは激しさを増していった。
「ふ……っ、んん……」
こ、これは、おっぱじめる勢いだ――――!
ばっと、後ろから目隠しをされた。
「こ、これ以上は、めっ」
く。柊木ちゃんめ……!
エロいところは、俺に見せないつもりだな……!?
「は、二十歳になるまでは、こういうのは、見るのはダメなんだからね……? DVDとかでもだよ?」
厳しいな!? 飲酒や喫煙と同じレベルかよ。
でも、衣擦れやら生々しい音は聞こえてくる。
「も、もう……三年生、こんなところで何してるのよぉおお……。え、スカートの中……あぅぅぅぅぅ……ちょ、ちょっとぉぉ……」
照れたような声で、柊木ちゃんが実況してくれる。
自分は興味津々じゃねえか。
「え――。ふぇぇ……そんな……!?」
何がどうなっているのか、余計気になる。
ていうか、先生。
おっぱいがずっと背中に当たってます。
いよいよな音と息遣いが聞こえると、柊木ちゃんがふっと脱力をした。
「も、もうダメ……み、見てられない……」
柊木ちゃんがこてん、と横になってノックアウト。
きゅぅぅ……、と目を回して失神していた。
どんだけ免疫ないんだよ。
……さて。
俺だってAVでしか見たことがないわけで、リアルなそれを見るなんてはじめてだ。
どれどれ……。
って、服着てる!? 情事終わっとる!?
思ったよりはえええええええ!!
こういうのって、そういうもんなんですか先輩っっっ!!
今は、イチャイチャラブラブしている三年生カップルが見えるだけだ。
それから、カップルは茶室を出ていき、茶道室をあとにした。当然のように、鍵を外からかけられた。
あの二人は、また合鍵を使ってここにやってくるだろう。
考えることは、柊木ちゃんと一緒らしい。
「先生? もう大丈夫っぽいよ?」
襖を開けて、失神している柊木ちゃんの肩を揺すった。
「んっ……ううん……あれ、あたし寝てた?」
「うん。色々とあって」
「そっか。ごめんね。一人で寝落ちしちゃって。ほんとにヒドイ夢を見たよ……な、なんであんなに……その……エッチな夢を見ちゃったんだろう……」
もじもじ、と恥ずかしそうに柊木ちゃんが膝をすり合わせている。
あ、この人、さっきの一部始終を夢ってことで処理する気だ。
失神するくらいの衝撃映像だったらしいので、そういうことにしておこう。
「片付けして、今日は一緒に帰ろ? 車で送ってあげる♪」
「あ、うん。ありがとう」
るんるん、と上機嫌の柊木ちゃんが台所のシンクに突っ込んでいたお茶道具を洗っていく。
ごみ箱を探しているらしく、きょろきょろしていた。
「春香さん、ごみ箱、後ろの棚の横に」
「あ、ほんとだ。ありがとう――。……? ごみ箱、何か入って――ふ、ふにゃぁああああああああああ」
猫みたいな叫び声に、俺は柊木ちゃんのところに駆けつけた。
「どうかした?」
「ごみ箱に……ごみ箱に……」
化け物か何かを見たように、柊木ちゃんが俺にしがみついてくる。
何か入ってんの?
柊木ちゃんが指さすごみ箱をのぞいてみる。
……ナニかに使われたらしいティッシュがたくさんあった。
「あぁー。さっきの……」
「さ、さっきのぉお!? て、てことは、夢じゃなかったの……? こ、ここ学校だよ!? しかも茶室でだなんて――高校生なのにぃ……は、ハレンチ――」
ふらり、と倒れそうになる柊木ちゃんを支える。
あ。やべ。弾みでおっぱい触っちゃった。
きゅぅぅ……、と柊木ちゃんはまた目を回して失神している。
免疫なさすぎだろ。どういう教育受けて育ったんだよ。
しばらくして目を覚ました柊木ちゃんと俺は、鍵を内側から開けて外に出た。
帰りの車内。
「あ、あのね……あ、あたしたちには、まだ早いからねっ? じ、自分たちには、自分たちのペースってものがあるんだから……ね?」
何のことかは言わなかったけど、終始柊木ちゃんの顔は真っ赤だった。
「でもエッチなキスは修学旅行のときに」
「そ、そ、そ、それは! お酒の勢いと旅先の解放感で、やっちゃいました! ごめんなさいっ! 忘れて? あたしも反省したんだから……基本的には、アウトなの」
キスはセーフだけど、それ以上はアウトっていう認識らしい。
「だからね? ま、まだ、その付き合って間もないし……結婚してからのほうが、じゅ、順序としては正しいので……」
「そういうことならいいけど……春香さん、我慢できる?」
「……………………で、できるよ?」
どう考えても興味津々なんだよなぁ。
「何、その間。あ、もしかして?」
「ち、ち、ち、違うから! え、エッチことなんて考えてないから!」
「俺、まだ何も言ってないけど?」
「誠治君の意地悪ぅ~~~~っ!」
ぽこぽこ、と俺を両手で叩いてくる柊木ちゃん。
「うわぁあ!? ハンドルから手を離すなぁああ」
二度三度蛇行をしたものの、どうにか事故らずに済んだ。