柊木ちゃんと温泉旅行1
定期テストの一週間前からうちの学校はテスト期間に入って、例外の部活をのぞいて大半の生徒は下校となる。
俺の成績は普通よりちょっと上くらい。だからそんなに目いっぱい勉強しなくても赤点は取らない。
『今回のテスト、頑張ったら、先生、イイコトしてあげる♡』
みたいな会話があるのかと思いきや、リアル柊木ちゃんは、俺の予想の斜め上をいった。
昨日の夜のことだ。
『誠治君、明日からテスト期間だね』
『うん。ガッツリはしないけど、軽く勉強しとかないと』
『えええーっ!? ぼちぼち成績いいのにー!? あたし、知ってるんだから。去年の成績。誠治君は、頑張んなくても大丈夫だよー? 勉強したいって言うなら止めないけど』
『ここはモチベーションを上げるために何か条件出したりするところなんじゃ……? 先生なんだし』
『先生じゃなくて彼女なので。フン』
『いや、フンじゃなくて。肩書としての先生って意味だったんだけど……』
『残業中、パソコンで色々検索しながら、金曜日の夕方から日曜日までのお泊りプラン、先生考えていました』
『仕事しろ』
『あらかじめ両親には言っておいてね? でないとあたし、未成年誘拐したことになっちゃうから』
『ウチは厳しくないし、メールで伝えればオッケーって感じだから大丈夫だと思うけど』
『うんうん。誠治君は勉強なんてしなくてもいいんだから。週末、楽しみだねっ♪』
こんな感じだった。
勉強とかそんなのどうでもいいから週末遊ぼうってことらしい。
だから、柊木ちゃんは、週末を楽しむために夜遅くまで仕事を頑張っている。
どこで何するか全然聞いてないけど、大丈夫か……?
そうして迎えた金曜日の放課後。
学校から帰ってきたころに、柊木ちゃんから電話がかかってきた。
『頑張ったから、どうにか……週末、仕事、しなくてすみそう……!』
「お疲れ様」
『頑張った……あたし、スーパーデラックスハンパなくウルトラデラックス頑張った』
デラックスって二回言ったけど、それはまあ置いておこう。
週末旅行計画を提案した次の日から、柊木ちゃんはずうっと仕事をしていた。
昼休みも家庭科室に顔は出さなかったし、放課後も夜遅くまで、仕事ざんまいだった。
授業で顔を見るけど、鬼気迫る雰囲気があって、クラスメイトたちは全員ビビってた。
柊木ちゃんは若干やつれてて、それが相まって迫力が増して見えた。
結局、この前街に出たときに買ったプレゼントはまだ渡せていないので、タイミングを見て渡そう。
柊木ちゃんがもうちょっとしたら家に帰れるらしいので、支度をしてから来てほしいとのことだった。
それはいいけど、どこ行くんだろう。
ひとつの鞄に着替えやあれこれを詰め込んで、自転車で柊木ちゃんちへとむかう。
周囲に人目がないのを確認し自転車を停めて、もらったばかりの合鍵で柊木ちゃんちの扉を開けた。
しばらくすると物音とともに主が帰ってきた。
「おかえり。春香さん」
「~~っ」
俺が出迎えると、感激したらしく目をウルウルさせていた。
「ぎゅ」
玄関でぎゅっと抱きしめられた。
「春香さん、お疲れ様」
「なんかいいね、こういうの! 誠治君が卒業したら毎日こうなんだよ?」
この一週間ろくに会話をしてなかったせいか、ついにリミッターを解除した柊木ちゃんは、フルバーストで、ちゅ、ちゅ、と俺にキスしてくる。
アメリカ人かっていうくら激しい。
おでこもほっぺも唇もされるがままだった。
……なんだろう。この大型犬に懐かれてるみたいな感じ。
「わかった、わかったから。春香さん、準備」
「柊木先生を見くびらないで! 昨日の夜から準備してて、楽しみすぎて全然眠れなかったんだから!」
「先生どころか小学生レベルだった!?」
柊木ちゃんが指差した先を見ると、ボストンバッグとキャリーケースがひとつずつある。
「……それで、一体俺はどこに連れていかれるの?」
「温泉っ! 旅館っ!」
「おお! ……あれ。でも、俺そんな金持ってないよ?」
ぎゅっとされたまま、よしよし、と頭を撫でられる。
「いいのいいの。春香さんが全部出したげりゅ♡」
「ええ……さすがにそれは悪いって」
「あたし無趣味だし、他にお金の使い道がないからいいの!」
「いや、そんな威張らなくても……」
「誠治君、いい?」
柊木ちゃんに、ぐいっとほっぺを手でロックされて、至近距離でまっすぐ見つめられる。
……照れる。
「誠治君が思っている以上に、柊木春香はお金を持っています……!」
「真顔で金持ち宣言!?」
こういうふうにして、人はヒモへと成り下がっていくんですね、理解しました。
「冗談っぽく言ったけど、誠治君と付き合う前は、休みの日はダラダラすごすだけで、お金は全然使わなかったから……服やお化粧もそれなりだし、お酒は嗜む程度だし」
言われてみれば、俺も覚えがある。
社会人をしていれば、忙しすぎて金を使うタイミングすらない。
使っても、生活費以外に使うのは、ソシャゲの課金くらい。
「無趣味ってお金貯まるよね。ゲームに使うっていっても高が知れているし。俺も酒はさほど呑まないしご飯も適当だったし」
「そうそう―――って、え? 誠治君、お酒呑んじゃダメだよ? ご飯も適当って……実家でしょ?」
「あ」
つい勢いで言っちまった。
「って、親戚のお兄さんが言ってたよ?」
「あ、そういうことね」
危ねえ。これからも、口が滑ったら親戚のお兄さんに登場してもらおう。誰かは知らんが。
「さ。いこいこ」
手を繋いで仲良く家を出て、柊木ちゃんの愛車に乗り込む。
「ここから、二時間ちょっとかかるんだけど――」
柊木ちゃんに教えてもらった情報をナビに入力し目的地を設定。
県外の海に近い温泉街だった。
「チェックインが遅くても夕飯を食べさせてくれるいい旅館で――」
あれこれ楽しそうに旅館情報を俺に教えてくれる柊木ちゃん。
しばらくすると、口数が妙に減った。
不思議に思って隣をチラっと見ると、ごしごし、と柊木ちゃんが目をこすっている。
……め、めちゃくちゃ眠そうだ!
「先生、運転大丈夫? 寝てないんでしょ?」
「春香さんじゃなくて、先生でしょー?」
あ、やばい。ポンコツになってる。
「一旦どこかに車を停めて、仮眠しよう?」
「今日、全然寝てないからマジでやばいよー。どうしよう、ほんとやばいよー」
「寝てないアピールしてる場合か! この状況は本当にやばいやつだから!」
スーパーの広い駐車場を見つけてそこに入ってもらう。
後ろのシートですやぁ、と柊木ちゃんは可愛い寝顔をさらして眠っている。
十五分くらい寝かしてあげよう。
その間、俺はスーパーで缶コーヒーを買ってきて車に戻る。
すやぁな柊木ちゃんは、まるで起きない。
三〇分経過しても、すやすやすやぁな柊木ちゃんは、さっぱり起きる気配がない。
「先生。そろそろ出ないと時間やばいんじゃない? 八時チェックイン予定でしょ?」
肩を叩いたり、揺すってみても、全然起きない。
徐々に不安になってきた。
車中泊……?
だとしても、俺は別にそれで構わない。
けど、今回の旅行は柊木ちゃんが頑張って時間を作ったから実現したものだ。
それも、今まで見たことないくらい楽しみにしてた。
今日の晩御飯のメニューもさっき楽しそうに教えてくれた。
旅行でなくてもデートするのは俺も毎回楽しみだ。
でも、目が覚めた柊木ちゃんは、たぶん俺に謝り倒すだろう。
何度も言うけど、車中泊で構わないから俺に謝る必要なんてないのだ。
そう言ったとしても、優しい柊木ちゃんは、罪悪感を覚えて謝ると思う。
寝坊に対して俺が気を遣っていると思うかもしれない。
……うーん。
しょんぼりする柊木ちゃんは、見たくない。
これから柊木ちゃんが楽しみにしてた旅行がはじまるっていうのに、ギクシャクなんてさせたくない。
「…………」
さてと。行きますか。
俺は助手席から運転席の柊木ちゃんの肩を揺すった。
「春香さん」
「うえ……?」
目をしぱしぱさせながらあたりを見回している柊木ちゃん。
「あれ? 着いてる……?」
「うん。覚えてないの? 眠かったから運転した記憶もあやふやになってるんだよ。たぶん」
「そうだっけ……?」
「ほら、もう時間ギリギリ。急ごう?」
車を出ると柊木ちゃんの荷物を持って歩きだす。
不思議そうに首をかしげながら、柊木ちゃんが追いかけてきた。
旅館の外観からして、これ、俺が知ってるレベルの旅館じゃない……。
洗練されているっていうか……高級感あるんですけど……。
無事にチェックインを済ませ、仲居さんに部屋へと案内される。
八畳ほどの和室で、障子があり、縁側には背の低いテーブルを挟んで椅子が二つあった。
今は暗いけど、外から海が見えるらしい。
風情は抜群だった。
「お食事はすぐお持ちしてもよろしいでしょうか?」
「はい。お願いします」
館内の説明を一通りして、仲居さんは部屋を辞去した。
「春香さん。大浴場、いつまでか知ってる?」
「え? そんなのないよ?」
「は? だって、ここ温泉旅館でしょ?」
「こっちきて」
手を引かれて、入ったときから気になっていた扉を柊木ちゃんが開ける。
脱衣所があって、風呂らしき場所がある扉を開く。
檜風呂があり、ガラス張りのさらに奥には、小さい露天風呂があった。
「………………え」
「各客室にあるみたい。ていっても客室自体多くないけど。二四時間入れるよ?」
要するに、これ、内風呂ってやつですか……?
庶民の俺、超ビビる。
後ろから柊木ちゃんにぎゅっとされた。
「せっかくだから、奮発しちゃった」
「そりゃ楽しみにもなるよ」
「……悪い子には、先生、お仕置きしないと」
ま、さすがにバレるよな。
先生らしいことを言った柊木ちゃんは、その口で俺に長いキスをした。