瘴気
◆真田誠治◆
「兄さん、どうかした?」
ゲームショップに入ると、紗菜が追ってきた。
俺のきょろきょろにつられて、紗菜もあたりを見回す。
どうかしたっていうのは、俺が訊きたいくらいだ。
店の中まで、ついてきてないだろうな……?
……あ。
さささっ、と何かが動いた。店の入り口付近。
影しか見えなかったけど、あれ、絶対柊木ちゃんだ。
普段ぼんやりしているくせに、変なところで高い敏捷性を発揮するのはやめてほしい。
「いや、どうもしてないよ」
「そう?」
首をかしげると、紗菜は機嫌よさそうにまた腕を組んで、「兄さん、こっち」と俺を引っ張り回す。
なんか、今日は紗菜がイキイキしている。
「二人でできるゲームも、最近面白そうだなって思ってるんだけど……」
中身の俺基準で一〇年前。
俺は紗菜とこんなふうに外で買い物したことはなかった。せいぜいが付き添いで、腕を組んだこともなかったし、一個のクレープを交互に食べるなんてこともしなかった。
歴史っていうと大げさだけど、俺と柊木ちゃんが付き合ったことで、変わった部分がたくさんあるらしい。
「ああ……いいんじゃないか」
どこにいるんだ、柊木ちゃん。
てか、仕事どうしたんだよ。
気になって様子を見にきたのは、まあいいとして、あの人、仕事放り出してきてるからね。
これは、一大人としてきちんと柊木ちゃんに注意せねば。
ブブブ、と携帯が震える。思った通り柊木ちゃんからのメールだった。
『誠治君に会えば仕事のやる気が出るから、来ちゃったよ!』
さっそく言いわけがきた!
会いにきたことを注意したいんじゃなくて、仕事を放り出してきてることを俺は注意したい。
大好きな彼女が会いにきてくれるっていうのは素直に嬉しい。
けど、それとこれじゃ、話が別だ。
これをよしとしてしまうと、柊木ちゃんのためにもならない。
いいところでもあるけど、悪いところでもある。
『先生として、きちんと仕事をしてください。遊ぶのはそれからです』
『うぅぅ……敬語……その距離感がツライ……』
くるっと紗菜が俺の顔をのぞきこんだ。
「兄さんはどれがいい?」
「え」
「もう、全然聞いてない」
ぷく、と頬を膨らませてみせる紗菜。
機嫌がいいときは、可愛いだけど。
腕を組んでしまうくらいなんだから、ブラコンといえばブラコンなんだろう。
「兄さん、ゲーム選びに集中して。ここは戦場でもあり楽園でもあるんだから」
紗菜はワゴンセールで叩き売りされている中古のゲームソフトを漁る。
新作ゲームが届くまで、暇つぶしのゲームがほしいらしい。
「適当に買えばいいだろ? この中、高くて千円とかだし」
「いやよ。何考えてるの。失敗するなんて、サナのプライドが許さないんだから」
つっても、妹よ。
人気がないからこうして叩き売りされてるんだぞ?
けど、高校生にすれば数百円から千円が惜しいのは当然か……。
「ゲームがいっぱいあるし、安ーい!」
違うワゴンセールのシマで棒読みの台詞を読み上げている女性がいた。
ゲームショップやその類いの店ではちょっと場違いな、清潔感のある服装をしている。
ていうか、柊木ちゃんだった。
「……知り合いなら買ってプレゼントできるんだけどなぁ」
チラ。チラチラ。
めっちゃこっち見てる!
今声をかければ、ゲーム買ってあげるよ感、すげー出してきてる!
いやぁ先生、こんなところで奇遇ですね。
なわけねえ!
「二本か、三本くらい、買えるんだけどなぁー?」
チラ。チラチラ。
そう、あくまでも、自分はたまたまここにいますよっていう体を崩す気はない。
あれは誘ってる……。
先生、こんにちは、ゲーム買ってくれるって本当ですか? って俺が話しかけるのを誘ってる。
俺から話しかければ、正式にこれから遊び倒すつもりだ!
『あ、真田君と紗菜ちゃん。奇遇だね、お昼まだ? 先生おごっちゃう! いこいこいー』
ってなる。絶対。
きゅ、と紗の組んだ腕に少し力が入った。
「柊木先生がいる。……先生も、ゲーム好きなのかしら」
「さ、さあ。どうだろう」
完全スルーを決め込むことにした。
柊木ちゃんは、さっさと帰って仕事をしてほしい。
どうせ皺寄せがくるんだから。
「先生も、サナと一緒でゲームやアニメやマンガが好きなことを隠してるのよ」
違うぞ、妹よ。
「お休みの日に女の人が一人でこんなところにきて、ワゴンセールを見てテンションが上がるなんて、きっとそう」
柊木ちゃん、変な勘違いされてる。まいいか。
ふと、ワゴンの中に五〇〇円の値札が貼られたソフトを見つけた。
アクションRPGで、紗菜の希望通り二人で協力プレイもできるみたいだ。
メーカーロゴ……。これ、紗菜が就職する会社の作品だ。この時代ではマイナーどころだけど、これからヒット作をいくつも世に出すことになる。
「紗菜、これは?」
骨董品の品定めをするように、紗菜はパッケージをためつすがめつ見回す。
「結構いいじゃない」
「買ってあげる」
「えっ? い、いいのっ?」
「ていっても五〇〇円だから」
「そう言うなら……じゃあ、買ってくれば?」
へいへい、と返事をして、レジへと持っていく。
途中、ドス黒いオーラを出しまくっている、悪堕ちしそうな人を見つけた。
近くを通り抜けようとするだけで、瘴気で顔をしかめるレベル。
俺じゃなくって、他のお客さんたちが。
ゴゴゴゴゴゴゴ。
そんな擬音が聞こえてきそうだった。
「あたしも……プレゼント、ほしい……紗菜ちゃんだけ、ズルい……!」
誰かと思えば、柊木ちゃんだった。
迂回路をとって、レジに並び精算を済ませる。先に出ようとすると、紗菜が追いかけてきた。
「兄さん、たいへん」
「どうした?」
「柊木先生が、ワゴンをじっと見つめて瘴気を出してるわ!」
うん。知ってた。
「きっと、いい感じの掘り出し物が見つからなかったのよ」
……そういうことにしておこう。
あ。そうだ。
『仕事ちゃんとやったら、プレゼントあげるから頑張って!』
店の出口まで漂っていた瘴気がしゅーん、と霧散した。
ツカツカツカツカツカツカツカツカ。
すさまじい速度で柊木ちゃんが出てきて、歩き去っていった。
どんだけプレゼントほしいんだよ!
なんだかんだ言いわけして全然やろうとしなかったのに!
ブブブ、と携帯が柊木ちゃんからのメールを受信した。
『柊木春香、頑張ります!!』
『春香さん、ガンバ』
『うんっ。誠治君、愛してりゅ♡』
先生としてっていうか、柊木ちゃんは大人としてポンコツなのかもしれない。
ぶううん、と近くにあった駐車場から見慣れた柊木ちゃんの愛車が出てきて帰っていった。
紗菜が、わかる。わかる、わかるよ、と言いたげに何度もうなずいている。
「ああして、柊木先生は次の戦場を探しに違う店舗にいってるのね……」
うん。それ違うからな?
何をプレゼントしようかと悩んだ結果、シュシュを買うことにした。
柊木ちゃんの学校での基本的な髪形はポニテだから。
学校でも使いやすい地味目なやつをいくつか、紗菜に見つからないようにこっそりと買って、夕方頃電車に乗って帰路についた。
紗菜は帰る間、ずっと大事そうに俺が買ったソフトを抱いていた。
「兄さん、これ……大事にするから……せっかく買ってくれたんだし……」
「いいって。そんなふうに思ってくれるんなら、ネットで新品買えばよかったな?」
隣に座る紗菜は、またするりと俺に腕を絡め、そっと手を握った。
「い。いい……これで、いいの……」
差し込んだ夕日に照らされた紗菜は、真っ赤になっていた。